第4話 ヘイワの話①

 視線を上げると、正面には店内で特にお気に入りの小さめなアンティークの窓枠があり、それがしとやかに降り続ける雨の風景を切り取った絵画みたいにせていた。視線を店内に移せば、少ない椅子のいずれにも客が座っていない静けさがある。屋外の湿り気が静けさの主だった要因だ。梅雨でなければ、私の他に一組か二組か、ものを言わずに歴史を匂わすモニュメントのような誰かしらが、コーヒーをすすっていることだろう。

 この閑古鳥かんこどりが鳴いているような静けさは、不安を感じさせるたぐいのものだけれど、しかし、私が最も愛する静けさで、愛する時間だった。ここのところやけに忙しかったので、いつも以上に大切にこの時間を味わっていた。矛盾する言い方になってしまうが、時間という概念をどこかに置き去りにしてしまえる時間、それが、私の生き甲斐であり、この店に通う理由でもある。

 無粋にも携帯電話の着信音が店内に鳴り響く。電話という利器の発明を人類の愚行と称したくなるのは、決まってこんな時だった。持っていたカップを丁寧にソーサーに置いてからわざとゆっくり電話に手を伸ばすのは、愛する静けさを追いやった喧騒けんそうに対する私なりのささやかな抵抗だった。

「キララです!」

 受話器を耳に運んでいる途中にも関わらず、相手の叫声きょうせいが届いてきた。危ないところだ。耳元で直に受けていたら、老化が始まった鼓膜にはひとたまりもない。

「ウンモさん。丁度連絡しようと思っていたところです」

「キ、ラ、ラ! 丁度って言うけどね、本当はもっと早くに電話してもらわなきゃ困るんだよな。あー、今の溜息でまた一歳老けた。責任取って早いとこ私のこともらってよね」と続く声から、徐々に鼓膜を慣らしていく。

「二週間よ二週間。あれこれ私に仕事を押し付けたかと思ったら二週間も音沙汰なしってなくない? ノドカ君のおかげでこっちはてんやわんやなんですけど」

「頼んでいた仕事、上手くいっていないのですか?」

「舐めないでほしいな。一切のとどこおりはありません」

「それは何よりです。では、てんやわんやの意味を間違えて覚えてしまっただけということですね。それに、正しくは十二日間かと」

「そうね、十二日間よね、失礼しました。十二日間もブランクが開いてしまって、ノドカ君の正しい扱い方忘れていました。……それじゃあ、報告だけれど」と、珍しくウンモの方から本題を切り出してくれた。久しぶりのウンモとのやり取りをこのまま楽しむのも一興だっただけに、親友が思ったよりも早くに落ち着きを取り戻してくれたことで残念と安堵が一対一の割合で頭を占める。

「至高会がタシロの遺体を見せろって言ってきてる」

 愛する静けさと、愛する時間は、些細な溜息にでさえ吹かれて消えてしまうくらい、繊細である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る