第7話 コオロギの話⑥
集会所で定期配給品を選んでいた。胸に抱える
物品の確認をしてもらっている際中、女性職員から備品が届いた旨の報告を受けた。そして案の定、「田舎暮らしの体験学習生を宴会にお誘いする声が続出していますが」と意味深な含み笑いで耳打ちされた。「へえ、体験学習生なんて人がいるんですね、僕も会ってみたいなぁ」と返す。これは準備していた返事だ。
体験学習生とは女装をして別人になりすました僕のことである。今の女性職員だけでなく、先日なんかは、クロカワと同行していた事情を知る組員の男性が、わざわざ僕の自宅に押しかけて女装の依頼をしてきたりもした。まったくもって芳しくない
こういった事態にさせた張本人であるクロカワとは、大捜索の日以来会えていない。当日、女装を解いて南区に足を運び、
東区への道の入り口付近に停めていたリヤカーに配給品を積んだ。村民で
「東区のホソイです。頼んでいた品物が届いたと聞いたんですが」と老人に優しい高くて大きな声を掛ける。高齢の職員はその場に静止して二度ゆっくりまばたきをし、関節のズレくらいに微々たる頷きを見せてからまた奥に戻っていった。女性職員ならば受付の近くにある棚から書類を取り出して備品の請求一覧などを
「ホソイ、コオロギ? ……さん。こちらにサインを」と手招きをされた。手渡された書類の受け取りの欄に氏名を記入した。目当ての
高齢の職員にお礼を告げながら書類を渡し、集会所を出た。裏手に周り、明らかに中古の脚立を肩に背負い、苦労しながらもどうにかリヤカーまで運ぶ。備品の請求から納品の報せまでの期間は不定なので、今日リヤカーを引いてきたのは偶然だった。荷台に脚立を固定するところで手間取ってしまったが、広場に配給品を受け取りに来ていた環境整備組合の知った顔に手伝ってもらえた。思い付いてクロカワのことを尋ねたが、「そういえば最近見かけんなぁ」とだけ言われる。礼を言って別れ、東区への道を進んだ。
クチナシの花畑の近くで、これから集会所に向かう東区の男性、マキが前方から歩いてくるのが見えた。互いに視線がどこを向いているか確認できるような距離まで近付き、「今日の調味料何があった?」「味噌があったけど残り少なかったですよ」と挨拶を交わす。味噌は醤油よりも重宝するため村民に人気が高い。マキも慌てて走り出した。重宝する、ということは、取引条件として高値になり易い、という意味でもあり、あまり
そういったことも含めて、この村にも大分馴染めてきたかな、と思う。越してきて早くも一カ月は経つのか、と、つい感傷的に思いたくなってくるのだ。それは、それなりに生活リズムが習慣付いて技師の仕事もコツを
東区の集落の最初の建物を視界に捉えられるあと少しという距離にまで来て、今までどうにか頑張って我慢したんだから
クチナシ村での雨は、身体が
滑り込むように直近の建物の
振り向いて木戸を叩き、中の住人に、しばらく軒下にいさせてもらえないかお願いしようと思った。あわよくば雨が止むまで中で暖を取らせてもらえないだろうか、と期待していることを否定するつもりはない。更に白湯などいただけたら言うことは何もない。
でも、期待は虚しく、何度叩いても木戸が開くことはなかった。そういえばこれまでこの家から人間の出入りを確認したことはなかった。クチナシ村の住居は、現役か空き家か判断しづらい特徴がある。もう長いこと新築の建造物は現れておらず、どの住居も総じて古めかしいからだ。何かしらの理由により居住者がいなくなった住居については、正式にどのような手続きがなされるか分からないけれど、おそらく村の管理になるものと思われる。引っ越してくる新入村民に対して、村が、
暗い家に入る。雨音は少しだけ遠のき、風は身体まで届かない。たったそれだけでだいぶ暖かくなったように感じた。長らく空気の
家の奥が視界に入ったが、妙にがらんとしているのが暗がりながらも分かった。空き家であることは間違いないようだ。式台に腰掛けるとズボンの水分が移ってしまうが、所有者はいないので罪悪感はない。
しばらくすると、いやあすっきりしましたわぁ、と照れながらも
てっきり放置されて
まずは、たらいに水を薄めに張り、足にこびり付いた泥を落として露出した白くふやけ切った皮膚の水分を入念に拭き取った。真っ黒になった水は捨てずに履物を
シュウが集会所方面からこちらに向かって歩く姿に気付いたのは、水分を吸った
脚立を軒下に移動させようと考えてリヤカーの荷台から下ろしたかったのだが、平均以下の握力しかない僕が、集会所で手伝ってくれた組員の草刈り作業などで鍛えた屈強な握力により生み出された結び目に敵う道理はない。それに、その男性が親切心で貸してくれた紐を刃物で切断するわけにもいかず、まさに八方ふさがりだった。腰に手を当ててこの難題をどう解決しようか頭を働かせていたら、通りで足を止めてこちらを伺うシュウと目が合った。
シュウに対して気まずさを感じているのは僕の都合である。ここで無視するのも失礼と思い「どうも」と言って再度難題に取り掛かっていた。シュウからの返事は期待してはならない。これは相手が僕だから、というのではなくクチナシ村共通の鉄則である。だから既に思考は目の前の難題に集中していた。とはいえ、彼がすぐ背後に近付いてくるまで気が付けなかったのは、信じがたいことである。太陽との位置関係が悪ければ、シュウの図体に
何度か布製品同士の摩擦とは思えない音をがしがしと鳴らした後、シュウはゆっくりと上体を起こしてこちらに身体を向けてきた。上げた腕の先端部分には紐が一本垂れ下がっていた。何だか、物凄い
手前勝手にシュウのことを悪く思っていたことを恥じる単純な僕は、呼び止めた先のことを特に考えもせずに「え、ちょっと!」と声を上げていた。多分、このまま親切にされっぱなしでは気持ち悪いと感じての呼び止めでもあるのだろうが、声にした直後には後悔し、無責任にも、シュウの耳に届いていませんように、などと祈ったりもしていた。しかし、割と大声だったのでそんな祈りは届かない。その場で停止したシュウは、たっぷりと時間をかけてこちらに向き直った。
無言が落ち着かず、「だ……第三条!」と、脳の一番表側に浮かんでいた言葉を言った。
第三条は取引の法律だ。親切にしてもらってばかりでは気持ちが悪かったので、何かで借りを返したいという心のバランスが、シュウがこれからユウサク宅で作業をすることを知った僕に「紐をほどいてくれた対価として、ユウサクさん
その結果、僕は今、ユウサク宅にいる。
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