第18話 マルタの話⑧

「何かすみません、お茶まで頂戴してしまいまして」

 舐められないよう必死に強がっていたさっきまでのシャチホコの態度は、矯正されるどころか、必要以上にへりくだるスタンスに切り替わって鬱陶うっとうしく感じ始めていた。

 彼が態度を一変させたのは、家に上げてリビングルームに通したからだ。「これ、あんた……様が、おやりになられたんですか?」とソファの前に寝転ばせているカイロギを認めて聞いてきたので、首肯すると、「なんと。これって、カイロギじゃ」と驚き、この瞬間にカイロギを基準とした殺し屋としての性能の序列がシャチホコの中で明確になったのだと思われた。自分よりもカイロギの方が強い。そのカイロギよりもこの小柄な若僧の方が強い。つまり自分はこの小柄な若僧の足元にも及ばない、と。

 俺としては、シャチホコの転身が、長年年下だと思っていた相手の年齢が実は自分よりも上だと知った時の急ごしらえの敬語みたいに、落ち着かなくて気持ちが悪い。

 鬼瓦から聞いたシャチホコの特徴は、サングラスを付けないと他人と会話ができない、というものだった。視線を悟られないようにしたり逆光を防いだりと、サングラスを着用する同業者は少なくない。だから「そんなんで分かるわけない」と反論をしたが、まさか宅配業者の制服にサングラスを合わせてくるとは思いもよらなかった。変装を台無しにする奇抜なファッションは、庭を歩いている最中はしていなかったのにドアを開けて対面した時にはそうなっていて、彼のその徹底ぶりには息を呑むほどだった。嘲笑などもっての外である。

 爆弾を取り扱うことまでは、さすがに連れだけあって鬼瓦は教えてくれなかった。でも、シャチホコが小刻みに震えながら箱を持つ様子と、すぐにでもこの場から立ち去ろうとする挙動から、彼が手に持つ箱が爆弾だと簡単に予想ができた。そういう意味ではサングラスはかけて正解である。きっと、俺と話をしながらも視線はずっと箱に向けられていたことだろう。


「ここにカイロギがいる時点で、おれ……僕の予想は当たらずとも遠からずと思いますが」

「まあ、否定はできない。……でも、俺一人のために一億なんて金動かすかね」

「最低ですよ、最低、一億円」

 シャチホコからは色々と話を聞くことができた。そのほとんどはガタ探偵事務所で聞いたものと重複していて、血生臭い噂話の裏付けくらいにしか役に立っていなかったけれど、でもシャチホコが嘘を言っていないことの証明にもなっていて、こちらに敵意を向けていないことが知れただけでも良しとする。カミナガを裏切っていることは罪悪感と恐れを抱いているようだったが、それでも口を軽くしてくれているのは、俺が鬼瓦の本名を知っていたことが一番効果が高かったみたいで、それについては何とも泣けてくるコンビ愛である。

 現在の話題はシャチホコの報酬についてだった。タシロ殺しの依頼と同じで、やはり完全後払い制らしく、もちろん失敗に終わっているからゼロ円なのだろうが、もし俺を無事殺すことができていたら三千万円が約束されていたらしい。タシロ殺しの報酬の倍以上だった。そしてカミナガは、三組の殺し屋に発注しているということだ。彼とカイロギともう一人、いや、組、ということだったので、残すところがあと一人とは限らない。ともあれ、あと一回の返り討ちが成功すれば一時の空白が生じるということだ。尚、先の会話で最低一億円と言っていたのは、シャチホコが自らのランクを過剰に評価していないことを暗に示唆している。つまり、自分よりも高い名声を誇るカイロギが同じ三千万円であるはずがなく、というか自分よりも低ランクの殺し屋にカミナガが依頼をするとは思えないから、自ずともう一人の報酬額も三千万円以上、ということだ。成功報酬だから、実際には総額一億円もの出費とはならないだろうが、その金額からアザミの怒りの表れを再度認識する思いである。

「今や天下の至高会からしたら一億円なんてはした金ですって。しかも、おれ……僕の考えですと、今回の三組を消しても、第二波は絶対来ます。マルタさんなら第二波だって蹴散らせあそばせられるんでしょうが、あの人たちは第二波が失敗したなら第三波も第四波も、あんた……様の首を拝めるまで続けますよ。マルタさん、悪いこと言いませんから詫び入れに行った方が、その、よろしいですって」

「謝って許してくれるならいくらでもそうするよホント。でも、無理でしょ?」

「まあ、さようですね」

「じゃあ俺の作戦しか解決の道はない」

「それでカミナガの居場所をお知りになられたいわけですか」

「それか、たった今思い付いたんだけど、このまま第何十波くらいになるまで延々と刺客を撃退し続けたらさ、そのうちヘイワが来るかもね」

「え?」

「ん?」

「マルタさん……って、実はそういう人なんですか?」

「そういう人って? どういう人?」

「その、平和を愛する、的な……」

「どうしてそうなるんだよ気持ち悪い」

「そんな照れることじゃないですって。素敵なことだと思いますよ。おれ……僕もね、何だかんだ言ってもやっぱり平和が一番だって思いますし」

「一番だってことは分かってるよ。でも俺は探してるんだ」

「探してるんですね……くぅ」

「え、どうして泣くわけ?」

「すいません。いえ、マルタさんが……その、ご自分の身をていしてでもカミナガの野郎からあえて追手が来るようにお仕向けになられるなんて、そこまでして平和を追い求められなさっているなんて、金と快感のためだけに爆弾をお作りになられる自分がどうにもひどくちっぽけにお見えになられちゃって……くうぅ、おれ……僕は恥ずかしいです」

「……ねえ、さっきから言葉遣いが変なんだけど。いちいち僕に言い換えなくてもさ、俺で良いじゃん。使い慣れない敬語なんてもはや暗号みたいになってるし」

「いえ、俺、ってなんか偉そうじゃないですか。おれ……僕はもうこの場では偉くないんで。あ、そうだ! 僕にも何か手伝わせて下さい。その、爆弾で罠を仕掛ける、とか」

「うん、この家の上空から撮影された映像がお茶の間を賑わすことになりかねないね、とても助かるよ。でも、今回は遠慮しようかな。爆弾を作るのだってねぇ、色々大変そ……」

 不自然に言葉を切った俺に、シャチホコは「あれ、マルタさーん。……もしもーし」と、恐る恐る声を掛けてきた。そのサングラスに映る俺の顔は、何かが引っ掛かっているような、眉間にしわを寄せた表情をしていた。

 何が引っ掛かっている? 一拍前に自分が抱いた疑念は、しばらく雨が降っていない浜辺の砂山みたいにさらさらと消えようとしていた。

「そうだそうだ、思い出した」とようやく俺が呼吸を再開したので、シャチホコは、何度キーを回しても空回りの手応えしかなかった車のエンジンがようやくかかった、という安堵の表情をする。「最初に聞こうと思ってたことを忘れてたよ。あのさ、どうしてここに来たの?」

「そんな、だから……その件については本当に反省させていただいておられましたは……」

「いや、俺を殺そうとした理由を聞いてるんじゃなくてね、この家に俺がいる、ってどうして知ってたのか、ってこと。分かる? 手が震えるくらい危険な爆弾をわざわざ作ってここまで来たってことは、確実に俺がここにいるって分かっていたからなんでしょ?」

 シャチホコは、どうして改まってそんなことを聞くのか、という呆けた顔で「そりゃだってカミナガの野郎が言ったから……ですけど」と答えた。

 詳しく話を聞いてみると、カミナガが「今はここにいるから殺るなら殺れ」という地図データが添付されたメールを寄越してきたから、急ピッチで爆弾を組み立てて宅配業者のトラックでここに向かった、ということだった。このことから推測できることと言えば……

「……発信機?」

 この一つの閃きがきっかけとなり、同時多発的に疑問が湧き出した。

 いつ付けられた? どこに? 一体誰が付けた。プロの仕業か? 俺が気付かないなんてことはあるのだろうか……。今も居場所は筒抜けなのか? 盗撮、又は盗聴は? 地下室の存在までバレたりはしていないか? 現状の自分の危険度はどの程度だろうか。このまま居場所をバラし続けた方が、都合が良かったりするのではないか。

 そして、本当に俺の居場所を正確に把握する方法が発信機によるものなのか、という疑問を前提的に残しつつ、最も優先的に確かめたい疑問は「盗撮、又は盗聴は?」だと定めた。

 さて、どうすれば簡単にこの疑問が解けるだろうか。少し考えて、「じゃあシャチホコさん、そろそろ帰って」と言った。

 もし今もこの会話を盗み聞きしているか、映像を観ているとしたら、カミナガは間違いなくシャチホコに裏切り者の烙印を押すだろう。だから、シャチホコを帰して彼がしばらく無事なら盗聴も盗撮もされていないことの証明になる、と考えた。

「もしさ、カミナガに命を狙われるようなことがあったらさ、連絡してもらえない?」と言うと、やはりと言うべきか、シャチホコは微塵も危機感を抱かずに「え? どうしておれ……僕が狙われるんで?」と半笑いの表情を浮かべた。よくもまあこれまで生き永らえたものだ、と彼の無防備すぎる感覚に呆れ返る。何となく、鬼瓦の苦労を慮った。

「もしだよ、もし。ないとは思うけど、何かの手違いか勘違いであのカミナガが君を狙わないとも限らないからさ、スズキさんにも借りがあるし、君たちが悲しくて痛い思いをするのは嫌だな、って思って。だから、何かあったら連絡して。助太刀に行くよ」とかなり雑な出まかせが口から垂れ流される。この嘘は、シャチホコの安否、つまりカミナガが彼に裏切り者の烙印を押したか否かを知るための、すなわち、俺からは何かをすることもなく盗聴か盗撮の有無が特定できる状況を機能させるためのスイッチ、である。シャチホコから連絡があれば、盗聴か盗撮をされていることが確定するという算段だ。言葉通りに綺麗な意味合いではないけれど、彼の無事を祈ることにする。

 そんな不純な動機で連絡先を交換していることなど露ほども考えずに、本気で感謝、感激の言葉を口にしているシャチホコが、羨ましくもあり、不憫だとも感じていた。気が治まらないんで、としつこく手伝わせてほしい主張をされたので、まだ意識の戻らないカイロギの配達をお願いした。配達先はどこか遠くへ、である。ほんの数十分前までは俺を爆発させようとしてた人間がとても良い顔で帰って行くのを見送っていたら、念のため後ほど鬼瓦にも連絡しておこう、とごく自然に心に決めていた。


 玄関のドアを閉め、急に静まり返ったリビングルームに戻って室内を見回した。

「うおっ!」という声が聞こえた。

 突如、荒々しく視界が流れる。胸と腹に大きく衝撃を受ける。背中に自らが動いた余韻を風圧として感じた。

 声の主は、自分。の理解に少し遅れて、自分が床に伏せているということを認識した。圧縮された一瞬の動きに驚き今もまだ心音が跳ねていて、それが床に反射して大きく耳に届いてきていた。こんな動きが自分にもできるんだな、と驚くほどの勢いで、それは反射的だった。

 じっとしたまま頭でカウントをする。何秒数えれば良いのかなど分からない。その秒数に根拠はないけれど、六十秒を数えた後、そのままの姿勢で後ずさった。すると、床でこすれたからか、それとも俺の身体の傾き加減の問題なのか、それまで胸ポケットに入れていたペンが床にからんと落ちた。頬がほぼ床に付いている状態だったので、そのペンが丁度目の前に来る。ペンは、シャチホコから奪ったまま胸ポケットにしまっていた、爆弾の起爆スイッチだった。

 俺が今これを持っている、ということを頭で充分に理解してようやく、全身が弛緩していく。立ち上がって身体前面の埃を払い、落ちたペンを再び胸ポケットに刺した。

「なんだよ。驚かせやがって」と、誰ともなしに毒づいた。リビングルームのソファ前のテーブルに、シャチホコが宅配業者を装って持ってきた箱が置かれてあり、それが爆弾であることを思い出した瞬間から今までのおおよそ二分間の自分の行動全て、に対しての毒づきかもしれない。

 殺し屋として有能とは思えないシャチホコが、仮に、実はそう油断させる戦術だったとしたら。置き忘れた爆弾は、置き忘れたのではなく「置いていった」ものだったとしたら。俺は二分前に爆発に巻き込まれて死んでいてもおかしくはなかった。そして、離れた場所で爆発を確認したシャチホコはここに戻り、瓦礫の中から俺だと特定できるくらいの大きさの俺の破片を持ち出し、カミナガから三千万円の報酬を受け取っていたことだろう。でも、それらの仮説は幸いにもただの仮説で、俺の反射は杞憂の産物だった。爆弾の起爆装置であるペンは最初からずっと俺が持っていたからだ。とんだ間抜けに笑いが漏れる。ただまあ、命の危険を察知する性能が正常で且つ敏感であることは、この業界で生き続けるためにとても重要な資質ではある。

 問題の箱を恨めしく眺めながら、ソファに腰掛けて一息ついた。

 携帯電話をテーブルに置くと、微かに届いてくるトラックが走り去るエンジン音と共に侵入者ありのアラームが断続的に鳴った。念のためアプリを開いて確認するが、帰って行くトラックの動きに反応して作動しただけで、最後の一組の殺し屋ではない。アプリを閉じて携帯電話をテーブルに戻しながら、そういえば、と思った。カイロギはアラームを鳴らさせることなく俺に超接近することができていた。あれはどうしてだろうか。

 しかしその答えはすぐに出る。簡単な話だ。俺が地下室でアラームを設定する以前から、この家への侵入を完了させていたのだろう。そして息を殺して俺が近付くまで待っていた、ということだ。屋内にも三台のカメラは設置されているが、俺が歩く度にいちいちアラームが鳴るのがうるさいので、その三台にはアラームの設定はしていない。故に、侵入さえしてしまえば自由に動くことができるのだ。こうしている今も、誰かカイロギのように潜んでいるのではないか、と思ったら、背筋に細く寒気が走り、早いところ地下室に戻ろう、と考えた。このままこんな所でくつろいでいたら、自宅を戦場に選んだ意味が全くないと言える。

 本当は発信機の存在を明らかにしたかった。発信機を見付けることができれば、それはこちらにとって大きなアドバンテージになる。相手の行動を、相手が自覚しないまま、誘導できるからだ。地下室にはないことは確かなので、できるならばこのまま地上の家屋を家探ししたいところだ。でも、「それよりも何よりも、一旦休憩」ととりあえず下に潜ることにする。落ち着いて考えをまとめてから、何かしらの行動に移すべきだろう。


 シャワーを浴びてから、暇つぶし対策としての小説やゲーム機や勉強道具、それから当面の着替えや日用雑貨などを地下室へ運ぶのに二往復し、その間もその後も結局アラームが鳴ることはなかった。オジからは連絡があり、二度の襲撃があったことと自分の無事を伝えることができた。それを聞いてか、こちらへの駆け付けが最優先である必要がなくなり彼の中の優先度順位の変動がなされたようで、三日後に行くと言われた。職場の工場へは、オーディションの一次審査を通過したのでその稽古がてら三日間から一週間ほど休みをもらう、と連絡を入れた。日数に幅があっても、早出出社が日課の先輩社員は朗らかに了承の返事をする。あまりに迷惑がられていない様子から、自分は工場に必要とされていないのだろうか、と贅沢な悩みを抱いたりもした。

 翌日からは、想定いていた通り、暇との勝負になった。基本的には終日を地下の仕事部屋で過ごすようにしている。思い出した時にでもネットワークカメラ八台分の映像をモニターで確認するようにしていて、それ以外は本を読んだり勉強をしたりトレーニングをして時間を潰す。昼食後の一時間と就寝時には休憩所に移動してソファベッドに横になっていた。朝食時の多肉植物たちとの会話ができないことはちょっとしたストレスだったけれど、多肉植物はどの種類も総じて日光を好みこの時期には風もたっぷり当てないと健康に育たないので、こっちの部屋には持ち込めない。砂漠地帯などで生育する生態のためもともと水やりの頻度は抑えめだから枯れる心配がないことは良かった。でも、数日前に気が付いたオブツーサの株分けは、危険をしてでもやってしまいたいと半ば本気でそわそわしていたりもする。

 地下生活二日目には、発信機の捜索に一時間ほど地上に出た。主に衣服を調べるも、発見には至っていない。携帯電話にネットワークを介して発信機相当の機能を持つウィルスでも仕込まれているのかもしれないと発想した時点で、探す手に力が入らなくなった。もし俺の携帯電話自体が発信機となっていたら、それを確かめる術は俺にはない。でももしウィルスによって携帯電話を変異させられていたとすると、素人考えだけれど、盗撮や盗聴の機能もセットになっているだろうと予想され、未だシャチホコと鬼瓦から連絡がないことで盗撮などの疑いが希薄である以上、携帯電話が発信機、という説は弱いと考えることができる。


 三日目。ようやく来客があった。スーツにネクタイで首から社員証らしきケースを下げた三十代中盤くらいの男女二人組だった。

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