とても疲れた。


「……ふぅっ。う~~~ん……」


 姫は大きく伸びをして、体いっぱいで満足感を表現している。まるで充実した時間を送った後のような爽快さが溢れており、とてもじゃないがオレの秘蔵エロ本を読破した後には見えない。世間一般で有害図書扱いの本を読んだくせに、よく平気そうな顔をしていられるな。


「うーん。初めてしっかり読んで思ったけど、あんな可愛(かわい)い女の子なんていないよね。夢見過ぎでしょ」


 お前の感想なんて聞きとうない。

 あと夢を壊す発言するな。知ってたけど。

 二次元エロはファンタジーだ。行為自体は可能でも、そのほとんどはただの演出。モテない男の理想郷ってだけだ。


「あ、もうこんな時間!? あたし帰んないとっ!」


 姫の視線につられて、オレも時計に目を向ける。

 時刻はもう午後七時過ぎ。日が長くなり外はまだ明るいが、学校帰りの小学生がほっつき歩いていい時間ではない。というか、帰り道から逸れて見知らぬ男の部屋に上がり込んでいる時点でただの事案だからな。


「っと、そうだ。お兄さんとしっかり約束やくそくをしないといけないね」


 姫は部屋から出ようとしたところで立ち止まると、くるりと華麗に半回転。大きな瞳でオレをじぃっと見つめてくる……三日月型に口元を歪めて、小悪魔みたいに微笑みながら。


「……どうせ口止めだろ」

「ぴんぽーんっ! あたしの体をねっとり触ったのをバラされたくなかったらぁ、これからもこの部屋を使わせてよね?」

「……分かったよ、くそっ」


 ねっとりは言い過ぎだが、触ってしまったのは嘘ではないので性質たちが悪い。しかも半裸だ。オレがブタ箱にぶち込まれるかどうか、その行く末は彼女次第なのは確実である。


「じゃあね、お兄さん。ばいばーいっ」


 手をひらひらと振って、年相応っぽい笑顔で別れの言葉と共に去っていく姫。だが人を手玉に取る裏の顔を知ってしまうと、ただただあざとく見えるだけだ。


「ん? あいつ、またそーっと出ていく気か!?」


 部屋から出ていった直後、ぞっと寒気の大波が押し寄せてきた。

 階下には母さんがいる。もし鉢合はちあわせしてしまったら一巻の終わりだ……主にオレの人生が。

 弾かれるようにオレも飛び出し、一階へと猛スピードで駆け下りる――その瞬間、玄関の扉が音もなく閉まった。それとほぼ同時に、母さんが怪訝けげんそうな表情で居間から出てきた。


「どうしたのよ、そんなにドタバタして」

「いや、べ……別に」

「……あんまりうるさくしないでよ」

「オ、オッケーっす……」


 苦笑いしながら、オレは後ろ向きで自室にヨタヨタと退散開始。

 ……危なかった。結果的に姫は見つからずに外へ出たようだが、もしタイミングが悪かったら母さんと廊下でばったりだっただろう。

 これに関しては、心配になって飛び出したオレが、音を立ててしまったのが悪いのかもしれない。衝動的に行動したのが間違いだった。

 ただでさえ姫に目を付けられて人生絶賛綱渡り状態なのだから、せめて自滅するのだけは避けないといけない。二度とミスのないようきもに銘じておこう。




「はぁ……疲れた」


 自室に戻ったオレは、ぐったり力なくベッドの上に倒れ込んだ。

 布団からはオレの体臭とは違う、甘酸っぱい臭いがする。汗と香水が混じったような臭い……おそらく姫の体から発せられたものだろう。短い時間だったが、しっかり染みついていた。


「……ああ、くそ」


 姫のやつ、またオレのところに来るつもりでいる。新しい玩具おもちゃを手に入れたような気分になっているのだろう。畜生、人で遊びやがって。いくら陰キャ相手だからといって、やっていいことと悪いことがある。

 一体、いつまでオレにつきまとう気でいるんだ?

 小学三年生とは思えないような悪知恵の働きっぷりと不法侵入する身のこなしはあるが、所詮しょせんは子供がすることだ。いつ誰にバレても不思議ではない。そしてバレた時に一番罰を受けるのはオレだ、理不尽極まりないのだが。何もしていないのに誘拐だの未成年者略取だのと報道されるのがオチだろうな。ああ、嫌だ。

 白日の下にさらされる前に、さっさとオレで遊ぶのに飽きてほしいものだ。


「……ちょっと待て。もし飽きたら、オレはどうなる?」


 玩具やゲームに飽きたらどうする?……オレを含め、大体の人は次の暇潰し先を探すだけだ。じゃあ飽きた物はどうするだろうか。

 大方、放置だろう。それとも投棄かもしれない。

 オレとしては、ほっとらかしにされるのが一番嬉しい。彼女とは後腐れなく、以後一切の関係なしという決着でおしまいにしてもらいたい。

 でも最後のお楽しみに何かしようとして、豪快に捨てられたとしたら?壊れた玩具を捨てる前に爆竹ばくちくで吹き飛ばす、みたいな悪趣味な末路にさせられたら?

 例えば、オレを……?


「ああ、マジで最悪だ……っ」


 そりゃそうだ。彼女は何をしようと絶対に安全なのだから、この遊びの幕引きも自由に決められる。オレがどれだけ彼女に尽くしたとしても飽きられた瞬間、人生終了ゲームオーバーだ。


「オイオイ……このままだと完全に詰んでるじゃねーか」


 痴漢冤罪ちかんえんざいと同じだ。目を付けられた時点で負け。責めやすい弱者だったヤツが悪い。どんなに相手が悪くても、オレに勝ち目なんぞ欠片かけらもないのだ。

 どうしてこうなった。オレが何をしたというのだ。

 いじめられ続けて人間不信のコミュ障になり、この世の底辺を這いずり回るゴミ虫と化した上に今度はロリコン犯罪者の汚名!?

 こちとらまだ童貞で正真正銘無能のままだぞ。社会貢献なんて何一つ成し遂げていない人糞じんぷん生産機のまま終わるなんて嫌だ!


「そうだよ、こんな負け組のまま終わってたまるかよ……!」


 あんな調子に乗った、悪意という泥水をすすったことのないようなメスガキに、オレの人生を台なしにされてたまるか。……もっとも、既に終わっている感がダダ漏れな人生だけどさ。

 絶対にあいつの弱みを握って、『最悪な幕引き』だけはなんとしても止めて、前科一犯という結果は必ず避けてみせる。

 それさえ出来ればこの惰性的な人生にも、少しは生きた意味を見いだせる……はず。多分。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る