覚えがない。2

 言うても自分、まだ仔ウサギである。 よちよち‥とまでは言わないが、まだ覚束ないのは確かだ。 小さい分、隠れられる場所は多いと思うけれども。 差し当たって、眼の前の茂みへ駆け込んでみる。


「思ったより、からだ動かない」

 これは要トレーニングだ! …………食事の後で。

 きゅるう〜っと腹を鳴らしながら鼻をひくひくさせて草の匂いを嗅ぎ分ける。 柔らかそうな新芽の先っちょを、もひっと囓ってみる。


「あっこれ美味しい! (‥ももももっしゃくしゃくしゃく‥)どれどれ、こっちは?」


 そうこうする内、夢中になって手近な新芽は食べ尽くしていた。

「ちょっと食べ過ぎちゃった。 お腹重いし、一旦穴に戻ろう」


 右見て左見て上も見て、周囲には小鳥ぐらいしか居ないことを確認してから一直線に走って元の巣穴に飛び込んだ。 中の土をいくらか掘り出して、出入口を軽く塞いでおくのも忘れない。

「ふぅ、これで安心」



 ちょっとずつ距離を伸ばして行こう。 そう決めてからかれこれ一週間ほど。 漸く巣穴を離れる決心のついた私は、特に行く宛もなく走り出した。 前世を思い出したあの日からすると、随分と走る姿も様になってきていると思う。

 周囲への警戒は怠らず、背の高い茂みや木の洞、土の凹み何かを見付けては走り、小さく蹲って次のポイントを探す。 ひたすらその繰り返しだ。


 もう振り返っても巣穴は見えないし、正直、方角すらわからない。 けれど、これで良いと思う。 だってここには見渡す限り草が何種類も生え揃っているし、瑞々しい葉茎を選んで食べていれば、それほど喉も乾かないからあとは朝露とかで十分凌げる。 自然の物に直接口をつける事にも抵抗はなかった。 要するに、外敵からしっかり身を隠していれば一先ず生きていける。


「よぉし、行くぞー、おーっ!」


 ここ数日はとにかく、色んなものを手当り次第食べてみている。 もちろん、毒とか怖いからちょびっと舌に乗せてみるところから始めて、それで異常が出なかったら少しだけ噛んでみて……という地道な作業だ。 中には見た目そっくりなのに片方は酸っぱくてもう片方は甘苦いとか、予想もしてない結果になって試し甲斐もあって結構楽しい。


 最初みたいにお腹が空いちゃうと見境なくなって危ないので、今はこまめに口にしておくようにしているから、いつも満腹に近い状態。

 ――うっかりやばいもの食べちゃった時も、空腹の方がより危なそうだしね。 それに繰り返し言うても自分、まだ仔ウサギなのである。 栄養たくさん取らないと。


 あ、ちなみに。 ウサギ好きならご存知だと思う食糞は、さすがに! さすがに勇気は出なかった。 そこは人間の意識が強くストップをかけてくる。

 と言うかそれはそれとして、不思議と最初からコロコロの如何にも健康なうんちしか出てこないのは何でだろう? 非常に興味がある。

「喋れるしねぇ〜?」

 両手を口に添えて首を傾げる。 ウサギの身体はそんな器用に音を発せる造りでは無いはずだ。 確か、危険を感じた時にホイッスルみたいな声を出すくらいじゃなかったっけ。 ごはん、とか飼い主の真似をする犬猫の域にも達しない。 モノマネ上手な鳥でも中々ここまで流暢には……。


 多分というより、もはや絶対だけど、普通のウサギではないんだろう。 そもそも世界として、見たことない植物、見たことない動物、どう考えてもここは地球じゃないと察するまで、旅立って3日と掛からなかった。

 植物を知らないくらいまでは、異国かな? で済んだけど、狐っぽいのの額にもう一つ目があったり、鳥のトサカと思ったものが角だったりすれば嫌でもわかる。 狐はウサギの天敵だから、本当に怖かった。 そして鳥に突かれたところも血は出ていないけれどズキズキ痛い。


「しかしなあ、せっかく異世界? 転生したのにウサギかぁ。 かわいいし好きだけどぉ……」

 前世、小柄なことがコンプレックスだったので、どうせ生まれ変わらせてくれるならもっと大きな生き物になってみたかった。 せめてウサギでも、世界最大のフレミッシュ・ジャイアントとか。 この世界にも居るのか知らないけど。 うーん、ネザーランド・ドワーフとかじゃないだけまし?

 耳のお手入れをしていたもっふり両手をじっと見下ろす。 ついでに我ながら気持ちの良さそうな柔らかいお腹も。

「毛がちょっと長いんだよねえ。 アンゴラかな? せっかくの毛並みも、自分じゃ堪能できないし、泥汚れで毛玉になっちゃっていいとこなし……!」

 ダンッと後ろ足を地面に叩きつける。 ふぅ、すっきり。


 それでぱっと気持ちを切り替えた。 楽天家なところが私の長所だと先生も言っていた。

「んま、イライラしても仕方ないっか。 幸い、痛みに効く葉っぱも見つけたし、今日はこの辺で少し休もう」

 できることならいくつか採集して持ち歩きたいけど、背中に乗せられる? 動いたら落ちちゃう? 何か良い方法ないかな〜。 ずっと口に咥えている訳にもねぇ。 とにかく生えてた場所も含めて、しっかり特徴を覚えておかなくっちゃ。

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