休みの日でも関係ない。


 しくじった。

 オレは今、猛烈に後悔している。

 休日だからと油断していた。

 もっと周囲を警戒していたら、こんなことにはならなかっただろう。

 自室のベッドには、当然のように寝転がる少女――姫。その手にあるのは本来オレが読むはずだった、買ってきたばかりの漫画。

 どうしてこうなったのか。

 それには深いようで割と浅めな訳がある。





 今日はオレのイチオシ漫画『WONDER=BINDERワンダーバインダー』、その最新刊の発売日だ。休載続きでなかなか単行本を出さない作品で、連載開始から四半世紀近くたつのに完結する気配が微塵みじんもない漫画。オレが死ぬまでに終わるのか心配になるレベルだ。

 でも面白いのは確かで、数少ない楽しみなのだからやめられない。

 大学生活は全くうまくいかず、交友関係ゼロで勉学もボロボロ。挙げ句の果てには私生活にうざったいメスガキまで入り込んできてもう滅茶苦茶めちゃくちゃ。だが、そんな時こそ好きな作品に浸って元気をチャージするに限る。

 オレはウキウキ気分で本屋へ直行、無事購入。そしてすぐに帰宅した。

 で、やっとその時気付いた。姫が本屋からずっと尾行びこうしていたことに。こないだのオレの真似まねかよ。

 どうやら偶然本屋でオレを見つけたらしく、買った本を読ませてもらおうとついてきたそうだ。自分で買え。そして作者に貢献こうけんしろ。それがファンの義務というものだろう。





 と、まぁこんな調子で今に至る。至極しごくしょうもない。

 幸いなことに今日も家にいるのはオレだけ。姫が部屋でくつろいでいることにビクビクする必要はない。心臓に優しい状況なだけマシだと思って我慢しよう。


「うわっ、グロ~い……。えー、どうなるのコレ……」


 寝転んで読書中の姫は、見逃せない展開の連続で一ページごとにハラハラしながら楽しんでいる。心の声が自然とれているのは子供特有のそれだ。時折華奢きゃしゃな両太ももをきゅっと閉じたりぷるぷる震わせたり、年相応で素直な仕草が可憐かれんだ。

 薄手のワンピースなのでいちいち中身が見えそうになる、そんな幼さゆえの無防備さは逆に困るのだが。


 って、姫を観察している場合じゃなかった。

 折角せっかく集中して読んでいるのだから、今こそチャンス。姫のことをもっと深く知ろう。彼女の呪縛じゅばくから逃れるためにも、情報収集が肝要かんようだ。前回は見事に失敗しているんだし。


 オレはそっと静かに姫の私物――ショルダーバッグが置かれた部屋のすみへと向かう。

 彼女が学校用品以外の私物を持ち込むのは珍しい。そもそも休日の姿というだけでレアなので、この機会に調べさせてもらおう。

 バッグのピンク色生地きじにはゴテゴテのクリスタルバッヂ。キラキラ光るキーホルダーもいっぱい付いていて、『かわいい』を追求した痕跡こんせきが見られる。陰キャのオレから見たら何一つ可愛かわいいとは思えないが。

 子供の時にも思ったが、どうして『かわいい』の概念がいねんが男女でこうも乖離かいりしているのだろうか。下手にメイクやネイルを盛らない方が絶対良いと思うぞ、オレは。


 という犬も食わない『かわいい』論議はともかく、私物の外見からは彼女がいわゆるギャル系なことが分かる。では、中身はどうなのか。化粧品あたりか、それとも見栄張ってコンドームとかもありそうだ。もしかしたらオレの想像のはるか斜め上、泣く子も黙る意外な物が入っているかもしれない。

 バッグはおあつらえ向きに半開き。『どうぞ見て下さい』と言わんばかりだ。他人のかばんのぞき見なんて最低な行為だとは思うが、これも必要なこと。この間はストーカーもどきになりかけていたんだし、罪悪感なんてもう今更だ。お天道様てんとうさまも見逃してくれるはず。多分。



 ファスナーに手を掛けた瞬間、姫がこちらを向いた。

 その顔はほぼ無表情。だが、瞳の色は間違いなく怒りだ。

 これはどう考えてもダメなヤツだ。これ以上やったらオレの死期が早まるだけなのが目に見えている。


「し、しないさ……そんっ、そんなこと」

うそ。前もあたしにストーカーみたいなことしてたじゃん。お兄さんならやりそう」


 どもりながら取りつくろうが、姫の瞳は変わらずオレを刺しつらぬく勢い。心臓がキリキリ痛んでくる。誤魔化ごまかしが全然効いていない。


は……?」


 普段のやかましい高音ボイスはどこへやら。ドスの効いた催促さいそくがじっとり鼓膜こまくを揺らしてきた。


「……え?」

「決まっているでしょ?悪いことしたら謝るの。学校で……ううん、幼稚園で教わらなかった?」


 いつもみたいなふざけたあおりなんかじゃない。本気の軽蔑けいべつ憤怒ふんぬ渦巻うずまいている。

 これは……今すぐにでもオレの人生を終焉ジ・エンドに導かねない状況だ。


「………………ごめんなさい、もうしません」

「はぁ……。当然だよね」


 オレは一切の飾りっ気なしで即座に土下座。わずかばかりのプライドすらもかなぐり捨てて、床とひたいこすり合わせた。

 そんな無様極まる姿を見たら満足したようで、姫の視線はすぐに漫画へと戻っていた。

 怒りの炎も徐々に鎮火ちんかしている模様。

 とりあえず助かったようだ。


 って、何でオレが謝らないといけないんだよ。

 オレだって出来ればストーカーにのぞきだなんて、まごうことなき変態の所業みたいなことしたくないから。でもお前という謎多き子供と戦うために色々調べないといけなくなったんだ。

 大体、全ての発端ほったんはお前にあるじゃないか。暇潰ひまつぶしだかなんだか知らないが、自分の腹の内を探られるのが嫌ならこれ以上オレにからむな、不法侵入するな。オレを解放してくれ。


「何よー、文句あるの~?」


 オレの視線に気付いたのか、再び姫がこちらを向いて体を起こす。瞳はもう怒りの色ではなく、どちらかというとわずらわしさに染まっていた。


「べ、別に……」

「あ~、分かった~。こんな子供にガチ土下座させられてイライラしてるんでしょ~?ずっとあたしに逆らえないんだもんね~」


 くそ、お見通しかよ。

 そうですよ、その通りですメスガキ姫様この野郎。

 一発ひっぱたいてやろうか。


「はぁ、怖い顔しないでよー。お兄さんとはでいたいんだからさー」


 言い返せなくて黙っていたら、姫が勝手に話を進めだした。溜息ためいき交じりで面倒臭そうにしているが、こっちとしてはそのを一刻も早く終わらせたいんだよ。


「はいはい、じゃあでチャラってことでいい?」


 すとん、とよじれた白い布が姫の足元に落ちる。両足にかせのようにかかっていたその布から右足を抜き、仁王立におうだちで大きくまたを開く。

 まさか。

 そう思った時にはもう、遅かった。


、見たら満足でしょ?」


 姫がワンピースのすそを持ち上げると、そこには未成熟な柔肌やわはだ桃源郷とうげんきょう。決して訪れてはいけない禁足地きんそくちがあった。

 この子はオレとの関係維持のために、人目に触れさせてはいけない秘所を開帳した。それはつまり自分の体に価値があると理解しているということで、対価として見せたということ――


「やめろっ!!」


 ばしんっ。


 彼女の手ごとワンピースの裾をはたき、秘所にとばりを下ろさせる。

 突然はたかれたせいで姫は呆然ぼうぜんとしている。何が起こったのか、まだ理解出来ていないようだ。

 対するオレも、自分がとった行動を理解出来ていなかった。考えるよりも先に手が出ていたからだ。

 ただ、これだけは言える。

 オレは姫が――こんな年端もいかぬ少女が身売りの真似事まねごとをするのが許せなかったのだ。

  

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