第8話 コオロギの話⑦

 ユウサク宅での作業は、整理、である。

 今は家主が村を出た時のまま放置されていて、多分奥の方に行けば食料の腐臭も酷いことになっていることだろう。それを慈善じぜんで整理するのも考えにくいので、確認する手立てはないけれど、おそらくこういったことがシュウのクチナシ村での仕事なのだろうと思われる。得意分野を活かすか、得意分野がなければ組合に属す、というこの村の労働環境において、およそコミュニケーションが得意とは思えないシュウが定期配給の受付に立つのは正直に言って不自然ではあった。それが、無人の住居の管理などもする職種だと説明を受ければ得心とくしんが行く。すなわち、クチナシ村管理組合。シュウはそれの組員なのだろう。定期配給は雨が降れば集会所の建物の中に規模を圧縮して開かれる。きっと今は女子職員だけで回しているだろうから、手すきになったシュウはこちらに回されたのだ。

「僕は、何をお手伝いすれば……」良いですか? と、最後まで言葉が出なかったのは、言葉を受けるべき人物がそそくさと家の奥に進み、僕の視界から消えたからだ。どでかい彼にはちんまりした僕が見えていないのかもしれない。仕方がないので、要は整理をすれば良いのだろう、そう思って、いざ、と意気込んだ。が、敵はユウサク宅だ、物の散乱がとんでもないことになっている強敵を前にして、僕の足と手は完全にすくんでいる。やはりシュウを追うことにした。

 昔気質の頑固な職人のおじさんよりも見て学べ精神が強固なシュウは、具体的な指示も説明もなく黙々と自分だけ仕事を始めている。せめてゴミ袋でも渡されたら分かり易いのだが……という無意味な愚痴よりかは建設的に、シュウの作業を盗み見ることにした。シュウは物で混沌こんとんを形成している茶の間の一画に強引に物をどかして床を露出させ、自分の近くから手当たり次第にそのスペースに物を移動させている。しばらく観察していると、スペースには二つに分別された群れが作られていることが分かった。しかしここまで分かっても、観察したシュウの行動をただ真似れば良い訳ではなく、二つの分類のそれぞれの法則なんかを確認しておかなくては、適当に仕事をした後に結局分別し直すことになってシュウの手間を増やすことにもなりかねない。仕事だと割り切り、多少面倒なプロセスだと知りながらも、シュウから分別の法則の確認作業に取り掛かる。

「このグループ分けはどういう意味?」という質問ではシュウはテレパシーだけで返答する。残念ながら僕にはテレパシーの機能が備わっていない。だから「燃えるゴミとそうでないゴミとで分けてるんですか?」のように肯定と否定だけで返答できるように質問の構成に気を遣い、首の動かし方で整理業務のやり方を探っていかなくてはならなかった。

「それなら再利用できる物と捨てる物?」「なるほど、じゃあ再利用できる物の見分け方は、傷の有り無し?」「……じゃないわけですね。うーん、肌に触れる物とそうでない物……」「……ってわけでもない。えっと、使い物にならないやつ以外は全部再利用だったりして」「ではない。え……難しいぞ」と、非効率なクイズ形式のチュートリアルは十分間も続き、ようやく整理業務マニュアルの習得が完了する。頑なに無口を貫き、また、いくら僕がしつこく質問をしても全く苛立ちを表さないシュウを、ここまでくるとなんだか凄いやつだと感心してしまう。

 僕は魔女の実験場の意匠いしょうを凝らした台所と思われる部屋を担当することにした。もちろん、担当割り振りをシュウがするはずもなく、自己申告である。作業を始めると、僕にもシュウが乗り移ったみたいで、黙々と手だけが動き始めた。いつまでにどこをどうすれば完遂となるのか分からなかったけれど、そういったことを管理するのはリーダーの務めで僕の気にすることではない。もしかしたら先程雨宿りをさせてもらった空き家くらいながらんどうが最終形態かもしれず、だとすると相当手の掛かる現場だろう。ユウサクがいなくなってから今日までシュウが来なかったのは、この惨状さんじょうになかなか腰が上がらなかったからかもしれない。しかしそんなことも僕にはどうでも良いこと。現在進行形で固結びをほどいてくれた交換条件を実行しており、それによりひとまずは僕の中のバランス感覚が満足していて、それが僕にとって全てだ。

 二時間くらいは手伝えた。固結びをほどいてくれたお礼としては破格の対価だろう。もうそろそろ飽きたかな、と思い始めた頃、一点、気になる物体で手が止まる。ユウサク曰く豆のハーブオイル漬けの瓶だった。口の中にあの時の爆裂の衝撃がよみがえり、唾液腺が活発になる。だが、ユウサクが地面に捨てていた物と色が全く異なり、煮物、ではなく、きちんとハーブオイル漬けと予想できるような綺麗な薄黄緑色だった。

 気になったのは、入れ物の瓶が、僕が毒味させられた腐ったやつの瓶と間違いなく同一の物だ、という点。もともと貼られていただろうラベルのはがれ方からそう判断できた。この一点を少し掘り下げれば、一つの矛盾点に到達してしまう。すなわち、「これから村を出ようとする人がなんでこんなの作ってるんですかユウサクさん……」である。

 シュウに一声掛け、ユウサク宅を飛び出た。


 一つ、どうしても確かめたいことがあった。それ故、ユウサク宅を出てから真っ直ぐに南区のクロカワ宅へ向かっている。

 さっきユウサク宅で発見した豆のハーブオイル漬けは、クチナシの花畑でユウサクと昼食を食べていた時点では、この世に存在していなかった。昼食後に自宅に帰り、僕が不本意にも昼寝をしてしまっていた約一時間の間に、新たに作られた物だ。どうしてユウサクはそれを作ったのか。自分で食べるため? 僕に食べさせるため? どちらにしても、これから村を出るつもりの人間がとるべき行動としては大いに違和感がある。「ユウさんは、村から出るつもりはなかった……」というつぶやきは、もはや疑問形ではなかった。

 そうなってくると、ユウサク宅の寝室でクロカワが発見した娘さんに宛てた手紙はどういった意味を持つのか。毎年同じ時期に書かれていた手紙、それの今年分がなかったのは、これから村を出て直接娘さんに会いに行くからかもしくは手紙は書いたが今年こそはと郵便ポストに投函することを決意したから。と、クロカワと推理した。ユウサクが自らの意志で村の外へ出たことが否定された今、この推理も根底から崩れた。それに付随ふずいして浮上してくるのが、やっぱりユウサクは手紙を書くような人柄とは思えないという僕の彼に対する人物評。つまり、手紙が誰か他の人物によって書かれた捏造品ねつぞうひんだったのではないか、という疑念である。娘さんが存在するかどうかも怪しく思えてきていた。

 クロカワに確かめたいことは、「あの手紙、ユウサクさんが書いたものではないですね?」と質問をぶつけた時の彼の反応である。クロカワが不在であれば、忍び込んでクロカワの筆跡が分かる何かを探そうとさえ思っていた。それくらい、クロカワを疑っている自分がいて、ユウサクに扮して手紙を書いた人物がクロカワなのではないかとも疑っていた。

 仮に、手紙が捏造ねつぞう品だと確定した場合、手紙が持つ意味は一つしかない。僕のユウサク捜索を止めさせるために用意された単なる小道具だ、ということ。どうして僕を止めたかったか。それはもちろん、捜索を続けられることで、クロカワに何かしらの不利益が生じるからだ。その不利益とは何か。真実の露呈ろてい、これに尽きる。

 真実がどういったものかは分からないけれど、いくつもの状況をパッチワークみたいにつなぎ合わせれば、それなりに信ぴょう性が高そうな予想が何通りか出来上がる。その中で最も可能性が高そうなところだと、クロカワはユウサクを探そうとする僕に、よかれと思って「探しても意味がない」と教えたかった、というもの。どうして探しても意味がないと知っているのか。それは例えば、ユウサクの誘拐、監禁、又は、殺害などを知ったから。もっとヘビィな想像では、クロカワがそれらの何れかを首謀していた。

 いずれにしても、後ろめたい真実が僕によって究明されることが、クロカワにとって不利益となったのだろう。だから、見せかけの親切心で一緒にユウサク宅を探すと提案しておき、用意していた偽の手紙を、あたかもあの箱から発見したような小芝居を打って、ユウサクは自分から村を出たんだからこれ以上の捜索は意味がない、と僕の中に結論付けさせた。思い起こしてみれば、手紙を発見したのもクロカワだった。

 いや待て。そうなると、肝心の手紙はいつ書いたのか。

 ユウサクが行方不明になってから僕がクロカワ宅を訪問するまでの期間は四、五日間は開いていたように思う。その期間で諦めないようだったら手を打つ必要がある、と考えてクロカワは手紙を用意していたのだろうか。でも、クロカワとの接触は僕の方からだった。僕が彼を訪れなければ用意していた手紙を披露する機会もない。それにクロカワは、いずれは自分に行き着くだろう、と悠長ゆうちょうに構えてはいられなかったはずだ。僕の単独行動が長引く程、有力な情報をどこかの時点で入手してしまう可能性があり、偽の手紙を利用してでもなるべく早くに捜索を中止させたいクロカワの意図に反する。

 足が止まった。

 思考も止まった。

「まさか村長も……、グル?」

 思考は、クロカワを訪れるきっかけとなったタイラとの対話のシーンで止まっていた。

 ただでさえ体力がない僕がペースも気にせず走ったのだ。脳の酸素量は薄い。それでも、タイラの台詞はしっかりと思い出せていた。タイラは、「クロカワさんを訪ねてみてはいかがでしょうか」と言った。「クロカワさんをお勧めしたのはユウサクさんとの関係性が理由ではなくて、クロカワさん個人が人探しに適任だと考えたからです」とも言った。今思えば、タイラは最初からどんな理由をこじつけてでも僕をクロカワのもとに行かせるようとしていたのだ。そしてクロカワはタイラの指示に従って、僕と同行してユウサク宅に上がり、手紙を発見してみせた。僕が不審に思うことなくユウサク捜索を止めさせるために。ユウサクの行方不明の真相を隠したがっていたのは、クロカワではなく、タイラだったのだ。

 脳を回転させるために大量な酸素が脳に吸い取られているからか、足を止めてからしばらく経っているのに一向に息が整ってくれない。でも身体は来た道の方向へ反転させていた。家に帰るからではない。タイラに会うためだ。

 しかし、足は、動かなかった。

 タイラは伝説の殺し屋である。ただ会って話す分には何でもないが、攻める立場として会うとなると相当の覚悟が必要だった。でも、足が意思を拒絶しているのは、それだけではない。もちろん酸素不足だからでもない。僕がクチナシ村に越したのは、タイラに誘われたからだった。ふと、その時のことを思い出していた。


 一カ月前のこと。記憶の鮮度はまだ高い。「幸せな村があります」と、タイラは僕を村へ誘ってくれた。クチナシ村がいかに不便で狭くて退屈な所であるかを語ってくれた。とても良い顔で話すので、言葉の裏側に見えるクチナシ村への愛情が心から羨ましく感じた。だから僕は誘いを受けた。心から尊敬し信頼するタイラの言葉だ、「幸せな村」がいわゆる天国を指す比喩だったとしても僕は後悔しないと感じていた。それは間違いだったのか。

 ユウサクも、きっとその他の僕同様に村の外から引っ越してきた人間もみんな、不便で狭くて退屈な生活を切望するくらいに現実に疲れ果てた過去を持っているのだと思う。だから僕と同じくタイラの救済の手を取ったのだろう。

 でもクチナシ村は、単純に「幸せな村」ではなかった。

 人が次々に消える村だった。

 サナエとイズミにしても、未だ発見したという声は聞かない。ユウサクと同じ末路を辿ったのか。何か普通ではない闇がクチナシ村の奥に潜んでいそうな気がしてきた。村をまとめるタイラにも同じく、柔らかで朗らかな物腰の奥に闇が見えてしまう。

 そうか、その奥の闇とやらがタイラを信じる僕の想いを裏切るものだとはっきり知ってしまうのが怖いから、信頼する人間に裏切られることの辛さを今一度思い出すことが何よりも怖いから、この足が僕の意思を無視して動こうとしてくれないのだ。

 自分の気持ちを正面から理屈立てできたことで、その気持ちを少し離れた距離から客観視することができた。落ち着いて息を整え、足に歩き方を教えてあげながら、少しずつタイラの住む高台へ進み始める。来た道を戻っているだけなのに、上り坂という条件を踏まえてもやけに長い道のりだと感じながら、それでも一歩ずつ、上った。


 南区からの山道を抜けようとしたところだった。何となく身を隠してしまったが、広場の集会所の前に五、六名ほどの人だかりができている。掲示板が設置されている場所だ。何か村からの報せでも更新されているのだろうか。身を隠してしまったのは、これからタイラに会いに行こうとする覚悟が、村民ののんびりとした平凡に中和されてしまわないか、という恐れからだった。できることならば誰とも接触せずにタイラ宅へ行きたい。でも集会所の手前に位置する掲示板からはタイラ宅へ続く階段道の入り口がよく見える。

 できるだけ速やかに、且つ自然に、人だかりを横切ろう。と息を長く吸い込んでいると、自分がそのように動きたい、という仮想の自分かと錯覚してしまうくらいにすんなりと人だかりを通過しようとする姿が見えた。

 シュウだった。

 僕が今潜んでいる場所からでは位置的に集会所の死角になってしまい、目的の階段道は見えない。そちらの方へシュウは消えていく。彼は掲示板に溜まっている村民の誰とも言葉は交わしていない。どうせ僕もそちらへ行くんだ、と意を決し、シュウにならって広場を横切った。シュウの動向が気になったこともあり、少し急いてはいたが、シミュレーション通りに集会所を抜けて掲示板の人だかりからは見えない位置に無事移動することができた。

 何となく妖気のような雰囲気を漂わせる階段道の入り口にまで身体を滑らせ、見上げる。間近に木々が茂って、しかも梅雨の恩恵を受けた雑草が破壊的に視界を遮っており、シュウの姿は見えなかった。でも足元を注視するとまだできて間もない足跡があり、この先にシュウがいることは明らかだった。なるべく息が上がらないようペースに気を遣い、階段を上り始める。

 四十度はある急傾斜を三十段ほど一気に駆け上がり、それからは上方向に集中しながら慎重に一段ずつ踏み進んでいく。階段道の中腹辺りで前方にシュウの足が見えてきた。更にゆっくり、シュウの動きに合わせ、息を殺す。距離は一定に保つ。

 他ならぬタイラを疑わしく感じてしまった今、クロカワだけでなく村民の全員に疑心暗鬼になっていると言っても過言ではないかもしれない。その状態で、このタイミングで、タイラ宅に向かっているシュウを怪しく思ってしまうのは一種の不可抗力だ。本当はただ単に、空き家の管理について村長であるタイラに業務報告をすることが義務付けられていて、ユウサク宅の整理作業の進捗を言いに彼は来ただけなのかも知れないけれど、もう希望的観測を信じ込みたい悪い癖は自分の中で鳴りを潜めていた。

 濡れた紐をほどいてくれた不意な親切に評価を良い方向へ変えていたが、シュウもユウサクの行方不明にいずれかの時点で関与している可能性がある。初対面の時に僕は、ユウサク捜索の件でタイラに相談をしたと言った。それに対してシュウはそれとなく食い付いてきたが、今思えば彼が発声すること自体、極めて珍しいことであり、僕が冗談半分で「あなたがユウサクを殺したのでは?」と鎌をかけた際には一転して誤解を招くことを辞さずにあくまで弁明を固辞した。しかも「ここの村民は全員死んでいる」というようなニュアンスの意味深な台詞まで残したことも含めて、何かしらの事情を知った上での反応だったのだ。

 とにかく、シュウがタイラを訪ねる理由、それを見極めるための尾行は無駄ではない。

 シュウが階段道を上り切ってタイラ宅の方へ姿を消すのを確認してから、再び一気に駆け上がった。登りきる直前で階段に身を伏せ、顔半分だけで様子を伺う。シュウの全身を視認。タイラ宅の出入り口前に棒立ちしていた。辺りを見回すような仕草はしていない。尾行を気にしないのは、来訪の理由がやましいものではないからだろうか。潜伏を続行する。

 五分間は待ったと思われる。しかしシュウは微動だにしない。焦れた素振りも見せていない。タイラから待機を命じられたのか。でも、僕も待つのは苦ではなかった。それから更に五分間ほど経過してから、ついにシュウの前のガラス戸に人影が映る。まばたきを禁止し、眼球に意識を集中させた。ガラス戸がスライドし、シュウが重心をわずかに後方にずらす。

 建物の中からシュウを招き入れる人物は、タイラ、ではない。その人物の姿は、今の僕が最も意表を突かれるものだった。驚きのあまり、視覚だけが機能を継続してそれ以外が全停止してしまう。

 目が、僕の目が、壊れていなければ、


 あれは、ユウサクだった。


 シュウは一度だけ後方をぐるりと確認し、僕に気付く様子もなく建物に入っていく。ユウサクもガラス戸を閉める直前に辺りを見回し、ガラス戸の内側に消えた。

 目の前で起きた現実を何度も脳内でリピート再生する。僕が知らない事実が、どこをどうつなぎ合わされば、この現状になり得るのか、考えようとするけれど思考は空転するばかりだ。

 そして唐突に、下腹部からおぞましいほどの冷気を感じた。

 思わず、身体の芯を軸に百八十度回転をし、うつ伏せから仰向けへ体勢を切り替える。勢い余って階段横の大木に右ひじを打ち付けてしまった。しかし痛みを脳が認識するまでの刹那、視覚が捉えたタイラの姿に全ての感覚を奪われる。

 タイラは、階下から現れた。シュウを尾行する僕を尾行していたのか。全く気が付かなかった。

「いやあ、コオロギ君。見ちゃいましたね」

 タイラはいつもの真っ白な姿で、いつもの朗らかな笑顔で、僕に手を伸ばしてきた。

 伝説の殺し屋は現在も健在である。

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