傷だらけの理由。


 オレは胸ぐらから手を離し、姫を解放する。

 姫はしりをぺたり、と床につけてへたり込んでいる。さっきまで殴りかかってきそうな相手が急に手を緩めたことに戸惑っているのだろう、不思議そうな視線を送ってきている。

 だが、その両手はいつこぶしが飛んできてもいいように、震えたまま顔の前で交差して構えられていた。


 ……せめて、彼女の警戒を解かないと。

 本当のオレは暴力なんて振るえない。むしろ逆の振るわれる立場にいる、恐れる必要のない人間だということを彼女に伝えないと。

 そうしないと、もうまともに話し合うことなんて出来ない。正真正銘しょうしんしょうめい、子供に害なす悪人扱い間違いなしだ。


 じゃあそのために一番分かりやすい方法は何だ?

 刑事ドラマみたいに『話せば分かる』って説得するのか?

 そんなのオレには絶対無理だ。口先だけでどうにかなるなら長年コミュ障なんてやっていない。友人や恋人だってとっくに出来ているはずだ。

 なら、どうすればいい?

 話すことが下手くそなオレはどうすればいい?

 言葉より伝わるものはなんだ?

 ああ、そうだ。

 証拠しょうこを見せればいいんだ。

 オレのことが怖くないと分かる、一番の証拠を。

 でもそれはしたくない……でも、それしか思いつかない。

 彼女の知らない、オレのことを伝えるしかないんだ。


「……な、なぁ。こ、これ見てみろよ」


 オレはいまだに恐怖でおびえる姫を刺激しないよう、おもむろにシャツを脱ぐ。「いきなりどうした」と言いたげに目を丸くする彼女はそのままに、オレは上半身裸になった。


「え、え……?」


 脱衣したオレを見て、姫は疑問の声をかすかに出しているだけ。突然脱ぎ始めるという謎の行動に対してではなく、服の下に隠れていた傷だらけの体に。

 出来ればこれから先の人生、誰にも見せたくなかったズタズタになった体。

 オレは、その秘密にしていた肉体を彼女の眼前でさらした。


「こ、この傷……どっどうして、出来たと思う?」


 胸に伸びている、白く浮き出た一本線。色白な肌でも一際目立つ、不自然な一文字。

 オレはそれを緊張で震える指でさし、姫に問いかける。


「けん、か……?」


 か細い声だったが、彼女は答えてくれた。先程よりかは怖がっていなさそうだった。


「はは。そ、そんなんじゃないよ。こ、これは……き、られた傷なんだ」


 斬られた。

 ……どうして?


「オ、オレはさ……い、いじめられてて……ナ、ナイフでスパッと……」


 これは名誉の傷でもなんでもない。

 無抵抗なまま、面白半分でつけられた無意味な傷。

 一生消えることがないだろう、刻み込まれた負け組の烙印らくいんだ。


 そう、オレは万年負け組のいじめられるためだけの人間。散々同年代からしいたげられ、今でも年下の女の子に利用されているダメ人間。

 それが分かれば、彼女もきっと怖がらなくなるだろう。その代わりに一生奴隷どれい扱いかもしれないけど。


「こ、こっちの丸いのは……タ、タバコでジュッと……」


 火を押し付けられた跡。

 お腹を灰皿代わりにされた時についた。


「この……ぽこってところは……ち、彫刻刀ちょうこくとうで……」


 肉をえぐられた跡。

 やられた直後に、傷口からどばっと血があふれ出たことはよく覚えている。


「そ、それから……こっこれは、カンナでけずられ……あ、カンナ……し、知らないよね?」


 皮ががれたせいでシミになった跡。

 ……これは、何でやられたんだっけ?


「……ね?オ、オレって、ここ、こんなヤツなんだよ?い、いい……いじめられてばっかりの、く……くそザコ弱虫。……だ、だからこっ、怖くないよ?は、ははは……ね?」


 ああ、全然ダメだ。

 何をやっているんだ、オレは。どうしてこんなアホらしいことをしているんだ。

 必死に危害を加えないアピールをしてみたけど、言っている自分でも何がしたいのか意味不明だ。

 冷静に考えてみたら、いじめられていたせいで傷だらけだからってそれがどうしたって話だ。そんなの姫には関係ないし、むしろ何しでかすか分からないいわゆる『無敵の人』感バリバリで怖いだけだ。失うものがなくなった人間ほど、突飛とっぴであらゆる被害をかえりみない行動に出るのだから。

 これだからオレは無能なんだ。必死に頑張るほどに空回りばかりで、全部悪い方に転がっていく。


 それに、傷のことを話したせいで思い出しちゃったじゃないか。あの頃の地獄じごくの日々がフラッシュバックしてきて、オレまで涙が出てきた。吐き気もする。最悪の気分だ、畜生ちくしょう

 情けない。

 ちびっ子の前でボロ泣きしているなんて、本当にどうしようもないバカみたいだ。


「…………バッカじゃないの」


 ほらやっぱり。

 姫もオレのことを笑っているじゃないか。

 おかしいよな、こんなダメ男。

 でも――


「もういいから……は、早く服着なさいよ」


 ――その笑いはあざけりではなく。

 ちょっぴり小憎たらしいけれど……泣いていたことを誤魔化ごまかすように伏せ目がちな笑みだった。

 ああ、いつもの姫だ。

 オレを手玉に取ろうとする、でもたまに失敗する。そんなドジな小悪魔の笑顔に戻っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る