第2話 コオロギの話②

 この村には法律しかなかった。法律だけがあり、それ以外は、なかった。


 罪人を定義付けるための法律はあるが、それに該当しているか否かの判決、もしくは罪の重さなどから刑罰をすための、裁判所かそれに近しい機関、又は有権者がいない。そして当然、弁護士も検察官もいない。そればかりか、取り締まる人間、つまり警察官、という職業もなかった。これでは誰が誰を取り締まり、誰が裁くのだろう、と考えてしまうのは、僕がまだクチナシ村の新入村民だからだろうか。もしかして、牢獄などの罪人を拘禁こうきんする場所も見張る看守もいなかったりするのだろうか。と、村の仕組みを詳しく聞きたくなったけれど、普段からそういったことを教えてくれる肝心のユウサクが、この三日間、どこを探しても見付かっていなかった。捜索届なんてものもなく、仕方がないので、村で最も土地勘のない自分一人だけで、非効率極まりなく人探しを続けていた。


 書類を探すために彼の家に上がらせてもらったのが四日前のこと。その日はユウサクの留守を不審に思うこともなくそのまま自宅に戻り、元々予定していた事をした。

 見付けた注文書の内容を確認して注文をしてくれた三名の村民の中で最も近い区画に住む男性宅を訪ね、しばらく話をした。話の内容は、当然ユウサクには全く無関係の注文の詳細と世間話を半々。注文は、男性宅の出入り口の木戸の立て付けの修理と隙間風すきまかぜの箇所特定及び修繕である。クチナシ村でユウサクにすすめられて就いた僕の職業は、住宅や既製品などの簡単な修理、簡単な工作など、一言で言えば技師、又は職人、の様なものだ。男性の職業は農家ということだったので、農作物を成功報酬として話はまとまった。クチナシ村法律の第三条、『有形無形に限らず、要求をする際には対価を示さなければならない。尚、対価、及び対価の支払いに係わるあらゆる事項は双方の合意によって決定するものとする』という法律に則り、物々交換の取引が成立したことになる。

 この村では、通貨は存在しない。何もしなくても集会所での定期配当物資があるため死ぬことはないが、贅沢を望めば働く必要がある、というわけで、働いた対価は、農家同士であれば互いに異なる種類の野菜、肉や鶏の卵だったり、農家以外であれば、就いた職種のサービス内容だったりする。ある程度物品の価値の相場感は暗黙的にありはするが、絶対的な指標はなく、時として米一升が家畜の一週間の世話に相当したり、怪我の手当が大根一本で等価となる場合もある。取引をする双方の合意をもって決められるため、物の価値は全て完全に時価だった。

 初の注文内容は、木戸の修理には道具が、隙間風対策には材料がその場では不足していたので、どういった物が適しているか現場を見ながら算段をつけ、自宅に帰ってからは終日その準備に時間を費やした。

 その翌日、つまり今日から数えて三日前、毎日の習慣になっていたユウサクへの挨拶のため彼の家へ訪れた。そこで初めて異変に気付く。前日に訪れた時同様に出入り口が開いたままだったことに加え、集会所で配られた食料にも、その日の昼食時に夕飯にするとユウサクが言ったキノコの串焼きの残りにも手が付けられておらず、その他にも、書類を捜索するのに家中捜索をしたときのまま家具雑貨の類の位置が一切動いていないように感じ、どうしても、昨夜ユウサクがここで生活したようには見受けられなかったのだ。外泊の可能性を考えてその日は様子を見ることにし、昨日とは別の注文者の元に訪れるなどをして一日を過ごした。

 二日前もユウサク宅へ上がったが、部屋の様子からやはり彼が戻った気配が感じられず、心配になってくる。山を散策中に崖で足を滑らせでもしていたら事態は決して平和的とは言えない。ここでようやく、ユウサクがいなくなったことを誰かに相談しようと考えに至った。

 最初に相談したのは、ユウサク宅のすぐ隣、敷地の境界を共有するように隣接こそしてはいないが、距離にして十メートルも離れていない平屋に住むマキという中年男性だ。彼の話によると、隣家とはいえほとんど交流はなかったということで、情報の収穫はなかった。では一緒に探してもらえませんか、と頼むと、マキは臆面おくめんもなく「手伝ってほしいなら先に報酬を示せ」と取引を持ち掛けてきて、事の重大さの僕とマキとの捉え方の落差の激しさに閉口してしまった。

 しかし、クチナシ村では、僕の考え方がマイノリティだということがすぐに判明した。マキ宅を出てすぐ三軒の戸を叩いたが、異口同音でユウサク捜索を断られてしまった。それで自分一人で開始し、昨日は区画外にまで範囲を広げて捜索をした。というのがここ数日の行動である。成果はゼロだった。


 ユウサクがいなくなってからの期間が、仮に山で怪我などをして身動きが取れなくなっていたとしたら命の危険も想定できてしまうような期間になってきたため、今日は、村長のタイラに相談しようと早い時間から家を出ていた。タイラ宅は集会所のほど近くである。三十分間程の距離だったけれど、気がいていたようで、その三分の二でタイラ宅の出入り口前に立つことができていた。時計も何もないので、どのくらい待てば失礼にあたらない時間になるのか分からない。ということで、あまり躊躇ちゅうちょすることもなくの木戸をずらし、「早くにすいません。村長、急ぎの相談があります」と家の奥に声を放る。ほどなくして「あぁ、おはようございます。どうしましたか慌てたご様子で」とタイラが家の奥から現れた。

 毎度感じることだが、タイラは、真っ白い紳士である。髪も眉も、口と顎に蓄えた髭も、全てが綺麗に真っ白だ。それを良しと自認しているのか、服装も含めてホワイトなトータルコーディネートが彼の常だった。年齢は四十代後半ということだったけれど、毛色の事情により、一見したところ初老に見える。しかし芯の通った背筋と、軽やかながらも力強くそれでいて静かで合理的な体重移動は、さすが伝説の殺し屋の異名を持つだけはあった。

「村長、相談があります」

 早速本題に入ろうとすると、普段と何も変わらないにこやかな表情で、「コオロギ君。まずは挨拶をしましょうか」と、挨拶をしない僕に無作法ぶさほうをたしなめてくる。もし彼の異名を知らなかったとしても、圧倒的な迫力をたたえる笑顔には、本能で反応をしたことだろう。猫にでもなった気分で「おはようございます」と、しおらしくさせられた。

「はい、おはようございます。それで、相談とは?」と笑顔を絶やさないタイラは、ユウサクが行方不明になったことや現時点で分かっていることなどの状況報告を、質問を挟むことなく黙って聞いた。最期にタイラに第七条の行使を願い出たが、これはきっぱりと断られた。

 クチナシ村法律は全部で七箇条ある。その最後の条項である第七条は、『村長には従わなければならない』という、シンプルで、乱暴かつ絶大な効果を持つルールだった。タイラがこれの行使を拒否するのは、しかし想定できたことだった。法律は全て村と村民を守るために定められていて、その本来の目的から外れた理由でもって権利を乱用するようなことはいかなる場合においても容認されるべきではない、というのがタイラの考え方だからだ。

 タイラからユウサクの捜索を村民に呼び掛けてもらえれば話が早いと思ったが、それは無理だと分かった。では、と思い「村長、取引して下さい」と、ここに来るまでの間に考えていた、次点の説得方法を試みることにした。タイラは「ほう」と、何やら楽し気に声を漏らす。

「……何と、何の、取引でしょうか」

「村長の朝食を分けて下さい。僕は、村長の代理をしてあげます」

 タイラは、時間が停止したように見開いたままになり、刹那せつなの後、声を張って笑い出した。

「なるほど面白い。面白いです。非常によろしいかと思いますよコオロギ君。そうですか、第三、第四条の掛け合わせで村長権限を獲得し、その上で第七条の行使を図ろうとする魂胆ですね。私から村長権限の奪還だっかんを図っているわけではないから収奪禁止に当たる第二条も適用されませんし、素晴らしいと思います。すごく良い」

 タイラはまくし立てるように喜びを発散させた。この反応には少しだけ不満を覚える。タイラの様子に余裕があるからだ。第七条を僕に使われることは本意ではないだろうから阻止をしたいはず。でも、タイラは、僕が考えた法律を逆手に取った説得方法を何ら意に介していなかった。よもや、ここで第七条を発令させて無理矢理僕を黙らせることはしないはず。それでは、村民のためとうたっているタイラの意向に反してしまうからだ。

 ただ、僕の説得方法は苦肉の策であり、駄目でもともとの策だった。法律の解釈と言えばもっともらしく聞こえるけれど、単なる屁理屈なのだから。

 苦肉の策の内訳はこうだ。

 クチナシ村法律の第四条である『食料、又は医療行為を要求された者は、自らの生活がいちじるしく損なわれる場合を除き、これに応じなければならない』は、別名を生活保護法とし、本来は農業職以外の村民が食事にありつけないことのないようにするためと貧富の格差をならすため、という目的で定められている。それを、タイラの朝食を条件に指定することで取引の成立を義務付けさせる、という野蛮な活用をした上で、第三条の物々交換のルールを適用させて食料の対価に僕の要望である「村長の代理」をえれば、村長代理として堂々と第七条を発令させられる、というものだ。まさに、苦肉の策である。しかしタイラが自身から進んで僕の相談に応じてくれるとも思えなかったので、用意せざるを得なかった策だ。幸運にもタイラから朝食をもらえれば、その後にユウサク捜索の指示を村全域に出せる。

 が、当然、という流れでこの作戦は失敗する。「今のコオロギ君に村長代理を任せたら、クチナシ村と村民に大きな被害が出そうです。従って、私の理念にのっとり、第七条を発令します。コオロギ君、その取引は撤回して下さい」とにこにこしながらタイラは言った。僕は、すぐに使うことになるだろうと用意していた白旗を心の中で振りながら「ですね」と応じた。

「これは正攻法です。つまり、あえて君が作った土俵で戦った場合、すなわち法律という武器で法律という武器を払った形ですね」

「……その言い方だと、もっと他にも戦い方があるみたいですね」

「あります。別の正攻法を挙げるなら、私は食料をその時食べる分しか調達していません。よって、条文にある『自らの生活が著しく損なわれる場合』に該当し、第四条が不成立となります。それから、コオロギ君の希望通りに交渉成立させてしまうという手段もあります。たとえ代理とはいえ、コオロギ君がクチナシ村のリーダーと呼ぶに相応しい人間にまで手取り足取り教育をさせていただくことはやぶさかではありません。君も知っていると思いますが、私はそれなりに忙しい身ですからね。いつでも後継者を探しています」

 タイラは最後の発言から思案するように少し間をおいて、「ああ、それは一興ですね」などと言い始めていたので、慌てて別の思考へ誘導を試みた。

「正攻法以外では? その、後学のために、ですけど」

「そうですね……。交渉成立の直後に今度は私から君に取引を持ち掛けます。取引条件は、第七条を行使しないで下さい。その代わり、あなたを殺しません。というのはいかがでしょう」

「……なるほど。もし取引を断ったら殺されちゃうから第七条の行使どころではないですね」

「あれ、怖がると思ったのですが、圧が足らなかったかな?」

「いいえ。見て下さいよ僕の足。立ってるのがやっとです」

「では論旨ろんしがぶれないのは何故でしょうか」

「ろんし?」

「テーマ」

「ああ論旨。……だって面白いじゃないですか。邪道なのに上手く法律を活用していて、かつ村長自身の特性も活かした方法だったので、感心が勝ちますよ。もし命惜しさに取引が成立したら、それでも僕の希望は叶わないってことですね。……へえ、命も取引条件にさえしてしまえば、本来は命を奪う行為に当たる殺人も単なる交渉の結果になるっていうのも発見です。でも村長、それだと、農家から食料奪い放題になりませんか?」

「なりますね」

 そう言う瞬間だって姿勢を崩さない様子から、タイラの次の発言の予想がついた。「それなら第七条が使えるってことか」と呟くと、タイラは一層にこやかになり、僕の肩に手を置く。圧を感じなかったので、僕の身体は過剰な反応を示さず、甘んじてその手を受け入れていた。

「コオロギ君は良いですね。ご自分の命を軽んじていることがやや心配ですが、学習に対して抵抗がないどころか楽しんでるように見えます」

 この村に対する想いが私と同じになったら本格的に後継ぎとして立候補して下さい、と言い残して、タイラは家の奥に戻ろうとしたので、最後の質問を滑り込ませた。

「ユウサクさんの行きそうなところに心当たりはありますか? それか、ユウサクさんについて詳しい人を紹介してくれるだけでも良いんですが」

「そうですね……そういうことならクロカワさんを訪ねてみてはいかがでしょうか」

「クロカワ? ユウさんと親しいんですか?」

「それは私には分かりません。クロカワさんをお勧めしたのはユウサクさんとの関係性が理由ではなくて、クロカワさん個人が人探しに適任だと考えたからです」

「はあ。人探し……ですか。元刑事とか探偵とかですか?」という質問に対しては、コオロギ君、とだけ言ってタイラは首を振った。直接本人に聞くのが筋、とは思うけれど、それは第一条の個人情報保護法に抵触しないような工夫を要する。よもやタイラは、お手並み拝見、とでも考えているのだろうか。いずれにしても、一度クロカワに会ってみよう、と決めた。

「それにしても、どうしてそこまでユウサクさんに固執こしつするのですか?」

「だって、人が一人消えるなんて、普通じゃないと思いませんか?」

「誰かと出会う、という事象の方がはるかに普通ではないかと」

「え? ……ぇと、ユウさんを探す僕の方が異常で、村人一人の行方不明に無関心な他のみんなの方が普通ってこと、ですか?」

「いいえ。そうは言っていません。私が言ったことは別の話です」

 タイラの言葉を反芻はんすうしてみたが、ユウサクのこととは関係がなさそうだったので考えをやめ、代わりに「村長はあの人の口笛、聞いたことがありますか?」と尋ねた。「なるほど」と頷くタイラは、髭が隠しているので確かではないけれど、片方の口角を上げたように見えた。


 タイラは今度こそ部屋の奥に戻っていった。彼の朝食の邪魔をするのも気が引けたので、これ以上食い下がることはしない。しかし、出入り口の方向へ身体を反転させたとき、今度はタイラの方から声を掛けられる。

「第五条と第六条をお忘れなく」

「え?」

 振り向いたそこには既にタイラの姿はなかった。

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