第15話 マルタの話⑤
探偵みたいに聞き込み、張り込み、会社へ不法侵入をしているが、タシロを探す最初の段階から難航していて、カミナガと会った日から既に二日間が徒労に終わっていた。ちなみに、ここで言う探偵は現実の世界の探偵を指し、推理小説にしばしば登場するヒーロー扱いの探偵とは別物である。そしてちなみに、現実世界でも推理小説でも、探偵は不法侵入のような違法行為を行わない真っ当な職業なので、ここだけは俺のアレンジが加えられていた。
オジに相談しようにも、あの日の夜に「しばらく一人でやれ」と一方的に指示を出されて以来、こちらからは怖くてとても連絡ができていない。カミナガが失敗のペナルティとして「殺す」と言ったことがただの脅しでないとするならば、タシロが見付からないことで刻一刻と命の危険が迫ってきているわけで、その命がオジ自身のものではなくて俺の命だから他人事みたいに「しばらく一人でやれ」と俺を突き放すようにしているのだとしたら、それはそれでこれ以上なく光栄ではあるけれど。
でもまだそこまで自分がオジから全幅の信頼をもらえているような実力に達していないことは自覚している。カフェでの打ち合わせ後にカミナガと何かの取り決めがなされたことは特に聞いていないが、多分それがらみでオジも忙しいのだろう。彼が独自で動く場合、それを俺が知ることなどまずありえない。
二日間とはいえ、されど二日間だ。カミナガからは、まずは三日後に最初の報告をするように言われていた。カフェにて直接報告を受ける、ということで、今日の夜までには何かしらの成果を得られていないとちょっとだけ不味いことになりそうだった。そして現在タシロの足取りに関する手がかりはほぼないに等しい。
でも、手掛かりがない、という手がかりだけは得ており、すなわち、タシロはおそらく何かしらの意図によって姿が見えなくなっている。隠れているのか、隠されているのか、軟禁または監禁されているか。海外逃亡だと手に負えない。天国か地獄に行っていたら更に厄介だった。
初日はタシロの住むマンションの一室を張り込み、終日動きが見られなかったからその日の深夜に侵入した。防犯カメラがどこにあるか調査する暇もなかったので、マンションの外壁を登り窓を割ってお邪魔させていただいた。だからエントランスの郵便受けは確認していない。でも、トイレの内扉に掛けられた日めくりカレンダーを信じれば二週間はこの部屋に戻っていないことが分かった。財布や車の鍵がリビングルームのテーブルに無造作に放置されていて、且つだだっ広いクローゼットに旅行用のキャリーケースが残っていたりし、これらのことから、先の予想が導き出された。同階層の住人や近くのコンビニエンスストアなどで聞き込みをした結果は、このご時世の人と人とのつながりの欠如という
昨日は、タシロの職場である社屋を、午前中は早い時間から近くのビルの屋上で張り込み、午後になってからは、スーツと眼鏡を購入してタシロ宛で往訪してみたり、その勢いのまま社内見学をさせてもらいタシロのデスクを探したりした。すれ違う社員たちはそれぞれ、堂々と社内を歩いている俺をどこぞの営業マンか新入社員か影の薄い別の部署の人間か、好きに解釈したものと思われる。
一つ分かったことは、タシロは社内でそれなりの地位にいるようだった。個室が与えられており、彼のデスクに落ち着いて着席することもできた。しかし、情報の宝庫と思われるパソコンにはセキュリティがかけられていて、今度オジを口説いてパソコン教室に通わせてもらおうと決意することしかできなかった。セキュリティ解除法やハッキング技術を教えるような教室があれば、の話だが。
結局ここでの最大の成果は受付の女性に調べてもらったタシロのスケジュールだったが、過去数週間とこれから先の一カ月間程は軒並み地方への出張となっていた。そして彼を補佐する社員に詳細の確認をしてもらったところ、タシロ本人のアカウントで同日に全て書き換えられているものだ、とのこと。つまり、姿を見せなくても不審に思われない状況を「工作」した、と疑うことのできる条件が揃っているということだ。
カミナガから命を狙われるくらいの人物なのでタシロ本人から危険な匂いがするものと思っていたが、それは一切なく、タシロの極めてクリーンで社員からの好評多数の人物像が完成した。
昨夜は改めて社内への侵入はしなかった。代わりに、調査対象をタシロからカミナガへ変更して周辺を洗うことにした。カミナガがタシロを消そうとする真意の中に、タシロの行方のヒントがあると考えたからだ。でもそれも結局、邪魔が入ってしまって何もできずに今に至る。
今は、自宅から離れたどこぞの工場の駐車場にいる。そこで車中泊をしていた。時刻を確認すると、あと一時間後くらいしたら朝一の出勤者が現れそうな時刻だ。今日も忙しくなりそうだったので二度寝を我慢し下車する。大きく背伸びをし、固まった身体に血を巡らせた。冷たいくらいの空気を頬の産毛で感じながら、工場の事務所らしき部屋の入り口に向かう。鍵が壊れた事務所のドアを開けると、デスクに横たわる男性が最初に目に付く。
「おはよう。昨日はよく眠れましたか? ……って、うわぁ凄い寝相」と、欠伸混じりに声を掛けると、セイメイが腕を変な方向に折り曲げて寝ていた。いや、薄く開けた切れ長な目でこちらを見ており、目は覚めている。でも、全身脱力させて声も出ないようだ。いやそれも違う。口にガムテープを張り付けたから声が出ないことを思い出す。俺も寝起きなので、頭がまだ回っていなかった。そういえばセイメイのおかしな腕の曲がり方を寝相と思ったが、これも俺が肩の関節を外したまま戻し忘れていたのだった。それに、セイメイは決して切れ長な目をしているわけではなく、ただ単に俺を睨んでいるだけだった。
怯えるような威嚇するようなくねくねとした身体の動きを追って頭の横に膝をつき、ヒアリングが難しいうめき声が何て言っているか確かめるため、ガムテープを剥してあげた。でも、肩を治せ、腹が減った、これ外せ、ふざけるな、死ね、などと、怒涛の如く俺にあれこれ注文をするので、一瞬でげんなりしてしまい、ガムテープを元に戻す。唾液まみれで粘着が弱くなっていたので、昨夜も拝借していた埃と砂利まみれのガムテープを拾い上げ、新たに一メートル以上切り取ってセイメイの顎をぐるぐる巻きにして口を封印した。将来脱臼癖がつくのも可哀想だったので、最初に言われた肩の脱臼だけは直してあげる。
「俺の質問にはまともに答えてくれないのに、どうして君ばっかりあれこれ要求するわけ?」と、冷静に考えてみれば理不尽な状況であることに気付き、愚痴を吐いた。オジからは拷問のやり方は教わっていなかった。
昨日の夕方、タシロの職場から車で自宅に向かっている途中、ルームミラーにずっと映る車種に気が付いた。真後ろではなく、二台ほど挟んでいたり、車線が異なっていたりはしても、そこそこの長距離をずっと同じ方向、同じ速度で走るその車に違和感を覚えた。試しにコンビニエンスストアに立ち寄ってしばらく時間をつぶし、再度出発して、尾行を確信した。
オジからはカーチェイスのやり方も教わっていない。だから尾行を撒くことは早くに諦めた。自宅から距離のある工業団地の細い道が入り組んだ一画に駐車させ、下車して追っ手の車が現れるのを待ち、俺の車を目視した追っ手が離れた場所から張り込みを開始したところを見計らって、直接声を掛けることにした。追っ手はセイメイ一人だけで、ちなみにセイメイという読みは正確ではない。車に乗ったまま失神することになった彼の財布の免許証から「生明」という名字が判明したが、この国特有の難読漢字とかいうやつかもしれず、俺のつたない拷問では、この「生明」という名前の正しい読み方を聞き出すことすらできていないわけだ。
日が暮れるまでは、具合の良さそうな工場の事務所を借りて、誰の指示で俺を尾行したかとかその目的とか、なんとか探り探り拷問をしてみたが、無駄だった。人を殺すことはできても苦痛を与えることは大嫌いで、そういった性格も拷問には不向きと知った。やり方を変えて、タシロやカミナガやオジやヘイワなんかの名前を出して瞳孔の動きに質してみたりとか、セイメイの運転していた車内を調べてみたりとかしたがそれも目覚ましい効果は得られなかった。慣れないスーツを着て肩が凝っていたこともあり、そして飽きもあり、
「俺、そろそろ仕事に行かなきゃなんだけど、君はどうする?」と聞く。もちろん、この時点では彼と円滑なコミュニケーションが図れるとも思っていないので、形式的な質問だ。
目で何かを訴えかけていたが、ぐるぐるに巻いたガムテープをまた剥すのも面倒だったので、彼を捨て置き事務所を後にした。
車を発進させ、離れて路上駐車しているセイメイの車まで走らせる。彼の車内の財布から免許証を取り出し、携帯電話で撮影した。セイメイが何者か、タシロの一件が片付いたらオジに調べてもらうつもりだ。
そして、警察に架電し、無断駐車の告げ口をしておく。もし警察がこの車を調べたら、助手席に無造作に置かれた拳銃をどう思うだろうか。
一旦自宅まで車を走らせ、よれよれになったスーツを脱いでシャワーを浴びた。風呂上がりの牛乳を飲みながら、数日前にどういうわけだかコンビニエンスストアで買いだめしていたカップ麺の一つの包装を破り、熱湯を注ぐ。朝食が整うまでの三分間に、職場に欠勤の連絡を入れた。規則よりも二時間も早出して掃除などをする酔狂な先輩社員が電話に出てくれて、「今日もオーディションですか? 頑張って下さいね!」とエールをくれた。当たり前のことだが一般人を演じるために就業している工場のみんなには本業である殺し屋稼業のことは明かしておらず、土日祝日以外の日中に本業の仕事が入ってしまう場合はオーディションと言って休暇をもらうようにしている。もちろん事実ではないけれど、嘘のディテールを細かく決めたりはしていないので、職場での忘年会の際に一度だけ一人漫才の余興を任されて痛い目をみたこともある。どうやらお笑い芸人を目指している、という愉快な噂が広まっているようだ。
朝食を摂りながらの数分間だけ、多肉植物たちを眺めて
車が向かう先は、セイメイから邪魔をされなければ行くつもりだった探偵事務所。自宅からおおよそ九十分間程度の所にあるようだ。カミナガから提出されたタシロについての調査報告書に薄く印字された名前をインターネットで検索したら、住所も電話番号も代表者の氏名も似顔絵も掲載されていた。代表者が似顔絵なのは、ホームページ製作段階のそこだけセキュリティ意識を思い出したのだと思う。それ以外は何もかも掲載されていた。不用心も良いところだ、と言いたいところだが、ほとんどの企業ホームページはどこも同じで、自分たちが如何に誠実で優良であるかをアピールできる素材は何でもかんでも公開する傾向にあるのだ。
「まずはカミナガが何者かを知る。次にタシロとの関連を探る。そこから、タシロを殺されたら困る人物かカミナガに敵対する人物の中で、カミナガがタシロを殺したがっていることを知る人物の見当を付ける。……ってところかな」と声に出しながら、今日のとるべき行動を整理する。問題はカミナガの所在だけれど、件の探偵事務所がどこまで知っているか、ということが心配だった。
殺しの依頼だから俺たちはあまり顧客について深く掘ったり記録に残すことなどはしないけれど、カミナガがもし堅気の業務マニュアルすら例の不遜なガキ大将精神で無視するような輩だったとしたら、探偵事務所からカミナガにつながる線がないということになるわけで、これからの潜入行為は無駄にリスクを背負うことになる。そして完全に手詰まりになり、今夜のカミナガへの報告で自分が危うい立場になりかねないわけだ。自分だけならまだしも、カミナガと以前から付き合いがあるであろうオジにまで迷惑をかけてしまう恐れがある。このまま探偵事務所方面へ車を走らせて良いのか、とふわふわした不安定な気持ちが拭えないでいた。
こうなってくると、昨夜のセイメイの邪魔が途端に
「……ん?」
それは、当たらずとも遠からずでは?
セイメイの目的は何だったのだろうか。今にして思えば、奴を警察に渡してしまったことが大いに悔やまれる。もっと根気よく拷問に勤しむべきだった。何故なら、たまたま俺が邪魔だと思うタイミングで尾行をしたのではなく、邪魔ができるタイミングを知っていた、と考える方が自然だからだ。
俺の行動の予測ができる人物、俺がタシロを探し回ると知っている人物、そいつがセイメイに俺の尾行を命じた。それは誰か。あのカフェにいた人間だ。オジを除けば、初老の男性客とマスターと、カミナガだ。偶然にも、男性客には「タシロって名前のお知り合いとかいたりしますか?」と質問し、瞳孔の動きで彼がタシロを知らないただの一般人であることが分かっている。視線の主がマスターということもないだろうから、セイメイを俺に張り付けていた人物は、カミナガだ。状況証拠のみの危うい道理だけれど、可能性は充分にある。
でも、と思う。カミナガが俺を尾行する理由は何だろうか。いや、尾行と決まったわけではない。殺すつもりだったとも考えられる。あぁ、そうか、俺がタシロを見付けられなかった時に、カミナガが言った例の脅しを即時実行する腹積もりだったのだ。だとすると、俺がセイメイの尾行にこれ程早く気付いてしまったことはカミナガの誤算だ。セイメイの尾行技術がカミナガの期待よりも下回っていたとも言える。「とすると、こらしめちゃったのは不味かったかな……」と、先程の後悔に新たな後悔が上乗せされた。
フワとの関係が壊れた時にも思ったが、覆水は盆に返らないので、考えを切り替えることにした。状況は悪化の一途を辿っているように思えてならないけれど、一つすっきりしたことと言えば、職業倫理に悩まなくて良くなったということ。顧客についてあれこれ詮索するのはよろしくなかったが、先に手を出してきたのはカミナガの方だ。
「やられる前にやるだけだよね」と、殺しの先生であるオジが説く様子を思い出しながらつぶやいた。やられる前にやる、とは全殺し屋共通の心得であり、職業倫理の上位の訓示だ。
探偵事務所に向けて走る車の、アクセルを深く踏み込んだ。
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