堪忍袋の緒が切れた。


「何よ、これでも不満なの?ロリコンのくせに」


 はたかれて赤くなった手をさすりながら、姫がにらみ付けてくる。だが、その瞳には怒りと共に恐怖の感情も見て取れる。

 それもそうだろう。今までどんな理不尽なことにも従ってきたオレが手をあげたのだから、身の危険を感じて当然だ。


「あ、あたしもちょっとやり過ぎたと思ったのよ。だからお返しに見せてあげたのに……これじゃあ足りないっていうの!?」


 きっと喜ぶだろうと思ってやったのに何故なぜ

 童貞のロリコンならどんな対価を払ってでも見たいだろう桃源郷とうげんきょうのクレバス、それさえ見られたら誰だって言うことを聞いてくれるはずなのに。

 そんな思いからの叫びだろう。

 だけど、オレにはそんな自分の身体を売り物にした考え方が許せなかった。

 どうやらオレは自分で思っていたより『まとも』な人間だったらしい。

 咄嗟とっさのことで桃源郷を目に良く焼き付けようとか写真を撮れば良かったとか、そんなよこしまな感情が湧くこともなく。ただただ嫌悪感だけがあった。


「たっ、足りるとか、足りないとか……そ、そんなことじゃなくて……」

「違うって言うのっ!?どうせ男なんてエッチなことにしか興味ないでしょ!?」

「そ、それは……確かにそう……では、あるけどさ」

「ほらやっぱりっ!だったら正直になればいいじゃん!ただで見られるんだよ!?お得でしょ!?」

「と、とと得かどうか……って話じゃなくて」

「ああそう、見るだけじゃ嫌だよね!?触りたいよね、犯したいよね!?散々犯罪だからダメって言ってたけど、本音はどうせそうなんでしょ!?」


 姫の一方的なまくし立てのせいで、オレは全然反論出来ない。小学生相手に説得すらままならない。


「ち、ちち違う……っ!オ、オレが言いたいのはそうじゃなくて……とに、とにかく落ち着いて聞いてくれっ!」


 オレに悪意はない。

 それを示すために両手を挙げて一歩近づいた瞬間――


「来るな、ロリコン野郎!」


 ――ばしんっ。

 オレの顔面に買ったばかりの単行本が投げつけられた。


「うぉっ!」


 人が楽しみしていた本を先に読んだ挙げ句、ぞんざいに投げつけるなんて。

 温厚なオレでも、さすがにキレそうになるぞ。

 だが姫はそんなことお構いなしに、ベッド周りに置かれた物を手当たり次第投げつけてくる。

 まくらにティッシュ箱、充電器などなど。

 そして――


「痛ぇっ!?」


 ――目覚まし時計。

 がいんっ、と耳障りな金属音が響いた。

 見事にストレートでひたいに激突したが、幸い流血沙汰りゅうけつざたにはならず。

 だが、オレは遂に怒り心頭。


「いい加減にしろ、このクソガキィッ!」


 ガシャァンッ!!

 オレは拾い上げた目覚まし時計をぶん投げ、姫の足元に叩きつけた。その衝撃で乾電池やらベルの部品やらが弾け飛んでいく。


「ひぃ……っ!?」


 烈火れっかごとき怒りを目に宿してギロリと目をくと、姫が小動物のような悲鳴を上げてすくみ上がる。そのか弱い身体はだんだんと震えだし、部屋の隅へと後退していく。

 恐怖でおびえているのがよく分かる……ほんの少し怒りを見せただけなのになんて弱いんだ。

 さっきまで調子に乗っていたくせに、今更しおらしくなっても遅いんだよ。


「よくもまぁ好き勝手してくれたなぁ、オイッ!?」

「ご、ごめんな……っさい……」


 床に散乱した私物を蹴り飛ばし、姫の胸ぐらを掴んで恫喝どうかつする。姫は息が詰まったようにえな謝罪の言葉を口にする。先程とは打って変わって弱々しくて滑稽こっけいだ。

 ああ、これは初めての経験だ。ずっと他人にされるがままだったオレが、人を責め立てる立場にいる。調子に乗ったメスガキをらしめる立場にいる。こんなに優越感にひたれるのか。おかげで鬱屈うっくつした感情が爆発的に吹き出し、心地良い解放感まであった。

 このままの勢いでまりに溜まった怒りをぶつけてやろうか。二度となめたこと言えないくらいに恐怖を味わわせてやろうか。

 なんなら今までの人生でいじめられてきた分の憎しみも全部、こいつで吐き出してスッキリ満たさせてもらおうか。

 そんなことを思ってしまったが――


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……あたしが悪かったです……ごめんなさい……だから、叩かないで……!」


 ――姫の無抵抗な姿を見て、ふと我に返った。

 姫はうつろな瞳からぼろぼろと涙をこぼし、ぶつぶつとうわごとのように謝罪の言葉を繰り返している。これからどんな目にうのだろうか。想像も付かないほどむごいことをされるのだろうと恐れているに違いない。


 ああ、まるで昔のオレみたいだ。

 暴力に怯えて許しをい、ただ震えてその時間が過ぎるのを耐えて待つ弱者のあわれな姿。

 姫には今のオレのことが……オレをいじめたヤツらと同じ、暴力の権化ごんげにしか見えないだろう。

 オレは、自分をしいたげてきたクズ共と同類になろうとしていたのだ。


 姫は確かに生意気で迷惑極まりないくそったれなメスガキだ。自分は不法侵入するくせにオレのことを性犯罪者だと言っておどす。そのくせ自分のことは『子供だから』とたなに上げる、自分の立場を利用する悪知恵持ち。こいつのおかげでオレの平穏も安寧あんねいも全てぶち壊された。

 正直、痛い目に遭わせてやろうかと何度も思ってしまった。

 だけど、実際にこんな風に怯えて泣かれると、胸が締め付けられて見ていられない。


 オレも甘い。甘過ぎる。

 今まで狡猾こうかつな女子の涙のせいで貧乏びんぼうくじを引かされ続けたというのに、結局こうして非情になりきれずにいる。

 やっぱり、オレはまだ『まとも』な方なんだ。

 悪者になりきれない、中途半端なヤツなんだ。


 

  


 

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