はじめての。


「お前……その意味、分かっているんだよな?」


 その宣言の意味は詰まるところ

 今まで散々読んできたエロ漫画の中の世界でしか見ることのなかったこと。愛を確かめ合うためにする、子をなすためにする夫婦の営みを、彼女としても良いということ。


「わ、分かっているわよ……!あたしの……、あげてもいいってことだよ」


 大人並みに知識をつけた姫は、当然それら全てを理解した上で言っている。

 それはオレ達が絶対に越えないようにしていた、禁断の分水嶺ぶんすいれい

 これを越えたらもう後戻りは出来ない。

 滅びへと一直線に転がり落ちる、がけ見紛みまご堕天だてんの道だ。


「お前、まさか――」

「違うからっ!パパ活でも援助交際エンコーでもないからっ!」


 再び身売りの真似事をしようとする気なのかと思ったが、オレの言葉は姫の否定の叫びによってさえぎられる。


「あたしだって意味分かんないよ……」


 顔をくしゃっとゆがめて、姫は力なくしゃがみ込む。

 その表情は羞恥しゅうちによる赤面とも葛藤かっとうによる苦痛ともとれる、複雑に煮込まれたとらえどころのない色をしていた。


「お兄さんはロリコンだしエロ本ばっかり読んでる変態だし……おしゃべりも下手くそな陰キャさんなのに……」


 そして今度は唐突とうとつなディスり。

 しかしそれはオレに向けた罵倒ばとうではなく、姫が自分自身に言い聞かせるためのもの。

 次の言葉をつむぐための、最後の一押しだった。


「あたし……多分、お兄さんのことが…………好き、なんだと思う」


 それは、姫が絞り出した告白の言葉。

 裸をさらすことすらいとわなかった彼女の、年相応の恥じらいが混じった必死の告白。

 だからこそ、直感で分かった。

 この『好き』は違う。間違っても『LIKE』なんかじゃない、と。


「変だよね、こんな……、こんなのがの相手だなんて」


 ……『こんなの』って、それを本人の前で言いますか。

 まぁ、はたから見ればれる要素なんて見当たらない、姫がディスった通りの人間だ。不思議がるのも無理はない。


「別に……変じゃねーだろ」


 むずがゆくて居心地が悪く、オレは自分の頭を乱暴にく。

 姫の告白のせいじゃない。彼女の気持ちには何となく気が付いていたから、驚きはそこまでない。

 それよりもオレの心を乱している理由は――


「オレも分かんねーんだよ、自分のことが。姫のこと……意識しちまう」


 ――自分もをしていたと気付いてしまったから。

 いじめられている彼女を助けたい。

 少しでも幸せな環境にしてあげたい。

 姫のために何かをしたい……という思いがずっとオレの心の奥底でくすぶっていたのだ。

 赤の他人のはずなのに。

 それはどうしてなのか。

 もう、疑う余地はない。

 オレが、姫のことを好きになっていたからだ。


「何よ、それ。あたしのこと好きってこと?」

「ああ、そうだよ!オレも好きなんだよ、お前のことが!」


 言い直させるなよ、はっきり言葉にすると余計に恥ずかしい。

 でも、思い切ったらちょっとスッキリしたかも。


「きゃはっ。なぁんだ、両想いじゃんあたし達」


 姫は八重歯やえばのぞかせて笑う。

 あざけりなんて欠片かけらもない、純真無垢じゅんしんむくで幸福な笑みで。


「あ、でもさっきの話は、あたしが大人になってからだからねっ」

「さっきの……?」

「だからっ!はお兄さんと……ってこと」

「あ、当たり前だろっ!」


 しゃがんだままの姫の前に腰を下ろして目線を合わせ、すかさずそこでチョップを一発。

 お仕置き兼照れ隠しだ。優しく当てたので許してくれ。


「あ~、お兄さん。今日が童貞卒業記念日だって期待してたでしょ~?」

「はぁっ!?し、してねーしっ!?」

「すぐそこにラブホあるもんね、妄想もうそうしちゃっても仕方ないよ。うんうん」

「小学生が入れると思っているのか!?」

「期待したところは認めるんだ~」

「認めてないから!盛大な誤解だから!オレは断じて期待してないから!」


 オレ達はしゃがみ合ったまま、今までと変わらないあおりとツッコミの応酬おうしゅうだ。

 まったく、気を許した途端にコレである。

 いくら両想いだからといって、この年の差ではダメだ。成長するまでは清い付き合いをつらぬき通さないといけないってこと。……もっとも、それまでオレのことを好きでいてくれたらの話なんだけど。


「とにかくっ!そっちのはまだあげられないからっ!けど――」


 不意に、くちびるに触れる柔らかな感触。

 視界いっぱいに広がるのは目をつむった姫。

 それは、まぎれもなく……。


「――こっちの分は……今あげちゃった❤」


 ファーストキス。

 それは姫にとっても、オレにとっても。

 一生に一度の、初めて。


「大人のキスはまた今度ってことで」

「お、おぅ……」


 怒濤どとうの展開に、脳の処理が追いつかない。

 オレは呆然ぼうぜんとしたまま、姫のとろけた瞳を見つめるだけ。


「それじゃあね、お兄さん。また明日」

「ああ、また……明日」


 姫が去って姿が見えなくなるまで、オレはずっと固まったままだった。




 ……遂に姫と本物のキスをしてしまった。

 まだ心臓がバクバク鳴っていて、興奮は収まりそうにない。

 彼女の全裸を見たことがある。

 一緒に風呂やトイレに入ったこともある。

 秘所に直接触れてしまったことだってあるんだ。

 何を今更、キスなんて子供っぽいことで戸惑っているんだ。

 でも。

 このキスはただの行為ではないんだ。

 遊びじゃない。好きな人同士が愛を確かめ合う、特別なことなんだ。


 唇が重なるあの瞬間が何度もフラッシュバックする。

 うるおい豊かな柔らかさが幸福感をもたらす感触。

 そして伝わってくる酸っぱさ。


 ん、酸っぱさ……?


 ファーストキスはレモンだのイチゴだのだとか、よく甘酸っぱい味と言われる。本当にそうかは別として、オレの場合はやけに酸っぱかったぞ。

 それは青春の雰囲気とか、そういうレベルじゃない。

 味覚として認識する明らかな味で……。


「……あ」


 そういえば、さっきまで姫はゲロを吐いていたな。

 もしかして酸味の正体って胃酸いさん……?


「……う、うぼろろろろろろろろろろ」


 もらいゲロ。

 ファーストキスは胃酸風味でした。


 

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