第7話 コオロギの話⑥

 集会所で定期配給品を選んでいた。胸に抱えるとうのカゴがある程度の重さになったので、受付で物品の確認をしてもらうことにした。目線をそちらへ向けると、思わず溜息が出る。受付には二人が立っていて、片方は、先日女装道具一式の都合をつけてくれた女性職員。もう片方はシュウだ。二者択一だが、どちらも選びにくかった。シュウとは前回の一件以来何となく話し掛けづらくなっていて、それが今も尾を引いている。ただでさえ人を寄せ付けたくないようなオーラをかもしているので一層話し掛けづらく、ここは意を決し、痛いところを突かれる可能性があると知っていても女性職員の方へカゴを差し出した。

 物品の確認をしてもらっている際中、女性職員から備品が届いた旨の報告を受けた。そして案の定、「田舎暮らしの体験学習生を宴会にお誘いする声が続出していますが」と意味深な含み笑いで耳打ちされた。「へえ、体験学習生なんて人がいるんですね、僕も会ってみたいなぁ」と返す。これは準備していた返事だ。

 体験学習生とは女装をして別人になりすました僕のことである。今の女性職員だけでなく、先日なんかは、クロカワと同行していた事情を知る組員の男性が、わざわざ僕の自宅に押しかけて女装の依頼をしてきたりもした。まったくもって芳しくない反響はんきょうである。組員の男性には、取引なら応じる、と回答をしてある。取引条件は「一緒に女装して笑いものになってくれるなら」とした。「本気の奴もいてさ、絶対バレないでほしいんだ」などとおぞましいジョークを言われたので、ジョークならもう少しジョークらしく言わないと笑えませんよ、とアドバイスをしておいた。

 こういった事態にさせた張本人であるクロカワとは、大捜索の日以来会えていない。当日、女装を解いて南区に足を運び、怒涛どとうの文句を浴びせるついでに家宅捜索の結果を報告しようとしたのに、それは未だに叶っていなかった。その日の夕方、集会所に集まって捜索隊の解散がなされた場にはいたのかもしれないが、暗かったのと、さすがに歩き疲れてしまったので、帰宅および就寝が最優先だった。次の日、一日後倒しになった内勤業務をしながら家宅捜索の結果を聞きに来るだろうクロカワを待ったけれど、それもなかった。噂では、サナエかイズミのどちらかの熱心なファンが、今でも仕事終わりに捜索を続けているらしい。僕としても彼女たちの行方が少々気になってはいたが、誰かが探しているという噂のおかげで、ユウサクの時のような「僕がやらなくては誰がやる」の精神は育まれていなかった。よもやそこにクロカワが参加しているとも考えにくい。

 東区への道の入り口付近に停めていたリヤカーに配給品を積んだ。村民でにぎわっている広場を横目に、今度は集会所の出入り口のガラス戸を開けた。入ってすぐの目に付くところには誰もいなかったので、奥に声を掛ける。高齢の職員が口をくちゃくちゃさせながらのっそり現れた。片方の手には干し芋を、もう一方には湯飲みわんを持っている。休憩中に呼び立ててしまって心が痛い、とはならない。クチナシ村役場ではよく見る光景だ。むしろ先日のように受付に女性職員が座っていることの方がまれである。

「東区のホソイです。頼んでいた品物が届いたと聞いたんですが」と老人に優しい高くて大きな声を掛ける。高齢の職員はその場に静止して二度ゆっくりまばたきをし、関節のズレくらいに微々たる頷きを見せてからまた奥に戻っていった。女性職員ならば受付の近くにある棚から書類を取り出して備品の請求一覧などを参照さんしょうするのだが、彼はその工程をいつも省く。少しだけ心配になってくるくらい待つと、高齢の職員は戻って来る。この、少しだけ心配になる、というタイミングは、こちらを別室で監視しているかのように毎度絶妙なタイミングだった。

「ホソイ、コオロギ? ……さん。こちらにサインを」と手招きをされた。手渡された書類の受け取りの欄に氏名を記入した。目当ての脚立きゃたつは大きな物なので、おそらく集会所の裏手に放置されていることだろう。品物のセキュリティや受け渡しミス防止などの気の利いた対策は施されていない。僕が今書いた受け取りのサインも意味があるとは思えなかった。でも、それでも問題にはなり得ない、というところがクチナシ村の長所の一つである。

 高齢の職員にお礼を告げながら書類を渡し、集会所を出た。裏手に周り、明らかに中古の脚立を肩に背負い、苦労しながらもどうにかリヤカーまで運ぶ。備品の請求から納品の報せまでの期間は不定なので、今日リヤカーを引いてきたのは偶然だった。荷台に脚立を固定するところで手間取ってしまったが、広場に配給品を受け取りに来ていた環境整備組合の知った顔に手伝ってもらえた。思い付いてクロカワのことを尋ねたが、「そういえば最近見かけんなぁ」とだけ言われる。礼を言って別れ、東区への道を進んだ。


 クチナシの花畑の近くで、これから集会所に向かう東区の男性、マキが前方から歩いてくるのが見えた。互いに視線がどこを向いているか確認できるような距離まで近付き、「今日の調味料何があった?」「味噌があったけど残り少なかったですよ」と挨拶を交わす。味噌は醤油よりも重宝するため村民に人気が高い。マキも慌てて走り出した。重宝する、ということは、取引条件として高値になり易い、という意味でもあり、あまりった料理ができないマキのような人間でも味噌はとりあえず入手しておきたい物品の一つである。

 そういったことも含めて、この村にも大分馴染めてきたかな、と思う。越してきて早くも一カ月は経つのか、と、つい感傷的に思いたくなってくるのだ。それは、それなりに生活リズムが習慣付いて技師の仕事もコツをつかんできたからという側面もあるだろう。仕事道具はまだまだ不足しているので受注する仕事の半分は工期未定としているが、それでも、持ち合わせのない工具のうち組合にレンタルできるものはお願いし、組合も所有していないような工具でも持ち合わせの工具を工夫したり暫定的ざんていてきに手作りしてしまったりして、亀の歩みではあるけれど、できる仕事の幅を広げてきている。今日は脚立を手に入れたので、屋根上や天井付近で作業が発生するような仕事も受け付けられるようになった。次の目標はのこぎりだ。今は組合にその都度つど借りているのだが、そろそろ自分用の物が欲しかった。木材の加工に小刀や彫刻刀なども欲しいけれど、生活との直結度の高さはやはり趣味より仕事の方が高い。ということで頭を悩ませていられるなど、以前の目が回るような職場環境と比較すれば、呆れるくらいに平和なことだ。

 東区の集落の最初の建物を視界に捉えられるあと少しという距離にまで来て、今までどうにか頑張って我慢したんだから堪忍かんにんな、と言い訳が混じっていそうな土砂降りの雨に降られてしまった。

 クチナシ村での雨は、身体がれてしまうことよりも切実に、大地の状況悪化が深刻だと感じる。林道であればある程度の雨風は防げるけれど、上空の枝葉では対処しきれない水量が地面に到達すれば、地面のざらざらが簡単にぬるぬるやどろどろに変わり、踏み場を間違えれば崖から滑落かつらくすることだってある。ハンドルを持つ両手にいつも以上に力を込めて雨を載せた分重くなったリヤカーを引っ張りたいが、足元の著しく低下した摩擦まさつ抵抗ていこうによりりが全く利かなかった。雨が止むまでリヤカーは動かせそうにないので、荷台に積んである配給品だけ手にし、急いで一番近い建物まで走る。何度も足を取られるが、僕に限って転ぶなんてことはまずない。

 滑り込むように直近の建物の軒下のきしたに身体を入れた。配給品を入れる箱は木製なので、これくらいの短時間であれば内側まで濡れたりはしないだろう。それよりも、支給されたての脚立が雨ざらしになっているのを遠目で見つめることしかできないことが切なかった。まあいくら濡れたところで、金属製の脚立がちたり腐ったりはしないが。切ない、という自分の感情を認識して、早くも脚立に何かしらの思い入れを持っていることを思い知らされた。子供がお気に入りのぬいぐるみに風邪をひかないようにと布団を被せてあげるのと起源は等しい。しかし僕は分別のある大人だ。いつまでも助けてあげられない脚立をただ眺めてばかりなどはしない。冷徹れいてつに気持ちを切り替えて、自分自身の健康を心配することにした。ぬいぐるみではない僕は、このままでは風邪をひくこと必至ひっしである。

 振り向いて木戸を叩き、中の住人に、しばらく軒下にいさせてもらえないかお願いしようと思った。あわよくば雨が止むまで中で暖を取らせてもらえないだろうか、と期待していることを否定するつもりはない。更に白湯などいただけたら言うことは何もない。

 でも、期待は虚しく、何度叩いても木戸が開くことはなかった。そういえばこれまでこの家から人間の出入りを確認したことはなかった。クチナシ村の住居は、現役か空き家か判断しづらい特徴がある。もう長いこと新築の建造物は現れておらず、どの住居も総じて古めかしいからだ。何かしらの理由により居住者がいなくなった住居については、正式にどのような手続きがなされるか分からないけれど、おそらく村の管理になるものと思われる。引っ越してくる新入村民に対して、村が、既設きせつの住居を割り当てていた。この家が空き家であれば、僕の進入をこばめる人間は誰もいない、などとガキ大将の思考で木戸をずらした。そもそもこの村での法律では侵入を不法とするルールはないのだ。

 暗い家に入る。雨音は少しだけ遠のき、風は身体まで届かない。たったそれだけでだいぶ暖かくなったように感じた。長らく空気の循環じゅんかんがなされず滞留たいりゅうしていた湿気の効果でもあるかもしれない。その空気にカビが混じっていなければ最高だったのだが、贅沢は言えない。雨が止むまでの少しの時間で良いので、と頭で唱えてから「お邪魔しまーす」とつぶやきを加え、土間の嫌なぬめりを履物はきものの底で感じながら式台まで進んだ。

 家の奥が視界に入ったが、妙にがらんとしているのが暗がりながらも分かった。空き家であることは間違いないようだ。式台に腰掛けるとズボンの水分が移ってしまうが、所有者はいないので罪悪感はない。

 しばらくすると、いやあすっきりしましたわぁ、と照れながらも清々すがすがしさく雨が上がっていった。

 てっきり放置されて不貞腐ふてくされているものと思っていたが、特別駄々をこねることなくスムーズにリヤカーは動いてくれた。足腰の筋力が足らない僕側の理由で多少グラつくこともあったが、地面の硬度と凹凸に神経を集中させれば比較的走行しやすいルートが見付かるということにも気付き、どうにか自宅に辿り着くことができた。

 まずは、たらいに水を薄めに張り、足にこびり付いた泥を落として露出した白くふやけ切った皮膚の水分を入念に拭き取った。真っ黒になった水は捨てずに履物をひたしておく。体温を奪い続けていた服を着替えながら水を火にかけ、沸いたお湯で腹の奥側から身体を温めた。全身の筋肉を弛緩しかんさせて人心地を一通り身に染み込ませたてから、横になりたい気持ちと激闘の末、重い腰を上げる。


 シュウが集会所方面からこちらに向かって歩く姿に気付いたのは、水分を吸ったひもの固結びの強情さ加減に嫌気がさしている時だった。

 脚立を軒下に移動させようと考えてリヤカーの荷台から下ろしたかったのだが、平均以下の握力しかない僕が、集会所で手伝ってくれた組員の草刈り作業などで鍛えた屈強な握力により生み出された結び目に敵う道理はない。それに、その男性が親切心で貸してくれた紐を刃物で切断するわけにもいかず、まさに八方ふさがりだった。腰に手を当ててこの難題をどう解決しようか頭を働かせていたら、通りで足を止めてこちらを伺うシュウと目が合った。

 シュウに対して気まずさを感じているのは僕の都合である。ここで無視するのも失礼と思い「どうも」と言って再度難題に取り掛かっていた。シュウからの返事は期待してはならない。これは相手が僕だから、というのではなくクチナシ村共通の鉄則である。だから既に思考は目の前の難題に集中していた。とはいえ、彼がすぐ背後に近付いてくるまで気が付けなかったのは、信じがたいことである。太陽との位置関係が悪ければ、シュウの図体にさえぎられてできる影もなかっただろうから、もっと接近されていたかもしれない。思わず身体が過敏に反応してしまい、大きく横に飛び跳ねて身体を低く構えてしまった。シュウは、そんな僕の動きを意に介すことなく、それまで僕が四苦八苦していた例の固結びにゆっくりと両腕を伸ばす。

 何度か布製品同士の摩擦とは思えない音をがしがしと鳴らした後、シュウはゆっくりと上体を起こしてこちらに身体を向けてきた。上げた腕の先端部分には紐が一本垂れ下がっていた。何だか、物凄い形相ぎょうそうで迫りくる獰猛どうもうな野獣が実は落としたイヤリングを届けてくれた心優しいクマさんだったことを知った、とある童謡のお嬢さんの気持ちにシンパシーを感じてしまう。そんなシュウの意外な行動に面食らってしまい、情けないことに、辛うじて「どうも、です」と頭を下げるのが精一杯だった。シュウは軽く会釈を返して来た道を戻ろうとする。シュウの淡白な態度が妙に紳士的に見えたのは、少し前まで彼に抱いていたどちらかと言えばネガティブなイメージと親切な行動をしてくれたイメージとの落差からだろう。

 手前勝手にシュウのことを悪く思っていたことを恥じる単純な僕は、呼び止めた先のことを特に考えもせずに「え、ちょっと!」と声を上げていた。多分、このまま親切にされっぱなしでは気持ち悪いと感じての呼び止めでもあるのだろうが、声にした直後には後悔し、無責任にも、シュウの耳に届いていませんように、などと祈ったりもしていた。しかし、割と大声だったのでそんな祈りは届かない。その場で停止したシュウは、たっぷりと時間をかけてこちらに向き直った。

 無言が落ち着かず、「だ……第三条!」と、脳の一番表側に浮かんでいた言葉を言った。

 第三条は取引の法律だ。親切にしてもらってばかりでは気持ちが悪かったので、何かで借りを返したいという心のバランスが、シュウがこれからユウサク宅で作業をすることを知った僕に「紐をほどいてくれた対価として、ユウサクさんの作業のお手伝いをします」と発言させていた。

 その結果、僕は今、ユウサク宅にいる。

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