第13話 エクソシスト 後編

 十三 エクソシスト 後編


「伏せろ!」

 ヴァローナの命令でアントンが伏せると同時に、山なりの砲弾がアントンのすぐ上をかすめて後方三十mの地点に着弾した。後ろで装甲車二台がまとめて火だるまになる。

「榴弾砲……!」

 ヴァローナが驚くのも無理はない。撃ってきた大砲、大口径百五十二mm砲はまさしく、ゾルケンの歩兵達が必要としていた存在。それが、こんな戦場の片隅でひっそりと息を潜めていたなんて。こんな場所からでは、プファイツの陣地に砲撃するのは不可能に近いのに。

「どうしてこんなところに大砲が! こんな場所じゃ、自分の仲間しか撃てませんよ!」

 砲撃の着弾音に首をすくませながら、ハンナはヴァローナの意見を代弁した。アントンを家屋の裏に隠しながら、ヴェンツェルが怒鳴って返す。

「それが連中の仕事だ! 逃げた友軍をミンチに変えるのが督戦隊の仕事さ!」

 鉄橋前の広場にずらりと並んだ敵の榴弾砲は、装填が終わった砲から次々に砲弾を放つ。一発で三階建ての家屋を小石と土くれに変えるその威力は、襲撃隊の足を完全にストップさせた。だが、足を止めれば――

「後方の味方より入電! 掃除夫が迫っています!」

「!」

 報告を受けて、ヴァローナは後ろを振り返る。ゾルケン重戦車中隊を中核とする敵機甲部隊は、襲撃隊との距離を一歩一歩確実に詰めつつあった。悩むヴァローナの頭上で敵の榴弾が炸裂する。咄嗟に彼女は車内に避難して、襲い掛かる落石から身を守った。

「好き放題やってくれるな……! 准尉、この砲でも家屋は吹き飛ばせるか!」

「大丈夫だ。寧ろ威力なら前のより上がっているくらいだ」

 よし、とヴァローナはマイクロフォンのスイッチを入れた。

「後ろに居る四二式三輌、我に続け。これより敵砲兵に反撃を仕掛ける」

 そしてヴァローナの指示より先に、オットーは眼の前の家屋に照準を付けていた。用意が整いヴァローナが命じる。

「撃てぇ!」

 アントンの百二十二mm砲の雷鳴は、家屋に戦車が通れるだけの穴を穿った。

「道がなければ作ればいい。各車、このヴァローナに続け!」

 アントンを先頭に四輌が前進を開始する。破孔から、家具と建材の瓦礫を跳ね飛ばして突き進むアントン達には、正面の襲撃隊に躍起になっているゾルケン督戦隊は気が付きようもない。

土煙と跳ね飛ばされる瓦礫の騒音にゾルケン督戦隊が気付いたのは、ヴァローナ達が敵砲兵陣地の側面を突いた、まさにその時である。

「任意射撃、撃て!」

 砲声。ヴァローナの命令と同時に、ゾルケンの砲兵陣地を戦車四輌の砲撃が襲った。装甲に守られていない牽引砲はあっという間に火に包まれ、砲弾の誘爆が人を埃のように天高く打ち上げた。

「各車前進! 残りは踏み潰せ!」

 手に持った小火器で応戦する敵歩兵にヴァローナ達が無慈悲な突進をくらわせる。荒々しく足を踏み鳴らし、残った残敵の悉くをアントンは街道に塗り付ける。大砲を半分は叩き潰す頃には、ゾルケン兵は殆ど逃げおおせていた。

「よぉし。このまま時間まで持たせれば――」

「報告! 敵機甲部隊、町にとりつきました!」

 ハンナの報告は、ヴァローナの良い気分をすっかり台無しにした。

「何て奴らだ、早すぎる!」

「文句は後にしろ少尉。次どうするかだ。装填手、次弾徹甲」

 危機的状況でも冷静なオットーは、そう言いながら既に郊外の敵に狙いをつけていた。歯噛みして、ヴァローナが命じる。

「誰が止まれと命じた、前進! 不愉快な敵をすりつぶせ!」

 せっつかれ、驚異的なスピードで戦線に復帰したアントンと他三輌は、今度は押し寄せるゾルケン機甲部隊に正面からかち合った。アントンの車内はオットーの怒声が飛び続ける。

「操縦手、左四十度! 奥の元気な奴だ!」

「了解!」

 ヴェンツェルが指示通りに機体を動かし、オットーが発射レバーを引く。先にアントンへ狙いをつけていたボードス戦車は正面装甲を一瞬で叩き割られた。

「装填手、次弾榴弾! 操縦手は右二十度、真っすぐ走ってくるヴェストールだ!」

 ヴェンツェルが車体を回し、オットーは狙いを定める。一瞬の沈黙からゲオルクの報告。

「装填完了!」

 砲口から飛び出した砲弾は、アントンを遥か彼方に置き去りにしてヴェストールの機銃塔に突き刺さった。弾丸が誘爆し、派手な火花を立てながらヴェストールは爆炎に包まれる。隣を走っていた別のヴェストールが止まったので、ついでにそちらも一撃。二輌が立て続けに松明に変わった。

「無線手、おい一等兵!」

 だが戦果を挙げるオットーは不機嫌にハンナを呼びつけた。

「は、はい准尉!」

「さっきからハウリングが喧しくてかなわん。ちゃんと無線機の面倒を見ろ!」

「す、すみません……」

 覗き窓から目を離したハンナが自分の仕事に集中するのを見届け、オットーは照準鏡に視線を戻した。だがその瞬間、オットーの視野全体を緑の鋼鉄が覆う!

「!」

「押し出せ、ヴェンツェル!」

 オットーより先に、ヴァローナの方が叫んでいた。上体を持ち上げた状態のヴェストールに対し、下から潜り込むように接触したアントンは右前足を持ち上げる。

「喰らえやぁ!」

 ヴェンツェルの怒声と同時にコンプレッサーから空気が送り込まれ、アントンの前足は敵の柔らかい下腹部を張り子のように突き破った。中央シャフトをへし折られ沈黙したヴェストールを、アントンは力任せに放り投げる。横転した戦車から敵兵がわらわらと逃げていった。

「見たか少尉! これぞアテにならない五十の操縦法その十一、正拳突きよ!」

「ヘーリッヒ(素晴らしい)! 良いぞヴェンツェル、その調子だ!」

 上機嫌で答えたヴァローナのすぐ横で、榴弾の爆発が家屋ごと装甲車を薙いだ。だがヴァローナはやられた味方を気遣う暇もない。家屋を突き破り、ヴァローナ達の側面に回り込んだ掃除夫が、重戦車中隊を率いて押し寄せていたからだ。

「……!」

 プファイツ軍の応戦をものともせず、掃除夫たちは榴弾を乱射しながら一気に距離を詰める。ヴァローナは要塞の方を振り返れば、要塞は戦いの続きを示すように黒煙を噴き上げていた。

(ここに居るだけ無駄だな)

「総員、南西の河原へ向け撤退! 所定の位置まで後退せよ!」

 指示を受けて粛々と……とはいかず、散り散りにならないので精一杯の襲撃隊は総撤退に入る。最後の車両が町を後にし、最後にアントンが――

「おっと、我々はまだだ。転進、掃除夫の方へ」

「なにぃ!」

 ヴァローナからの荒唐無稽な指示に度肝を抜かれながら、ヴェンツェルがシフトレバーを力いっぱい旋回に入れて、アントンは火花を立て急転換した。

「味方が逃げるまで、我々は餌だ」

「心得た」

 命じるヴァローナと従うオットーは、狩人の眼で掃除夫を睨む。ゲオルクは呆れ、ヴェンツェルは他人事と傍観する、とても死地にあるとは思えない空気の中、ハンナだけがまともに音を上げた。

「ひいぃ……!」

「さあ行くぞ。目標掃除夫、撃てぇ!」

 ヴァローナの号令と共にアントンの砲口から砲弾が飛び出した。正面の、一番硬い場所を浅く削って跳ね返った砲弾は、掃除夫の隣にいたヴェストールを家屋壁面に叩き付ける。

「操縦手、右旋回だ。逃げるぞ。合図で増速」

 ヴァローナが命じ、アントンはさっき自分であけた穴から脱兎のごとく逃げ出した。掃除夫の主砲はアントンを照準線に捉え、一撃。

「今!」

 増速したアントンのすぐ後ろで榴弾が炸裂し、家屋三つをなぎ倒す衝撃がアントンを浮かび上がらせた。持ち直して、家屋を盾にしながら駆けるアントンの後ろを、榴弾の雨が襲う。

 家屋ごとアントンを爆砕せんと、山なりに飛ぶ榴弾が次々に土煙を上げる。噴煙を全身に浴びながらアントンは逃げ続けた。たった一匹の怪物によって廃墟に作り替えられる町の中を、丸いボディを強引に切り返しながら。

「停車!」

 指示を下しながら、ヴァローナは車内に引っ込む。

「操縦手、微速後退。瓦礫の隙間から掃除夫を撃つ」

「あいよォ」

「准尉、やれるか」

「今までの経験から言えば……」

 オットーはそこから先の言葉を濁した。

「まあとにかくやろう。当たれば乗員を気絶させる、それぐらいは出来るかも知れん。装填手、弾種徹甲」

「了解」

 アントンは姿勢を低くし、瓦礫の隙間から砲身を露出させる。ヴァローナ達が隠れたとは毛ほども知らない掃除夫がアントンの予想移動地点を無意味に砲撃する。掃除夫の榴弾が瓦礫を打ち払い、その砲塔が側面を向いた瞬間――

「装填完了!」

 ゲオルクの一声、オットーがレバーを引いた。炎の尾を引いて掃除夫の横顔に命中した砲弾はその砲塔に大きくへこませ、掃除夫の主砲は項垂れたままストップしてしまう。

「おいおい、本当に気絶したのか」

 薄ら笑いを浮かべるオットーの横で、ヴァローナの檄が飛んだ。

「チャンスだ! 操縦手、全速前進。近付いて奴の砲塔をぶち抜くぞ!」

「ヤボール、カピタン!」

 ヴェンツェルはシフトレバーを全速に入れて、瓦礫の上を跳ねるようにアントンが走り出す。

「行けえ! 此処でやつを仕留めれば、後々が楽になる!」

 一度あるかどうかの好機を前にヴァローナは必死だ。そんな彼女の野望を阻もうと、ゾルケンの戦車が街角から姿を現すが、全速となったアントンは止まらない。そのまま前に居たヴェストール二輌を突き飛ばすと、まごつく敵の間をアントンは巧みに抜けて掃除夫へと迫った。

「敵隊列を抜けるぞ、射撃用意!」

 ヴァローナの指示と共にオットーが掃除夫に狙いをつけると――

 掃除夫の主砲は、既にアントンへ照準を定めていた。

「……! 操縦手、ブレー――」

 ヴァローナの遅まきの指示は、百五十二mm榴弾砲の圧倒的な爆音の前にかき消された。今まで感じた事も無い威力の衝撃がアントンを押し出して、車体右側面を家屋の壁へ叩き付けられると、対応しきれないヴァローナ達は座席から投げ出された。

「……がはぁ!」

 大砲に体を打ち付けたオットーが血を吐き出す。鉄片が刺さった傷口から、血液がほとばしって跡を残した。

「……准尉!」

「いけません!」

 オットーを抱え起こそうとしたヴァローナをゲオルクが止める。彼はオットーをゆっくり背もたれに寄りかからせた。彼は救急箱から薬用チューブを取り出し、オットーの傷口に軟膏を塗りつける。

「止血剤です。応急ですが傷が固まります。これでしばらくは大丈夫……少尉は指示を!」

「ああ……」

 呻きを漏らすオットーから目を離し、ヴァローナはヴェンツェルの背中に視線を移した。丸まって、微動だにしない背中に。

「……操縦手?」

「……! 伍長!」

 恐慌状態のハンナがヴェンツェルの肩を揺さぶる。ヴェンツェルは座らない頭をがくがく震えるだけで、いつもの気取った返しもない。既に限界だったハンナの悲鳴が木霊した。

「いやあ!」

 自分も狂乱寸前だったヴァローナは、ハンナの錯乱を前に辛うじて正気を保った。次の手を、次の手を打たなくては。その一心で彼女は、震える手でハンナの肩を叩いた。

「……一等兵、貴様も操縦資格があるな」

「いやあああ!」

しかしハンナは頭を振って喚き続ける。ヴァローナの手を震わせた恐怖は、怒りがとってかわった。

「良いからやれ! アントンを、走らせろォ!」

 ヴァローナが叫んだその瞬間、アントンの主砲から爆音を立てて砲弾が撃ちだされた。砲弾は掃除夫に叩き付けられ、怪物はまたも沈黙する。

「ヴェンツェェェル! ……聞いたろ、とっとと起きろぉ!」

 息も絶え絶えに言ったのは、オットーだ。

「起きて……この鉄屑を走らせろぉ! ……少尉殿の命令だぁ!」

「……ハッ!」

 にわかに起き上がったヴェンツェルはシフトレバーに力を籠め、アントンのガタつく脚を無理やり奮い立たせた。向きを変え、郊外へと一気に飛び出すアントンは、全ての敵戦車を置き去りにして、追い来る敵の砲弾と共に襲撃隊の下へ向かった。

「……わりい、寝てた。ゾルケンの奴ら、あんまりにすっとろいんでな」

「伍長!」

 いつもの皮肉めいた笑みを浮かべるヴェンツェルにハンナが飛びついた。傷の痛みに顔を歪ませながら、ヴェンツェルは鉄片が突き刺さったサングラスを床に捨てる。

「惜しいな……もうちょっとで伊達男に磨きがかかったのに」

「言ってろ、キザ野郎」

 笑いながらゲオルクが、砲の下をくぐり抜けてヴェンツェルのけがを手当てする。

「少尉……包帯を取ってくれ」

 より重傷なオットーは、脂汗をにじませながら言った。ヴァローナが包帯を持ってくると、彼は自分の手と大砲の発射レバーをグルグル巻きにして、きつく縛るようヴァローナに言った。

「これで……もう絶対に離さん」

「すまない准尉、すまない……」

「少尉、謝るのは先だ……まだ終わってない」

 味方が潜む溝まで、何とか辿り着いたアントン。不安そうに顔を上げる部下たちに対し、ヴァローナはキューポラから外に出て一喝した。

「誰が出て良いと言った! 引っ込め!」

 ヴァローナの意気込みを表すように、アントンは仲間の四二式や装甲車の間を割って、ドスンと腰を落ち着けた。溝の縁から主砲だけを覗かせ、アントンは敵の襲撃に備える。普段であれば頼もしいその姿も破片が突き刺さった痛々しい状態では、半死の負傷兵が最後の抵抗と意地を張っているようにしか見えなかった。

「……もう、虚勢は使えんな」

 傷だらけなのはアントンの乗員だけではない。プファイツ軍の全戦線、人員と資材のあまねく全てが痛手を負い、兵士達は気力だけで立っている状態だ。寧ろ精鋭であるが故、アントンやスカラベ小隊の損害は友軍全体では浅い方だった。

 そんな負傷者だらけのプファイツ軍をあざ笑うかの如く、掃除夫率いるゾルケン機甲部隊はゆったりとした足取りで河原に姿を現した。どこに隠れていたのか、督戦隊の戦車部隊という増援まで連れて。

「……来た」

 面を上げ、ヴァローナは敵の群れを正面から見据える。敵は最後の突撃に備えて隊列を整え、味方はなけなしの闘魂を奮い立たせて敵へ狙いを定める。

「……」

睨み合う、両者。河原が静けさに包まれる中、ヴァローナは腕時計に目をやってそれから風の音に耳を澄ませた。

「……静かだ」

要塞の砲撃さえ聞こえない全くの静寂。だが異様な静けさは騎兵さながらの突撃を開始した敵の轟音によって掻き消される。鉄の軍馬たちが泥土を跳ね上げ果敢に突っ込んでくるさなか、極度の興奮の中で静寂に気が付けたのは、

「准尉」

「分かってる」

 ヴァローナとオットーの二人だけだった。

「撃てぇ! ジャンジャン撃てぇ!」

 河原の北に位置する森の中、小高い崖となった茂みの中から、大尉の雑な命令によって配下の戦車猟兵や装甲部隊の火砲が火を噴いた。赤く燃える尾を引いて、砲弾は敵隊列に穴を穿ちズタズタにする。

「こちら奇襲隊。囮の襲撃隊諸君、作戦はおおむね予定通り進行中だ。安心して囮を続けてくれ、以上」

 大尉の朗らかな対照的に、味方の大砲は敵が戸惑う内に一切を粉砕せんと、情け容赦ない砲撃の雨を降らせ続けていた。要塞砲から放たれた重榴弾が十輌の敵戦車を一気に粉砕し、逃げようとした敵戦車は対戦車砲によって脚を破壊され動きを止める。足が止まった敵には――

「クソッたれのアカ共! 少尉からの驕りだ!」

 下卑た笑いを隠そうともしないリボルのベルヒリンゲンから、百五十二mm榴弾砲の鉄槌を喰らわされた。山なりに飛ぶ砲弾は敵戦車の頭上で炸裂し、灼熱の鉄片が戦車の薄い天板を貫く。中の乗員は勿論、火傷と裂傷ですぐさま血を噴き出す袋と化した。

「さんざんやったお礼だ! 遠慮なく受け取れ!」

 リボルの嘲笑と共に放たれた榴弾は、今度は敵歩兵ごと戦車を屠り、空高く手足が散乱した。

血と泥の雨が後に続く。要塞砲はその残りカスを新たな敵と共に吹き飛ばした。その光景にリボルが残忍な笑みを浮かべる。

「おい大尉。葬式に必要だ、足くらい残してやれ」

「これが二十世紀の葬式だ! 場所も取らず纏めて出来て経済的だろ?!」

「お前天才だな、次の大戦で必ず流行るよ」

 げたげた笑い出す狂人……バカ二人からの無線に顔をしかめながら、ヴァローナも内心湧きあがる興奮を抑えきれずにいた。さっきまで自分の優勢を、信じて疑わなかったゾルケンの連中、特に掃除夫の鼻を明かせた満足感は口端に笑みとなって現れた。

「我々が橋を奪還すると思ったろ? 町で決戦に出ると思ったんだろう? 残念ながら、これが私達の計画だ。殺し間へようこそ!」

 真顔に戻ったヴァローナは、配下の襲撃隊に告げた。

「あと三十秒で要塞からの砲撃が終わる! 総員、突撃用意!」

 そう言うとヴァローナは体を車内に滑り込ませて座席に収まる。今度は車内のオットー達だけに向かっていった。

「さあ行くぞ。悪夢とは今日でおさらばだ」

 ヴァローナは息を吸い込み、渾身の声で号令を張り上げた。

「突撃! 前へ!」

 まだ続く砲火の中へアントンは真っ先に飛び出していき、襲撃隊の車両が続々とそれに続いた。要塞砲からの砲撃がまだ降り続ける敵陣の只中へ、ゾルケン機甲部隊が動揺している今を逃すまいと。

 ヴァローナの視覚一杯に敵の戦車隊が広がる。アントンはその中を、殆ど体当たりだけで強引に突破していった。唯一、エンジン出力で勝るボードスが周りのヴェストールを除けて、アントンの前に立ち塞がるが――

「迂闊なんだよ!」

 その時すでにオットーは発射レバーを引いた後だった。至近で砲弾を喰らって、ボードスの正面装甲には大穴が穿たれる。爆発の衝撃に竦む敵を置いて、アントンは前へ。

「雑魚に構うな! 狙うは掃除夫一人……!」

 硝煙と炎の照り返しの中、ヴァローナの眼は件のノーズアートを探す、その事だけに躍起になっていた。紅白の飾り紐。その輪っかの中心にいる、掃除夫を。

「いたぞぉ! 二時方向!」

 ヴァローナが叫んだ時、オットーの手は既にレバーを引いていた。灼熱の大気を切り裂くアントンの砲弾は、赤黒く染められた掃除夫の巨体に吸い込まれる。

 直後、甲高い金属音。徹甲弾は流星の如く明後日の方角へ去っていき、掃除夫は落ち着いた様子でアントンに狙いを付けた。今度はこっちの番と、掃除夫の榴弾砲は竜巻の如き砲炎を吐き出した。ヴァローナが命じる。

「伏せろ!」

 レバー先のスティックを押し下げるヴェンツェル。アントンが姿勢を下げるか否かの瀬戸際に、榴弾がその頭上をかすめた。すかさずオットーが応射、砲弾が掃除夫の足を食い破った。

「遠すぎるぞ、少尉! ヴェンツェルにもっと近づけさせろ!」

「もっと飛ばせヴェンツェル! 私が怒鳴られるだろうが!」

「やってるよ、今! 見て分かんねえのか!」

「三人とも落ち着いて!」

 またとないチャンスに四人がヒートアップする。戦闘中やる事の無いハンナはヴァローナに向けて控えめに手を挙げた。

「少尉、私は――」

「祈ってろ!」

 ハンナが十字を切る間も、アントンは自慢の脚力でさらに間合いを詰めていく。だがそれは掃除夫にとっても、全ての砲が有効射程となる必殺の距離に他ならない。

「操縦手、合図で後退せよ」

 ヴァローナが神妙な面持ちで命じる間も、掃除夫の副砲はアントンへと狙って仰角を調整する。副砲の砲身が下がり切り、止まった。その時――

「今!」

 ヴァローナが叫び、爆走を続けていたアントンは脚を地面に突き立て前身の勢いを殺す。アントンの手前で炸裂する副砲の徹甲弾、だが、続いてもう片方の副砲が狙いをつける――

「させるかよォ!」

 ――その前に、狙いをつけていたオットーが先に副砲を狙い撃った。徹甲弾の衝撃で副砲は弾け飛び、誘爆した弾薬が隣の副砲も吹き飛ばす。衝撃で動きを止める掃除夫。だがアントンはそのまま走り続け、掃除夫の後ろを付け狙う。

「確実に息の根を止めるぞ、これで最後だ!」

 しかしてヴァローナの発言は半分までは正しかった。他のゾルケン戦車では確実に行動不能の重傷を負いながら、まだ動きを止めない掃除夫は後部副砲塔を起動し、油断していたアントンに不意の一撃を喰らわせた!

「うわ!」

 アントンの天板がへこみ、ハンナが悲鳴を上げる。藪から棒に訪れた反撃にオットーの狙いがずれて、アントンが放った徹甲弾は掃除夫の後部副砲を叩き潰して沈黙した。怯むアントンの隙を突き、掃除夫は正面装甲をヴァローナ達に突き付ける。

「ぬうう……しぶとい」

 半壊しながらなおも、損なわれぬ掃除夫の威容にヴァローナが唸った。失血のダメージのせいか、オットーはいつも以上にふてぶてしく舌打ちする。

「我ながら……うっとおしい生霊だ」

「ええい、懐に潜り込むぞ!」

 破れかぶれにヴァローナが言い放つ。

「副砲があった穴に接射でたたき込むんだ! 操縦手!」

「はいよぉ!」

 ヴェンツェルがレバーを押し倒し、アントンは排気管から青白い煙を出しながら掃除夫へと突撃していった。全速で後退する掃除夫が、榴弾砲を目いっぱい押し下げて狙いを付ける。ピタリと、榴弾砲の動きが止まった。

「操縦手、右!」

 ヴァローナが叫ぶと同時に、掃除夫の砲からオレンジ色の砲炎が噴き出した。飛び退くアントンのすぐ横で榴弾の真っ赤な炎は炸裂して、アントンの左側中央の足は下半分が吹き飛んでしまう。ヴェンツェルが叫んだ。

「ぶつかるぞぉ、掴まれ!」

 アントンの主砲は掃除夫の副砲のあった箇所に押し込まれる。衝撃と共に体が前に引っ張られ、傷口にハーネスが容赦なく食い込む。痛みに顔を歪ませながらオットーは照準を定め、レバーを引いた。

「喰らえぇ!」

 爆音と同時に掃除夫の車体は軋み、主砲塔が浮き上がってターレットリングから外れた。だがまだ死なない。軋む脚を無理に運んで、なおも掃除夫は逃れようとする。

「軍曹、装填だ! さっさとしろ!」

「急げゲオルク、振りほどかれるぞ!」

 ヴァローナとゲオルク両方に急かされながら、ゲオルクは揺れる車内で装填を急いだ。アントンが軋みを上げる、不気味な金属音が搭乗員の耳を聾する。直後に、尾栓が閉まる音。

「装填完了!」

「「くたばれぇ!」」

 稲妻に似た砲声が、掃除夫の巨体を盾に貫いた。

 断末魔の断裂音が轟き、一際大きな爆発が起こると、燃え上がる掃除夫は力なく座り込んだ。衝撃で泥の上を滑ったアントンはヴェストールの残骸にぶつかって止まり、それから軋む体に鞭を打って強引に立ち上がった。キューポラのハッチを開け、ヴァローナが車内から這い出す。

「うう……掃除夫は……奴はどうなった……?」

 ヴァローナが目を凝らしていると、掃除夫の主砲塔のハッチが開いて、中から傷だらけの政治将校が転げ出た。

「……!」

 咄嗟にヴァローナは拳銃を構える。頬髯を血に染めるその将校は虚ろな目でヴァローナを見つめ、負傷した個所を庇っていた。傷口を覆う彼の右手。その手は銀色に光る、義手であった。

「……」

 ヴァローナの心に芽生えた感情が、彼女が構える拳銃をゆっくり下げさせると、将校もまたヴァローナを驚きと憐れみの目で見つめ返した。ヴァローナが、先に沈黙を破った。

〈失せろ〉

 ただ一言、冷酷な口調で発されたそれに将校は頷き、痛む体を引きずりながら逃げ出すゾルケン軍の後を追った。その背中が点になるまで、ヴァローナは見送った。

「……いいのか」

 インカムから、オットーの弱弱しい声が荒い呼吸と共に流れた。ヴァローナは微笑む。

「良いんだ。お前を、お前たちを医者に見せる方が先だ」

「成る程。だが……まだやる事がある」

「やる事?」

 聞き返したヴァローナの前で、掃除夫の車体がびくりと痙攣した。驚いたヴァローナは拳銃を取り落とす。だが掃除夫は、またすぐに沈黙を取り戻した。

「そうだ……やる事さ」

 脂汗を流しながら、オットーが言った。




「……本当か? 本当に、他の乗員はなし?」

 集まった見物人の中でヴァローナは掃除夫の亡骸を指差しながらそう言った。

「……ええ。他には、死体ひとつ……」

頷くハンナ自身も未だ要領を得ない様子だった。信じられないとヴァローナは目を見張る。

「本当に……掃除夫の乗員は、私が見た将校だけ?」

「いや、正確には違う」

 姿を現したオットーは、一抱えぐらいの金属の箱を両手に持っていた。後ろにいたヴェンツェルとゲオルクも同様に持っている箱を三人は地面に置く。オットーは箱のふたを開け、中の脳髄を露出させると、憂いを込めた目でそれを見つめた。

「……逃げた将校は恐らくサイボーグだろう。生体計算機と神経を繋いで操るんだ。そっち方面の学はないが、前にも似たようなのを見た覚えがある」

「それが……生体計算機の真価というわけか」

 ヴァローナの隣で見ていた大尉が言った。その横でリボルが珍しく、気落ちしたような表情を見せながら言った。

「それで、この脳味噌共はどうなるんだ?」

「……残念ながら、今の俺達にこいつらを救う手立てはない。だから……」

 オットーが言葉を濁す横で、ジェリ缶を持ってきたヴェンツェルは、中身の燃料を生体計算機に黙々とかけ続けた。燃料を十分に行き渡らせ、オットーの隣に来た彼が言う。

「準備出来たぜ」

 ポケットを探り出すオットー。その横からゲオルクが、マッチをのせた手をオットーの前に突き出した。

「これを」

 頭を下げるオットーはマッチを擦ると、積み上がった計算機の方に放り投げる。オレンジ色の光が、六個の脳髄を瞬く間に包み込んだ。

「……鳥についばまれるよりはましか」

 生体計算機のケースが黒く変色するのを見送りながら、ヴァローナがぽつりと言った。他の見物人たちも計算機が燃える様子を静かに見守る。ケースにひびが入り、歪んだ金属がパキパキと音を立てる。脳髄を収めるアクリル樹脂は真黒く焦げて溶け落ちる。彼等にとって、これは望んだ結末となっただろうか。ふと、ヴァローナはそんなことを考えていた。地獄から抜けて、彼らは幸せだろうか。それとも……

 答えの出ないヴァローナが横にいたオットーに視線を移すと、彼は右手に持った首飾りを炎に透かしながらじっと見据えていた。

「……それは?」

 ヴァローナが尋ね、オットーは持っていたものを彼女の前に差し出した。紅白の飾り紐が付いた、煙突掃除夫の首飾りを。

「これはマルツィショルという。ゾルケンの装飾品だ」

 錆とひっかき傷と、黒い何かに汚れたそれをヴァローナが眺めていると、オットーは寂しげな微笑に変わって続けた。

「春と、幸運の訪れを意味する……男から女への贈り物だ」

「お前が、殺した……」

 兵士のか。ヴァローナは言いかけて口を噤んだ。オットーの故郷が襲われた日、彼がめった刺しにして泥の中に捨てた、あの少女兵の――

「そうだ……何で持ってきたんだかなぁ」

 抱きかかえるようにして、オットーは首飾りを両手で包み込む。

「呪いは消えた……でも俺は、一生忘れん。そんな残酷な人間として生きたくない」

 ヴァローナは炎の方へ視線を戻した。そして一歩前進し、抜刀。

「総員、きぉつけ!」

 いきなりの号令に面食らいながらも、周囲の人間は習慣的に直立不動の姿勢を取っていた。ヴァローナが続ける。

「獅子奮迅の敢闘を見せた、戦士諸氏に対し……捧げぇ、銃!」

 今度こそは全員が、一糸乱れぬ挙動でもって捧げ銃の体勢を取る。銃を垂直に持って微動だにしない集団は、揺らめく炎が六人の亡骸を焼き尽くすのを黙って見送った。

 ヴァローナは背後で銃声がするのを聞いた。死者を送る礼砲は儀礼通りの二十一発を撃ち尽くすまで、乾いた空に響き渡った。

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