「普通過ぎて異常」を書く

※今回の話には、空の境界、およびDDD(著:奈須きのこ)」の内容に触れる部分がございます。ご注意下さい。

 

 前回の「無自覚な天才」についての話題の続きになります。

 作中人物、あるいは読者が普通に気付く“無自覚の才能”はわざとらしくなってしまう。

 それを防ぐには、才能の持ち主本人だけではなく、周囲や、更に言えば物語を俯瞰している読者すらも気付きにくいものにした方が良いのでは。

 それには「主人公が社会常識に溶け込んでいて、なおかつ、社会が主人公の才能を見過ごしてもおかしくない」状況にするのが、一つの解決法なのではないか。

 ここまでが、前回の考察でした。

 そんなわけで、私が自著のマジクック(以下略)でやった事例や、市販の作品で該当しそうな事例を見て行きます。

 

 これも前回の繰り言になりますが、魔法至上主義の文明があったとしたら、やはり人の能力は魔法の強さで判断されがちだと考えます。

 勿論、対モンスターでの戦術眼とは、魔力が直接関わらない体一つの能力ですし、軍師としてはっきりとした成果を出せば認知されるかも知れません。

 実際、仲間の方が化け物揃いで戦闘力は並程度の軍師タイプを主人公とした作品は、市販でも多く見受けられる事でしょう。

 それでも「洞察力が素晴らしくて魔法は二流」と「洞察力がそこそこ素晴らしくて魔法も一流」とでは、やはり後者が評価されやすい筈です。“魔法”を“現場仕事”に置き換えても良いかも知れません。

 まず、マジクックの主人公はこのタイプを兼ねています。

 当作品の(Bランク以上の)魔物は、基本的に一体発生しただけで即戒厳令、10人以上のパーティでも壊滅リスクあり、都市破壊級……と言うものが大半なのですが、

 主人公はそんなものと真っ向から対峙し、這う這うの体で追い立てられながらも、敵の特性をほぼ瞬時に見抜いています。(火を操る魔物=放熱している=見た目に反して火に弱い、など)

 ダークソウルなどの死にゲーをやっているとわかりますが、攻略情報も無しに容赦なく襲い来るボス敵と戦おうとすると、まあ“わからん殺し”を食らって唖然とさせられます。タネがわかると、「ああ、この挙動はこういう意味なんだな」と納得できますが、初見で弱点や対処法を見破るなんてほとんど無理です。

 命の懸からないテレビゲームですらこれなので、敵の性質が千差万別なリアル魔物戦などがあれば、もっと悲惨な事になるでしょう。

 その世界では、最初の数回、魔物と交戦したパーティがその特性を解析し、情報を持ち帰って次の別パーティやリベンジ戦の作戦に繋げています。(無論、初回で討伐に成功する場合も多々ありますが)

 つまり(先発隊を数回送れば辛うじて)誰でも出来る事をやっていたわけです。

「誰でも出来る事」よりは、派手な上位炎魔法をぶっぱなせる方が偉い世界観では、地味な活躍です。

 なおかつ読者に対しては「誰でも出来る」事実のみを見せ、それが「特別卓越した戦術眼」である事は伝えない。

 落ちぶれた追放パーティの弱い者イジメ以外に、比較対象となる戦闘描写もなし。

 後は、追放されたパーティでそれが認められなかった理由を考えるだけでした。

 

 また、終盤の主人公は、投げナイフ等の投擲武器を、敵の動線さえ読めれば100パーセント命中させられる特技を持っていますが、これもさらっと流しましたが人間業ではありません。

 投擲物の重さと形状に対して、どれくらいの力を込めて投げると、物が何回転するのかを、何の魔法的要素も無しに演算してのけています。

 この特技が活きる場面では、主人公の仲間が都市破壊級の魔法を乱発すると言う猛威を振るっていた為、これも良い隠れ蓑になりました。

 また、この世界の人々は多かれ少なかれ自己強化の魔法で身体能力を強化されている為、前衛などは見た目的にもっと凄い動きをしているのも、この投擲を地味に見せた原因です。端から見れば、単に武器を投げている以上でも以下でもなく、本人としても大したものでは無いと完全に思い込んでいます。(実際に優秀な前衛なら、魔法の助けを借りて同じ事が出来るのでしょうが)

 魔法至上主義の世界においては「魔法を一切使わない超人業」のご都合主義ぶりだとか、ある種都合の良い主人公補正だとかを隠すのには、うってつけだったりするのです。

 

 だからと言って、広告でよく見かける「滅茶苦茶フィジカル鍛えまくって、上位魔法使いを凌駕」と言うようなやり方では難しい筈です。

 目立って仕方がないので。

 

 市販の作品では、空の境界が良い手本になります。

 この作品の主人公は徹頭徹尾“普通”の凡人です。

 そんな彼が異能使いや魔術師の引き起こした怪異にことごとく巻き込まれ、あっさりやられてヒロインに助け出されると言うパターンが鉄板ですらあります。

 しかし。

 敵も味方も頭のおかしい異能使いや魔術師である中、最後まで“普通”であり続けた彼は何なのか? と言う疑問を投げ掛けられると、見え方が一変します。

 今までの常識が崩壊するような出来事に何度も遭遇し殺されかけて、挙げ句、命乞いをするべき場面で、敵に半ば愛情を求められた際に「(自分が誰かの特別になる=“普通”から外れるのは)つまらなさそうだから、(気持ちに応えるのは)やめておく」としています。

 それこそ“普通”は、ここまでの目に遭えば、誰しも何らかの変動を見せるものです。

 大体、世の中で“平均”に近い生き方をしている人々とて、最初から“普通”である事を望むわけではないし、誰かを特別視したりされたりしていますから、ブレない“普通”などと言うものはあり得ない。

 つまり、常軌を逸した人物による怪異を散々派手に書ききった上で「普通から一ミリもブレない彼が一番壊れている」と言う結論が突きつけられるわけです。

 結末としてはそこ止まりでは無いのですが……それはまた別の話。

 

 同作者のDDDにおいては、作中最強最悪の異能使いと互角以上に渡り合える唯一の人物が「何の特殊能力もない警察」だと言うのも衝撃的でした。

 武器は拳銃とショットガン、後は自ら研鑽した体術のみ。普通、この手の話では真っ先に殺されるやられ役のような人物です。

 ただ、だからこそ、この人物の純然たる戦闘力が映えるのでしょう。

 先程引き合いに出した「滅茶苦茶鍛えまくって~」の例と似ているようですが、こちらは滅多な事で戦わない(作中1回だけ)……やはりひけらかしていない点が違うと思います。

 異能や魔法が猛威を振るう世界で高位の能力を振り回して無双するのは、創作と言う意味でも、作中に生きる人物と言う意味でもある意味では“簡単”なのです。

 そんなわけで、奈須きのこ作品は「セオリーの壊し方」を学ぶのにもうってつけだったりします。

 奈須きのこを参考教材にすすめるのも、ある面ではどうかとも思いますが……。

 

 人は恐らく「見て見て!」とひけらかされるよりも、隠そうとされるものの方を見たがるのでは無いかと思います。

 あるいは、奈須きのこ作品でよくあるような「一番まともだと思っていた人が一番壊れていた」と言うのは、二度読み直すと、背筋がぞくりとするものです。

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