第4話 空を渡る

 「ランに怖いものがないと思っていたんです」

 「そうよ。何?」

 「じゃあ、なぜ今びくびくしているの?」

 「高いどころはちょっと苦手だから」

 「高い所が怖いんですね。意外」

 「怖くない。ちょっと苦手だけだ。ほんのちょっとだけ」

 「へー」


 これ以上なめられるとたまるか。と自分を追い込んで一歩進んだ蘭は、あごを上げ、上しか見ていない。

 あおげば青空あおぞらを支える千丈せんじょう絶壁ぜっぺき、鷹すらしのげない雲が近く見える。


 「ちゃんと足元を見て歩いてね」


 メイに注意され、蘭は下を向き、全身が一瞬に冷えきった。

 俯けば地獄へ続く万仭まんじん深淵しんえん、竜すらさかのぼれない激流げきりゅう万雷ばんらいのようにとどろく。

 蘭と梅は、桟道さんどうを渡ろうとしている。

 「道」と呼ばれるといえども、絶壁にまれた無数の木杭きくいの上に架けた狭い木の板からなる桟道は、一人で歩いて渡れる最低限の工事しか施されていない。

 固まってしまった蘭と異なり、梅は平地を歩くようにどんどん前へ進んでいく。


 「はじめて桟道を渡るんじゃないでしょう?速くしないと日が暮れるよ」

 「そうだけど、よっぽどの理由がないと二度と渡らないと思っていた」

 「一生そこでたたずむ気?置いていっちゃうよ!」

 

 梅の姿がだんだん離れていく。

 一人で心細くは決してないけど、フーと大きく気を吐いて、眩暈めまいが吹っ飛ばされるほど頭の中が真っ白になった蘭は再び歩きだした。

 

 「いやっ、そんなにいそがなくてもいい!気を付けて!」


 腹をくくった蘭はさきと全く別人のような速い歩調でどんどん前へ行く。

 梅は余計な心配をしているんだ。桟道なんか大したことはない。

 と笑みを浮かべる蘭だったが、軋む足元の板が急にばきっと折れた。


 「蘭!」


 血相を変えた梅は帰ろうとしていた。


 「来るな!来ても役に立たないからそこで動くな!」


 木杭に両手で必死にしがみつく蘭は大声で梅を呼び止めた。

 折れた板がコン、コンと岩壁に打って落ちていく。

 呼吸をととのえる蘭は目の焦点を隣の木杭に当てる。

 ぎりぎり届けそうだ。

 幸い、板は一枚しか折れていないから、隣の木杭を掴まってよじ登れば、旅を続けられそうだ。

 左手を放し、隣の木杭に伸ばそうとする蘭の動きを、メキっと立つ音が止めた。


 「ちっ、こっちも折れるか…」

 「まず荷物を捨てて!」


 梅の意見はごもっともだ。

 重量を減らせば身体を安定させることができるし、隣の木杭に身を移すのも容易くなる。

 

 「馬鹿言え!」

 

 と蘭が大喝するとたんに、木杭がまたメキっと音を立てる。


 「そんなもん捨てろよ!命より大事なものはないよ!」

 「捨てる、ものか!」


 バキっと木杭が折れるとほぼ同時に、蘭は剣を岩のひび割れに刺さり込んだ。

 体重を剣に懸けた蘭は、すこし左の木杭に近づき、猶予なくよじ登って隣の板の上で立ち直った。

 次の瞬間に、岩壁の表面が剥げ落ち、蘭の剣も深淵へ墜落していく。




 梅に続き、ようやく桟道を渡りきって、蘭は地に足を就いた。

 二人が歩くと、地がますます平坦へいたんになり、道らしく道が続く先に、何戸かの炊煙すいえんが立ち昇る。

 梅は足を止めた。


 「どうかした?」

 「いいえ、別に」


 蘭は梅と肩を並べて、一緒に村を眺める。

 しばらくたって、梅は何か気づいたように呟く。


 「なんか変わった」

 「変わったね」

 

 丸腰になった蘭は、少しだけ手が寂しいと感じ、腰あたりで拳を握る。

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