第3話 コオロギの話③

 以下は、クチナシ村の自治の基本原則を明らかにするとともに、村民の権利及び責務を定めることにより、村民が安心して暮らすことのできる地域社会を実現することを目的とする。クスノギ村に家を定める者は、以下の規定に準じなければならない。


 第一条『相手に過去の説明を強要してはならない。但し、相手がこの法律のいずれかに反する、又は反する疑いがある場合はこの限りではない』


 第二条『奪う行為に情状酌量の余地はないものとする。尚、奪うとは所有権を有する者から合意がなされないまま所有物を移動せしめる行為を指す』


 第三条『有形無形に限らず、要求をする際には対価を示さなければならない。尚、対価、及び対価の支払いに係わるあらゆる事項は双方の合意によって決定するものとする』


 第四条『食料、又は医療行為を要求された者は、自らの生活が著しく損なわれる場合を除き、これに応じなければならない』


 第五条『当村の外に出てはならない。但し、村長が許可した者はこの限りではない』


 第六条『当村の外に対して当村に係わる一切の情報開示をしてはならない』


 第七条『村長には従わなければならない』


 タイラ宅は僕たちの集落よりも高い位置に建てられている。村での最高権力者を象徴するような立地は、鬱蒼うっそうとした木々に囲まれ高台ならではの村を見下ろせるロケーションとは言えず、アクセスの不便さばかり目立ってメリットはないに等しい。タイラは権力に価値を見出すような人間にも見えないので、きっと単なるクチナシ村の伝統なのだろう。二メートルほどの長さに切断された細めの丸太で組まれた階段は、集会所のある広場まで一本道だった。露出している土の地面も、丸太自体も、雨でぬかるめば昇降だけで神経がすり減りそうな階段だ。

 大雨ではないけれど、梅雨の湿り気でそれなりに歩きにくい足元に気を付けながら、タイラ宅をする直前に「第五条と第六条をお忘れなく」と言われた意味を考えていた。

 第五条は、村の外へ出ることを禁ずるもの。第六条は、クチナシ村の存在を外界から隠しておくもの。双方とも、村と村民を守る目的で定められている。あの時の状況から、僕のユウサク捜索の意思表明を受けて、タイラは発言したものと察することができる。アドバイス、というよりも、忠告、といったニュアンスだった。ユウサクを探すために村の外に出るな、という意味で言ったのだろうか。だとすると第六条もセットで言及された理由が思い付かない。インターネットを活用して人探しをしてはならない、というのも的外れに思われる。何しろこの村には電気が通ってもいないのだ。電子機器の持ち込みすらしていない。

 一つだけ、肯定したくない推測があった。ユウサク本人が第五条と第六条に違反していたというものだ。つまり村の外に無断で出て、村のことを口外し、その場合は法律に反していることになる。違反者がどのような罰則を受けるか未だ分かっていないけれど、死刑、とかだった場合、人知れず刑が執行されていて、僕がいくらユウサクを探しても意味がないと言える。常識では突飛な推測だとしても、業界で一等高名な殺し屋が統治する村だ。ないとは言い切れない。もしそうだとすると、刑を執行したのは殺し屋ヘイワ、つまりタイラ本人ということになるのだろうか。事情を全て把握している彼が僕の行動を制止しない理由は思い付かないが、これなら僕に先の忠告をしたのも頷ける。肯定したくないのは、僕に真実を述べずにもてあそんで喜びを感じている姿がタイラのイメージに合致しないからだ。それに、口笛以外に何の取り柄もない、だみ声で不潔でデブでハゲでひどい口臭で脳内が下世話極まりない怠け者だとしても、それなりに気に掛けてくれていた恩もある人間なわけで、そんなユウサクを何の前触れなしに消し去ってしまう姿も、僕の中のタイラ像、僕の中のヘイワ像とはかけ離れていた。

 いずれにしても、今の僕にはクチナシ村のこともユウサクやその他の村民のことも知らないことが多すぎるので、そんな僕の推測は、否定も肯定もできないし、してはいけない。まずはクロカワに会いに行く。その後は村民に色々と話を聞く。推測を組み立てるのはそれからだ。


 最後の一段を飛び越え、集会所のある広場に降り立った。建物の方へ進むと、声がした。女性二人と背の高い男性が集会所の前で立ち話をしている。女性はどちらも初めて見る顔で、男性は、シュウだった。彼らを避けて通り過ぎるのは不自然だったので、挨拶がてら、そちらに近付いた。いや、そもそも避けようという発想自体が不自然なのだ。どうも人付き合いが苦手な性分が僕の深くに根強く、はじめましての挨拶に消極的になってしまう。

「あれ、新顔だぁ」と、二人の女性の片方が僕の姿を確認した。こちらに背を向けている残りの二人が、身体を反転させてこちらに向いた。

「はじめまして、少し前からこちらの村に越してきましたホソイと言います」

「わあ若い。ね、ね、どこの区画?」

「はじめまして、私はサナエ。こっちの礼儀がなってないリスっぽい小娘はイズミ。んでこっちの電柱みたいなのがシュウ。宜しくね」

 テンポ良く三人分の紹介をしてくれたサナエと名乗る女性は、「どーもー、礼儀がなってないリスっぽい小娘でーす」とにこやかに自己紹介をしてくるイズミに向かって「あのドブおやじん所の区画でしょ。この前の集会で自慢気に話してたじゃない」と教えていた。

 たったそれだけの光景ではあったがいくつか分かったことがある。ユウサクが村民に良く思われていないということ、サナエとイズミは冗談が許される仲だとういうこと、シュウが見た目通りに無口で陰湿な個性として扱われているということ、それから、僕みたいな新参者がそれほど珍しいものではないということ。新顔を受け入れる適応の速度からもそうと分かるが、何より、彼女たち自身も僕と同じように、以前はこの村にとっての新参者という立場だったことに違いないからだ。電気がきていない村で育った人間に、電柱は分からない。それに、サナエとイズミはこれから農作業でもしそうな服装だったが、顔立ちというか雰囲気が、どことなく垢ぬけていた。

 シュウは言葉を発することなく、黙って僕を見ていた。辛うじて、顎が前に突き出たように見て取れ、それが会釈であると強引に解釈することにした。少しおびえているように見えるが、この村で初めて会って特別嫌な思いをさせるほどの付き合いがあるわけではないので、怯えられる覚えはない。それがシュウの個性なのだと理解する。天然と思われる波打った髪が目元まで伸びていて、フランケンシュタイン、という言葉を連想してしまうが、僕の空想するフランケンシュタインは決して髪は長くなく、外見からではなくその異様な不潔さというか不気味さが共通した特徴として目立っていての連想だ。自然にったであろう傷や穴が格好いいジーンズと辛子からしいろの無地のTシャツ一枚という、服装だけ見ればアウトドアを趣味にしていそうな爽やかさを感じることができる。首から上だけの情報で全体の印象がここまで変わるものか、という驚きを感じたいときには適した人物、それがシュウだった。

「あれ、ホソイ君どっちから来たの?」とイズミが肩をずらして僕の背後に視線をやった。

「上の村長宅にお邪魔してました。ちょっと相談したいことがあって」

「あぁ、村長いなかったんじゃない? あの方、レアだから」

「え? 村長いましたよ。食事中でした」

「嘘、良いなぁ! 私も会いたい。ちょっとサナエさん、私たちも上行かない?」

「馬鹿。ホソイさんが今言ったでしょ。食事中に押し掛けたら失礼よ。そろそろ時間だし」

「え、嘘でしょ、信じらんない! この私が馬鹿呼ばわりされるだなんて!」

「朝だよ。そんな大声出さないの」

 イズミとサナエの微笑ましい問答を眺めながら、どのタイミングでこの場から離れれば良いのかと途方に暮れていると、それまで巧妙に電柱のものまねをしていたシュウが、「……相談とは?」と突如声を発した。きんきんとやかましいイズミとサナエも口を開けたまま止まる。シュウの発言には彼女たちの時間を止める魔力があるようだ。僕がここに現れる前にも三人で話をしていたのではなかったのか、と思っていたが、「ちょっと事件! サナエさん、あれ出して、村の人たちに、何ていうんだっけ、あの、緊急で配られる新聞」「号外のこと?」「そうそれ、出して早く」「分かった。見出しは……。新事実、シュウ氏は電柱ではなかった! とか?」「普通の声でギャップ萌えならず! とか」「四年越しの悲願達成。シュウが心を開いた瞬間の一部始終。はどう?」「それならストレートに、シュウ氏とホソイ氏の慕情ぼじょう。じゃないかな」などと盛り上がる内容を紐解けば、シュウが普段どれほど無口であるかが分かった。

 女性同士でしか盛り上がりポイントが共有できないやり取りをする二人から目を離し、「ユウサクさんが行方不明なんです」と、シュウに顔を向けた。同じ高さの地面に立つのに逆光で目を細めなくてはならず男として少しだけ情けない気持ちになりながら、「村のみんなにも探す手伝いをしてもらえるよう取り計らってほしくて相談しました」と、言葉を続けた。

「え、なんで探すの?」と「行方不明ねぇ」とが重なり、「別にいなくなって困る人じゃないんだし、こう言ったら失礼かもしれないけどさ、無駄な努力だよホソイさん」とサナエが言葉を引き継いで一本化させた。おおよそこれまで受けてきたものと同じ反応だったので、これについて特に感想はない。ただ、その後のシュウの発言がやや気になった。シュウは、「探しても意味がない」と、使い慣れない言語を口にするみたいにゆっくり抑揚を抑えて言った。女性二人と同じ反応と言えばその通りだけれど、僕が違和感を覚えたのは、まさにそこ。無口なシュウが、先に出た台詞と重複する内容をわざわざ口にするだろうか。いや、実際にしているのだから、何かしらの意図があるのだろう。あえて重複させるのは、強調させたいからだ。もしくは、僕が女性二人の提言を軽んじている様子に気付き、改めて発言をしようと考えたか。

「どうしてそう言い切れるんですか?」と、試しに、食い下がるような質問をしてみる。

「……」

「何か知ってるんですか?」

「……」

「あなたがユウさんを殺したんですか?」

「ちょっと、何急に」

「ホソイさん、さすがにそれは失礼じゃないかな」

「どうなんですかシュウさん?」

「……」

 初対面で何の情報もなく、そもそもユウサクが殺されたという証拠だって何一つないのだ。イズミの言葉を聞いたからではないが、これ以上シュウを叩くのもどうかと思い、細く息を吐いて気持ちを切り替えた。少なくとも、彼は何かを知っている、ということが分かっただけでも収穫だ。後で彼の家に侵入でもしてみようか、とこっそり心に決めた。するとここでまた、ゆっくりと顎を動かし、シュウが意味深な発言を口にした。

「……ここに来た人間は全員死んでいる。俺も、お前も」と、静かに吐き捨てて、シュウはきびすを返す。

 追おうかと考えたが、情報収集が目下の優先事項であることを思い出し、自重した。どうせクチナシ村は狭いのだ。第五条の村の外への移動禁止法もあることだし、今後シュウと話せる機会はいくらでも作り出せることだろう。唖然としているイズミとサナエに挨拶を残して、僕も集会所の広場から離れた。 こうなったら、すぐにでもクロカワ宅へ行くべきだ、という考えが強まっている。

 一旦自宅に帰った。地図を確認するためだ。地図は、技師の職を開業する旨の手続きをした際にクチナシ村役場でもらったものだ。縮尺度や等高線などの表記がない代わりに住居などの建造物の配置が詳しく記載されていた。現在どこに誰が住んでいるかが分かるようにもなっていて、おそらく僕の様な職業を選択した人向けに公的に配布されているものかと思われる。紙面の隅には『第二十三版』と日付を後に続けた『更新日』の表記もあった。それを手にし、早速クロカワ宅へ向かう。

 二往復目の道を小走りで駆け、再度集会所の広場まで来た。三、四十分間程度経過しており、今日で三度目の集会所前の広場には、今は誰もいない。広場は、来た道とタイラ宅からの階段道の他に二本、合計四本の道が集結しており、形が崩れた十字路のような空間だ。広場を中心として方角を東西南北だけで区切れば、僕の自宅は広場から見た東側の道に入ると辿り着くことができる。実際には道が湾曲わんきょくしているのでどちらかと言えば南区となるはずだが、便宜べんぎを図ってのことか分からないけれど東区と呼ばれていた。自宅から持ち出したクチナシ村の地図を広げて確認してから、向かって左手の林道へ折れた。クロカワ宅は、南区とのことだ。


 景色は東区への林道とさほど変わらないものだった。ただ、踏み固められた地面は、僕にせわしく方向転換をさせている。南傾斜の立地だから、南区までの道を直線で結ぶと相当急傾斜になってしまうため林道ではなく山道と呼ぶべきくねくねとした道になっていた。歩数でカウントすれば、東区から集会所間の倍はありそうな距離だった。南区の村民はみんな足腰が鍛えられていることだろう。

 目では確認できないけれど、近くにクチナシの花が咲いているようで、ほのかに梅雨の湿り気に透き通った甘い成分が混じっている。ところどころ程よく山肌が露出していて、クチナシの花にとっては良好な半日陰の環境が偶然整っているのだろう。冬場の風除けを周囲のみきになっているのも、野性で生きていける条件の一つかもしれない。それか、クチナシの花だけは、手入れを代々の生業なりわいとする人間でもいるのだろうか。村の名前になっているだけあり、の花だけ特別待遇でも不思議ではない。

 顎先からしたたり落ちるくらいに汗をかいて息も切れ切れになる頃、ようやく南区方面の最初の住居を確認できた。これまで体力づくりと称してユウサクをリヤカーで引いていたりしたが、その効果があったとは思えないくらいに膝が左右に揺れている。これで南区の村民が老人ばかりだとしたら、立ち直れなる自信がなかった。技師の受注は南区を除外しようか心から迷ったりもしてみる。

「どちらさんかな?」と、どこからか声を掛けられた。が、周囲には人の姿が見られない。声の主を探すのに手間取っていると、「どこ見てんだい、ここだよ、違う。ここ、ほれ」と声が僕の視線をき立ててきた。耳にも働いてもらい、ようやく老婆の顔を捉えることに成功する。南区最初の住居の、集会所方面へ向いて小さくぽっかりと開いた穴から、顔だけで老婆が覗いていた。なかなかそれを見付けられなかったのは、僕が想像する住居の窓のあるべき場所から明らかに低い位置、地面すれすれに開いた穴だったからだ。しかし穴は、一丁前に、窓だった。小さなガラス戸が穴の半分を占めていたので、普段は完全に閉じられるような造りに見えた。そうでなければ雨が地面を流れる際にその穴から水が進入してしまうだろう。明らかにおかしい造りなのは、老婆の執拗しつような誘いを拒否できずに彼女の宅にお邪魔することになって、理由を知ることになる。こちらに建物の入り口は面しておらず、老婆に促されるまま外周を反時計回りに移動すると、角度的にわからなかった崖と言ってよさそうな急斜面が現れ、石段を下りた場所に入り口があった。入り口からお邪魔すると、先程の窓の高さが正規のものと変わらないことを知る。要するに、斜面という条件と共存した結果、外からと室内からとの窓の高さに今のような高低差が生じた、ということだ。入り口で棒立ちしていると、先程の老婆が奥の方から家に上がるよう言ってきた。

「近頃じゃこの村の平均年齢がどんどん若くなるね」と唐突に老婆は話を切り出した。

 ひとり言に聞こえるのは、自分の分だけお茶を用意する老婆の動作が僕の存在を忘れているようなものだったからだ。客人に茶を出さないのはクチナシ村のユニークな法律が関係するのか、彼女の性格からかは分からない。喉がかわいていたので、浅ましくも、水か白湯を期待した。それがないからと言って腹を立てるのも筋違いだろうし、この胸に小さく広がる黒色の感情のやり場に困る。

「あの、先を急いでいるので……」また改めて伺います、と続けようとすると「俺も先を急いでいるんだ」と老婆は言葉を重ねてきた。反応の速度が若々しい。そういえば、今座っている床から先程覗いていたと思われる窓までは、腰を曲げた老人には高すぎる場所にあり、それを考えるとこの老婆、身体機能は外見よりも若いに違いない。これも集会所までの山道の恩恵だろうか。僕なんかより早く上り下りできたりして。

「先を急いでいるとは?」

「いやそれはほれ、ババァジョークだわな。老い先短いって意味さ」

 ひっひっひ、と空気が漏れるような音がしたが、老婆の笑い声だと分かった。「はあ」と無難な返事でやり過ごす。

「この先にクロカワさんという方が住んでいるって聞いているんですが、どんな方ですか?」

「クロカワ? さあ。この十年間、色んな人間が入れ替わり立ち替わりしているから一人一人の名前なんて覚えたりしとらんよ。試しにほれ、お前さんの名前、言ってごらんな」

「あ、失礼しました。最近越してきたホソイと言います」

「ホソイ? 見たまんまじゃないか。下の名前は?」

「コオロギです」

「コオロギ? お前さんの親は命名に悩みすぎて頭おかしくなったんかい?」

「はは、ババァジョーク面白いですね」

「失礼だねババァだなんて」

「……」

 必要以上にエネルギッシュな老婆はその後も話を続けた。ランダムに話題が飛んだり同じ話題を二度三度繰り返したりなどの不調は多少混じったけれど、おおむね健康そうな老婆は、単に話し相手がほしかっただけのようだった。一つ勉強になったのは、誰かを足止めしたいとき、話し好きの老婆はそこそこ有効だ、ということ。これは空想だけれど、クロカワがもし僕から逃亡を図りたくてここにこの老婆を配置したのならば、大成功である。

「ところでサルスベリさん、こんなところでこんなババァに付き合ってるなんて、余程暇なのかい」と最後に老婆は言った。コオロギからどういう手順を踏んでサルスベリになったのか忘れたが、名前を覚えようとしない老婆の姿勢が本物であることは証明された。挨拶をして辞する際に屋内を見渡し、技師職の営業をかけられる場所がないか目星を付けておく。この老婆と話すことが若干癖になりつつあったが、言い訳がないと他人のお宅にお邪魔できないくらいには、僕はまだ青二才だ。折を見てここにまた来ることにしよう。


 枝葉のドームを見上げ、漏れ落ちる光の明度の差から太陽の位置に見当を付けた。お昼には少し早い、といった時間帯だろう。この村には時計がないので、村民は日光の照射角度に合わせて生活していた。暇ができたら日時計でも作って商売を始めてみようか、と考えたが、需要の高さは期待を下回る可能性が大いにあり得、無粋とも感じたので、自分のためだけに工作してみよう、と思った。

 枝葉の密度が薄くなるにつれ、空気中に含まれるクチナシの花の香りの成分が増えていく。音が吸い込まれる地面を進みながら、老婆の住居から少し離れて、本格的な集落に到着した。南区だ。未だに山や林と呼ぶに相応しい木の生え方をした地形のため見晴らしは完全ではないが、真っ直ぐに一本通った下り坂を挟むように小屋が整列していて、十軒程度が建てられているのは見下ろせた。人口は東区とさほど変わらないかもしれない。農作業にでも出ているのか、人の往来も、話し声も聞こえてこない。水の流れる音が微かに聞こえてくるが、近くに沢か川かがあるのだろうか。そうだとすると、それだけで集会所までの道のりの険しさと釣り合う好立地な区画と言えた。好きに水が使えることほど贅沢なことはない。

 尻ポケットから地図を取り出し、クロカワ宅の位置を特定する。小屋の並びの中腹辺りだ。

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