第2話 雨音に歌声

 ドカンっと扉が力強く開けられ、招かれざる客二人が固まっていたような薄闇うすやみに割り込んだ。

 外の土砂降どしゃぶりの音が扉の向こう側を賑やかにする。


 「濡れてない?」

 

 傘をしまうメイは自分についていけなかったランに気を配る。


 「大丈夫だ」


 と答えながら、蘭は傘を地に置き、の木箱を背中からふところに移し、ついている水滴すいてきを手で拭きはらう。


 「ずぶ濡れじゃない」

 「心配ない。ランタンも大丈夫だ」


 持ち上げられたランタンが蘭の横顔を照らしだし、頬に密着する髪の毛に沿って雨水がしたたる。


 「ひどい顔」

 乱れた濡れ髪に黒ずんだ目のクマ。梅は言葉選ぼうとしてもこうしか言えなかった。


 「傘が小さくないけど、荷物が大きすぎるから、こうしかならなかった」

 「捨てないのは分かったけど、そんなに大事にする必要ある?」


 梅と口論したくない蘭は扉を閉め、荷物の木箱を背負いなおし、少し明るくなったランタンを上げて建物の奥へ歩く。

 青苔せいたいまみれの壁につるが気ままに這い伸びている。手入れされてなさそうな屋根からぽつぽつと雨がもれて、雑草ざっそうに押し上げられたタイルの下で水たまりとなる。


 「聖堂だったみたい」


 奥の階段を登り、祭壇に立つ等身大の神像しんぞうに灯りを当てる蘭は言った。

 神像の左手は胸に当て、右手は前へ差し伸べている。開いたてのひらは二人を歓迎かんげいするようだ。


 「お邪魔します」


 神像の前で、梅は掌を合わせる。


 「こんなすたった神像に構わなくていい。もう何の力もない」

 「蘭に罰が当たりますよ」


 神像と梅を無視し、祭壇の上に枯れ枝と朽葉くちばをかき集めた蘭はランタンの小窓を開けた。

 ランタンから噴き出した火炎かえんが朽葉の山をけ、また消えそうなとろ火に戻った。

 荷物を下し、薪火まきびの隣で横になり、手枕をする蘭は目を丸くして梅を見つめる。


 「なによ、そんな目で人を見て」

 「見てない。寝ているだけ」

 「寝るなら目を瞑りなさい」

 「眠れないから目を開けている」

 「開けているから眠れないのです」

 

 蘭の目線を避け、梅は薪火の隣で腰を下ろした。


 「蘭はなぜ引き受けたのでしょう。この荷物の届けを」

 「こっちも聞きたい。何故梅は故郷なんかへ帰りたがるんだろう」

 「お母さんともう一度会いたいからです」

 「じゃあなぜ出稼でかせぎに?そうしなかったらいつもおふくろの傍でいられるじゃない」

 「これはこれ、それはそれ」


 蘭は少し目を細めて足を組む。


 「まあ、結局稼いだ金は全部私の報酬になる」

 「全部とは言ってないわよ!」


 梅はふっくら面でこぶしを上げ、広い袖がずれ落ちて手首が見えるようになった。


 「おまえがこんなにうるさい奴とでも知ったらもっと取るべきだったなぁ。その腕輪も頂戴しようか」

 「これはダメ!これがないとお母さんが私だと分からないだから」

 「冗談だ冗談。そんな安っぽいもんは取らないから安心しろ。まったくおまえが騒ぐとこっちは余計に眠れないじゃないか」

 「さすがにあんたはそこまで人が悪くないわ。信じてます」

 「全然信じてそうに見えなかったけど」


 ほっとする梅は身を蘭の頭に寄せ、目線を下げると、まだ屋根裏と睨めっこしている蘭の目を見た。


 「本当に眠れないですね」


 蘭は瞬きをして、黙って睨めっこを続ける。


 「膝枕ひざまくらでもしてあげましょうか」

 「気持ち悪いからけっこう」

 「あんたほんっとうに口が悪すぎ」


 蘭は否定も肯定もしなかった。目がつぶらに開けているが、どうやら眠りたいのが本気だ。


 「じゃあ、歌はどう?あんたを落ち着かせる歌」


 蘭が何も言わないのは歌って欲しいと受けて、梅は背筋を伸ばし、歌い出した。



 幾度も川を渡ったのは

 見たいから

 あの川をもう一度

 歩いていた浅瀬

 忘れはしない


 幾度も街を後にしたのは

 見たいから

 あの街をもう一度

 眺めていた尖塔せんとう

 忘れはしない


 幾度も人と別れを告げたのは

 会いたいから

 あの人ともう一度

 見せてくれた笑顔

 忘れはしない



 歌の余韻よいんは、蘭の穏やかな寝息に溶けていく。

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