第五章:行末

何があった。


 キスをしてしまってからしばらくして。

 オレ達の関係は特別深まることなく、これまで通りの平凡な毎日を送っていた。

 エロ本を読み漁りメシを喰らってオレを煽り散らす。ただそれだけの日々。あれからもう一度キスをすることはなく、それ以上の行為もないままだ。それどころか自分の『LOVE』を伝えようとする気配さえない。別にイチャイチャを求めているってことじゃないけど。


 あのキスは、あの告白は本心なのか。改めて聞きたいという気持ちと全部なかったことにしたがる気持ちが鍔迫つばぜり合い、そのせいで最近はずっともやもやしっぱなしだ。

 人付き合いが下手くそなオレに、繊細せんさいで移り変わりやすい乙女心をくみ取るなんて不可能。そこに小学生という要素まで追加されているのだから、完全にお手上げである。ヘルプミー。




 夏休みはもう終盤。暑さとせみの勢いは留まるところを知らないというのに、カレンダーが示す日付は非情だった。

 さて、ここで問題となってくるのが『夏休みの友』の残りページ数だ。当然大学生のオレの話ではなく、姫のことである。

 彼女は超が付くほどの勉強嫌い、更に休みの間はずっとオレと遊んでいたので勉強なんて全くやっていない。楽しい時間を勉強なんかに割きたくない気持ちは分からなくもないが、サボるのにも限度というものがある。

 このままの状態で課題を先生に提出したらどうなるだろうか。このご時世じせい古いアニメみたいに廊下に立たされることはないだろうが、職員室に呼び出しは避けられないだろう。そしてコッテリ怒られて、それらが全部終わらせるまで監視の目が光り続ける毎日を送ることに……。

 可哀想かわいそうだが、全部勉強を放棄していた姫が悪い。


 そんな最悪の未来を回避するためにも、残り少ない休みを使って課題を全て終わらせる必要がある。

 幸いなことに自由研究や読書感想文、絵日記といった時間がかかる難敵はない。溜まっているのは『夏休みの友』のぶ厚い冊子さっしに加えて漢字の書き取りに計算問題のプリント、それぞれが山のように。

 もう遊んでいる場合じゃない。死にものぐるいで取り組まないと間に合わない量なのだ。なんで一文字も書いてないんだよ、オイ。


 ということでオレの家に遊びに来ても、やることは勉強オンリーにするしかない。算数に関しては基礎からボロボロなのでオレがフォローしてやるが、漢字の書き取りはひたすら書くしかない。腱鞘炎けんしょうえんになる覚悟があるのなら、最終日に一気書きするというもの手だ。無論、オススメはしないが。


「来ねぇ」


 だが、姫は家にやって来ない。

 前日にきっちり説明したことが裏目に出たのだろうか、勉強地獄と分かりきっているなら遊びに行かないということなのか。

 逃げたところで最後に泣きを見るのは自分だというのに。それどころかもっと悪化することが目に見えているというのに。その浅慮せんりょっぷりは小学生らしいな。褒められたことじゃないけど。


「……でもあいつ、どこにいるんだ?」


 自宅にいる可能性は高いものの、彼女の家に遊べるようなものは少ないらしい。だからオレの家に入り浸っていた訳だし、丸一日時間を潰すのは辛いんじゃないかと思う。小学生の頃は時間が過ぎるのを長く感じるし。

 だとすると公共施設とかショッピングモールあたりか。だが友達のいない姫が一人で出入りするとは考えられないし――


「……まさか」


 ――まだあった。もう一つの可能性。

 それが未だに来ない原因かもしれない。


「だとしたらヤバイな……っ!」


 身支度の過程を全てすっ飛ばして、急いで玄関に向かう。

 オレが危惧きぐしたもう一つの可能性。

 それは……いじめの主犯格に見つかってしまった、ということ。

 水野、山吹、朱本。

 ここまでの道中、ヤツらと鉢合はちあわせしてしまった可能性は十分に考えられる。実際に出会ってしまったせいでいじめられていたことがあったのだから。

 あの三人は小学三年生のくせに容赦ようしゃがない。圧倒的権力で弱者を押し潰す卑劣ひれつな連中。もし以前と同様の状況に追い込まれているとしたら、ろくな抵抗が出来ずに姫は一方的にやられてしまう。


 事は一刻を争うかもしれない。

 焦燥感に駆られたオレは玄関から飛び出す。


「……え」


 照りつける日差しが反射し、周囲は真っ白に焼けて輝いている。

 その中にぽつんとたたずむ少女が一人。

 ――姫だ。


「……何が、あったんだよ」

「……」


 だが、いつもの姫じゃない。

 目はうつろで焦点が定まっていない。

 ボブカットの髪は乱れてボサボサだ。

 それに体中傷だらけで、ターコイズブルーのワンピースはけている。


「……と、とにかく中に入れ」


 明らかに尋常ではない姿。

 このまま玄関先で、周囲の好奇の目にさらしていいはずがない。

 オレはボロボロになった姫の手を引こうとしたが――


「…………触らないで」


 ――彼女のか細い拒否の意に、オレの手は止まる。


「あたし、汚いから……触らないで」


 声を震わせる姫。

 そんな彼女の体からはアンモニア臭が漂っている。まるで公衆便所の片隅のような、濃縮された尿にょうに類似する悪臭だ。しかもショルダーバッグにまで臭いがこびり付いている。

 これはらしたんじゃない、


「いいから入れっ!」


 オレは有無うむを言わさず姫を家の中へと抱え入れる。

 そしてそのまま風呂場へと直行。

 姫は……ほとんど抵抗しなかった。

 いや、する気力もなかったのだろう。

 まるで着せ替え人形みたいにされるがままだった。

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