第10話 ヘイワの話③

 実際にドスという時代錯誤の刃物をちらつかせられたことがないため、カミナガの、おそらく私を恫喝どうかつしたいであろうドスの利いた声にどのような感想を持つことが正しいのか分からないでいた。カミナガのことはそれほど詳しくないけれど、これが彼の日常的な声色ではないことくらいは分かる。とりあえず謝罪をしておくのが無難だろうと「申し訳ありません」の台詞を口にしてみるが、「誤ってどうにかなる問題じゃねえ」と言われて事態改善の難易度を知る。

「俺が今一番言ってほしい言葉が何か理解できていねえのか? 無事始末しました、だ。それ以外の言葉に聞く価値なんてない」

 分かるだろ? と言われるが、私が分かるか分からないかは彼にとって関係がないことは分かっているので、特に深く考えることもなく「はい」と答える。今の私がいわゆる、調子を合わせる、というやつで、普段はあまりしないから上手く調子を合わせられているかどうか自信はなかった。現に「はい、じゃねえ!」と、一層気分を害した声で返され、調子が合わせられていなかったことを知る。あるいは調子を合わせることは成功していたが、その調子を合わせる、という行動の選択が誤っていた、とも考えられる。しかし彼の本当の要望が「無地始末した」旨の報告である以上、実際には依頼対象の始末は完了していないので、虚偽の報告をするわけにもいかなかった。

 言ってあげたい言葉は言うことができず、言わなくてはいけない言葉は拒絶される、普段ではなかなか体験できない理不尽な状況である。この無駄な問答を続けるくらいであれば早いところ私を開放して依頼対象の始末に関わる時間を使わせた方が何倍も得策だ、と出来の悪い指揮者にアドバイスをしたいところだったけれど、それはできない。色々面倒なことを簡単に払拭できないのは、いつだって、人間と人間の目では見えない関係性という呪縛みたいなやつの仕業である。

 カミナガと私は、依頼主と作業員、という関係性だった。

「もう良いから」と言われたので、ようやくこの非建設的なやり取りから抜け出せる、と安心するのは尚早しょうそうだ。カミナガは「チェンジだ、チェンジ」と、投げやりに言ってきた。

「チェンジ……ですか?」

「だから、あんたみてえな事務員じゃらちが明かねえから担当者のチェンジだ。ヘイワ本人の連絡先を教えろ。俺が直接言ってやる」

「お伝えはできますが、意味がないと思いますよ」

 私の、どちらかと言えば物静かで丁寧な口調も、彼にとっては「うるせえ」らしく、仕方がないので催促された通りに彼にヘイワ直通の電話番号を教えた。カミナガの希望通りに教えてあげたので、たとえ彼の満足いく結果にならないとしても怒りを助長させるような分別のない子供みたいな真似だけは勘弁してほしい、と切望した。おそらくこの願いは通らないだろう、と思いながら。「てめえは早いところ足洗って堅気でクソみてえにちんけな人生送ってろ」と、少々長めの終話の挨拶を残してカミナガは電話を切った。


 地殻ちかくの振動音すら聞こえてきそうなくらいに、本当は静かな空間なのに、台無しだった。気を取り直してマウスを左右に揺らし、ディスプレイのスクリーンセーバーを解除する。

 仕事柄、パソコンを操作入力するよりも送られてくるメールやデータの確認をすることの方が多いので、画面が暗くなるまでの時間を初期のものから少し長めに設定変更してもらっていた。それでも、スクリーンセーバーが機能してしまうくらいの間、カミナガと通話していたようだった。ただ、同じ言葉、同じやり取りのリピートだったように思われ、「うるせえ」に類する言葉が合計四十七回と断トツで多く発せられた言葉だった、ということくらいしか記憶に残っていない。

 デスクマットの下に挟んでいるメモ紙の中から操作マニュアルのリストを見る。

 胸ポケットにしまっていた携帯電話が鳴った。カミナガ同様に静寂を切り裂く機械音は、聞いた話によると音量の調節ができるようだが、未だにやり方が分からないでいる。画面の表示は不親切にも「通知不可能」となっていたが、誰からの電話であるかは分かっていた。

「もしもし」

「ヘイワの電話かぁ? お前の部下から番号聞いたぞ。俺は至高会のカミナガってもんだが、一体いつになったら依頼してた殺しの報告がもらえるんだ」

「……ですから先程もお伝えした通り、現在準備を進めている段階です」

「なぁんでお前が出るんだよ! さっきの事務員じゃねえか」

「私は一度も事務員と名乗っておりません」

「……お前、ヘイワか?」

「一部の人間からはそう呼ばれています」

 まじか……、と言葉をひねり出し、「コケにしやがって。一日だ。あと一日だけ待ってやる。それでも今日みてえなふざけたことぬかすようだったらな……」と言ってカミナガは沈黙してしまう。やや長めに間をとってきたので、少し気になって「ぬかすようだったら……何でしょう」と水を向けてみた。

「殺す」

「ほう」

 これまで幾度となく殺しの宣告をされてきたが、不思議と現在もこうして五体満足だ。私を殺せる人間はそう多くはない、と予想できた。もっとも、私も死にたくはないので、殺すと宣言する人物か団体には相応の対策を打ってきたわけだが。

 今度こそカミナガとは終話となり、ようやく愛すべき静寂が訪れた。

 探し途中だった該当の操作マニュアルが見付かったので顔をディスプレイに向ける。

 キーボードを、両手人差し指のみを不慣れに動かし操作する。どういう仕組みか全然分からないけれど、マニュアルに書かれた手順を踏みながら、通話記録と受信先の位置情報などを暗号だかなんだかにして、メールに添付した。自分も、ドスと同じくらいに時代錯誤な生き物かもしれないな、とやや気分を落ち込ませることが得意な機械、それが私にとってのパソコンだ。

 送信ボタンをクリックして完了の表示を確認した。

 毎度のことながらこれで本当に相手に届いているか不安になり、つい携帯電話を取り出してしまう。「届いてるから安心しなって」と、ウンモは勝手知ったる調子で電話に出た。

「カミナガさんから連絡がありました」

「それもメールを見れば分かるんだってば。あのねノドカ君、わざわざ用件を作ってでも私と話がしたいっていうのなら別だけど、そうじゃないなら少しはパソコンもメールも使えるように……いや、やっぱり何でもない。ノドカ君の長所の一つだもんね。……えっと、至高会からの依頼の件だけど、丁度今ね、準備完了、って文章を打ってたところ。データを……、はい、今送ったから確認しくれる? あとはノドカ君の見立てでお好きにどうぞ。ではでは」

 ありがとうございます、という僕の声は届いたかどうか分からない。言うだけ言ってウンモは電話を切ってしまった。パソコンのディスプレイに挿入されたメール受信のメッセージをクリックする。前面に開いたウィンドウをスクロールしていき、最下段付近の「追伸」から読み始める。それ以前のメッセージは、彼女の最近あった出来事や夢の話などの、今読まなくても問題がない文章で占められている。いつものことながら、先程の電話の際中に、口では私と会話をしていながら、指では会話と全く無関係のテキストを入力している器用さに舌を巻く。ウンモの、私はあまり羨ましく感じない特技の一つだ。

「追伸→タシロの直近の潜伏場所と行動履歴の詳細を添付しました。それとプロファイルも添付済み。ただ信頼度が五十パーセントなので、タシロと直接会った時に判断した方がよろしいかと。検討を祈ります」

 操作マニュアルからデータの印刷方法を調べ、念のため全部を紙にして封筒に入れた。

 ウンモとほぼ同等に古い付き合いになる鞄に封筒と仕事道具を詰める。次にここへ戻って来られる日が分からないので、先日購入しておいた葉巻を胸ポケットにしまい、部屋の電気を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る