第8話 繰り返す悪夢
八 繰り返す悪夢
オーバーザルツは、人口三万五千で鉄橋がシンボルという、そこそこの田舎町だ。交通の要衝以外の目立った点は無く、事件らしい事件もあまりない町であった。だが、その唯一の特徴故にこの町は激戦地となる事が良くあり、そのため町の外れには物々しい要塞が平時から鎮座していた。
プファイツの血なまぐさい歴史と共にあった町に、ヴァローナ達スカラベ小隊が着いたのは、丘上での決戦から三時間経った頃である。
雨の中をハンナに付き添われて、ヴァローナはオットーとゲオルクがいる筈の司令部テントに向けて歩を進めていた。ヴェンツェルは一人アントンの修理中である。戦いの最中に不具合があっただか何だかで。
――エルディルの最後の砲撃を躱したの、あれ俺の操縦じゃないんだよね。
決して雨の中歩くのが面倒とか、今のオットーと鉢合わせたくないとかそういうわけでは無いとか何とか、色々言い訳じみたことを宣う彼にヴァローナは目も合わせず、ハンナはあきれ顔で置いてきたのだ。
「……雨、続きますね」
ぬかるみから足を引き抜きつつハンナが言ったのを、ヴァローナは手を一振りして返すにとどめた。しょんぼりと、ポンチョをかぶり直してハンナは歩き続ける。ヴァローナは前を見つめたまま黙って歩いた。沈黙の時間は二人がテントの前につくまで続いた。
「……じゃあ少尉、私はここで」
ハンナが頭を下げて引き返そうすると、ヴァローナは右手を伸ばして彼女の肩を掴む。驚いて、振り向くハンナの前に、微笑みを浮かべたヴァローナの姿があった。
「ありがとう一等兵。いや、ハンナ」
「……いえ、そんな……改めて言われるような事では……」
驚きと気恥ずかしさに挟まれるハンナの肩を、ヴァローナは優しく叩いた。
「良いんだ、言わせてくれ。ありがとう」
「……あ、はい」
戸惑いがちに立ち去るハンナを見送ってから、ヴァローナはテントの中に入る。中ではコーヒー片手に渋い顔をしているゲオルクと、手元から目を離さないオットーがいた。
「二人ともすまない、待たせたな」
「大丈夫です、まだ相手さんも来てませんから」
そう言って、ゲオルクはやっと笑顔を見せる。だがオットーはヴァローナに対して目もくれず、手に持っていた何か――ペンダントのようなモノを首にかけると、それきり身じろぎ一つとらなかった。ヴァローナも気にせず、彼の向かいに腰掛けて待ち人が来るのを待った。
「遅くなった」
声がして三人が立ち上がると、コートから雨粒を滴らせる男と従者が入ってきた。寒いな、と男がコートを脱ぎつつ他愛のないことを述べるが、三人は頷くに留める。男は椅子に腰かけると座るよう三人に手で促す。
「お初にお目にかかる。ルトガー・フォン・ヒュフナー。大尉で歩兵中隊指揮官、それとこの要塞の司令官代理だ」
金のたてがみから気品を漂わせつつ、男が言った。
「こちらは副官のコンラート曹長」
一人立ったままの曹長が静かに頭を下げる。ヴァローナは隣のオットーの出方を窺うが、彼は押し黙ったまま静かに佇むだけだった。目だけで大尉の様子を窺っている。
「どうぞ……少尉」
「……え」
横柄な口調で振るオットーに、ヴァローナは戸惑いを隠せなかった。大尉の眉が一瞬、ピクリと痙攣する。
「共闘する大将同士、挨拶はあってよいと思うが。少尉」
「……昨日着任したばかりでして、ご無礼を。スカラベ小隊指揮官、ヴァローナ・フォン・オルレンドルフと申します。こちらはオットー准尉とゲオルク軍曹。隊の副官です」
「……そうか。少尉、貴官は教育課程を修了するには早いように思えるが」
「卒業はしています。過程は短縮されましたが」
「学徒兵か……」
悲哀のこもった声はヴァローナを苛つかせるより、焦りを感じさせた。経験不足を理由に隊を取り上げられては適わない。各車分散して各戦線に配備させられる、なんて事になりかねん。
(我々の十八番である集中投入を生かすためにも、信頼を勝ち得なければ……)
だが大尉はヴァローナから視線を外すと、隣のオットーに向き直った。大尉の顔がほころぶ。
「貴官があのオットー准尉か、戦車通算撃破数五十の小隊を率いる」
撃破数五十と告げた時、大尉の眼はあからさまに輝きだす。興味を示さないオットーは先ず眼が動き、続いて首が反応する。
「それは、過去の撃破スコアですね」
不愉快な話題を、手っ取り早く終わらせようとするオットーの姿勢は、大尉の目には戦士の風格と映ったらしい。さらに口の端が上がった。
「やはりそうか。獅子奮迅の活躍にしては少ないと思ったんだ。貴官を見ていると、出自にこだわる我が軍の偏屈ぶりが嫌になるよ。騎士鉄十字章を持つ者が士官になれなくて、誰が士官をやる? 実力はよく知っている、共に戦えるのを誇りに思うよ」
「ご期待に応えられるよう……」
「ご期待? 冗談だろう? まあいい、早速作戦会議に入ろう」
笑い出す大尉に、ヴァローナは複雑な表情を浮かべる。取り敢えず独自に行動をとるのは許されそうだ。だが利をもたらしたのは結局オットーの、彼の威光だ。
(……私はお飾り、相手にもせずか)
煮え切らない思いを抑え、ヴァローナはテーブルに置かれた地図に集中する。地図に示された防衛線は、個々の独立した陣地がカバーしあう対戦車陣地だった。北から南東に、オーバーザルツに至る街道沿いを守備するように三段で構成され、後退しながら敵を弱らせる遅滞戦術を想定している。防衛線の南に今いる要塞、その東南東に町。そして町の東に位置する鉄橋は爆薬が仕掛けられ、ヴァローナ達殿が渡った後に爆破する。敵に橋を奪取されそうになった時はその前に。
(敵は長期間の足止めを余儀なくされる。だが……こちらも橋を通っての撤退は出来ない危険が伴う、と言うわけだ)
ヴァローナの思惑を察してか、饒舌に大尉は話す。
「心配には及ばん。工兵隊に手配してポンツーン(舟)の手配を急がせている。もしもの際、我々はこれに乗って優雅に川下りというわけだ。安心だろう?」
「元より安全など、注意を払う気はありません」
ヴァローナの懸念は、不機嫌を露骨に出し始めたオットーに移った。いつもの彼でも、気にいらない相手にそれ位の皮肉は言って除けそうなものではある。だが……何も知らない大尉も流石に表情が陰る。
「そうか……小隊の名にたがわぬ……たがわぬ……心意気だ」
「フンコロガシなぞ、どんな名があると言うので?」
身を乗り出し、オットーが大尉の前に顔を近づける。
「糞の中に生まれて、糞を食って生きる、そんな虫です」
曹長が僅かに動いたのを大尉は手で制す。
「……あまりもてはやされるのは、趣味でないようだな」
「い、いえ。そのようなことは……」
小さくなって言うゲオルクも大尉の目には入らなかった。実直な士官とやさぐれ准士官。大人の男たちが発する険悪な空気は、ただでさえ淀んだ空気を不愉快なものに作り替える。間に挟まれたゲオルクは悩まし気に顔をしかめた。
「任務は完遂します」
沈黙の中、ヴァローナが立ちあがった。
「性根はあれですが、准尉は任務に手を抜く方ではありません。必ず、大尉のお力になります」
「……問題は、本人から全くその気が感じられない事だな」
今度はオットーが口を開くのを、ヴァローナが手で制す。
「約束します。ご期待に背いた時は、我々を戦車から降ろすなりなんなりお命じ下さい」
「お飾りの学徒の言葉を、私が信用するとでも?」
「私からも、お約束致します」
ヴァローナの横でゲオルクが立ち上がった。二人を見据える大尉の目は底の見えない谷底のように暗いが、ゲオルクの胸についた一級鉄十字章が冷たい視線を跳ね返す。胸を張り、此方は正面から視線を受け止めるヴァローナ。大尉は無言で立ち上がった。
「こちらの“指示”はちゃんと聞けよ」
「「はっ!」」
ヴァローナ達が頭を下げ、オットーも最後に社交辞令と頭を下げる。友軍の運命を決める天王山は、マイナスからのスタートとなった。目を三角にするヴァローナがオットーを睨む。
「……子供か貴様は、気に入らない事の一つ二つを耐えるのが……」
再び手元に視線を移すオットーに、ヴァローナは言葉を失う。そうして胸をかきむしる、いや、ペンダントを弄っている彼の眼は、何も写そうとはしない。淡々と、ゲオルクが言った。
「行きましょう少尉。准尉なら大丈夫です」
「しかし……」
「行きましょう!」
後ろ髪を引かれる思いのヴァローナは、腕を引かれてテントを後にした。
「なんだかなぁ」
頭の後ろに手を組んだヴェンツェルが呟く。前方二・五kmでは土砂と血煙の花が咲く。ゾルケンの政治犯部隊の連中が散っていくのを、ペリスコープ越しに眺める状況は、現実感の著しい欠如を招いた。
「なにが」
退屈に任せてヴァローナが尋ねた。砲身が後退し、薬莢が吐き出される。黙々と、弾を込めるゲオルク。
「この光景がだよ。少尉。まるっきり人の世の不条理そのモノじゃあないか」
「不条理」
ヴェンツェルが哲学的見地を持ち合わせるのは、ヴァローナにとって多少の驚きであった。そうさ、と欠伸をしながらヴェンツェルが続ける。
「さっきまで一人の子供の死を惜しんでいた我々が、今は十数人の命を何の感慨も無く一瞬で無くしちまうんだ。遠近の作用ってヤツだな、同じ現象でも、距離が開くとこうも――」
「黙ってろ、伍長」
ぴしゃりと、オットーの鋭い声が突き刺さる。同時に砲が後退、回避行動をとっていたヴェストールが火の玉になって果てた。それからは誰も口を利かず、時折り発される砲声が、事務の判子押しのように規則正しく続く。車内を漂う緩やかな倦怠。疲労。一人照準鏡を覗くオットーだけが、半ば意地となって、何者からか逃れるように目の前の敵を吹き飛ばす。
「准尉、我々は敵が距離を詰めてからが本番だぞ。無駄に撃っては――」
ヴァローナの忠告も空しく、レバーが引かれる。霧雨の中に水柱が上がった。当たれば当たるほど、オットーの顔は照準鏡に押し付けられる。この世から、生から、彼を遠ざける。
――まるで、亡者だな。
ヴァローナの眉間に深い皴が刻まれた。手を止めれば仲間が死ぬ。手を下せば己の手は血で染まる。プファイツで最も名を馳せた戦車乗りであるこの男は、その実血に染まった自分の事を心底嫌っている、そんな気がする。
――……そうだとも、これは戦争だ。
オットーの呻きを思い返すヴァローナ。目の前では、同じ言葉を言った本人が脇目もふらず命を刈り取る。一体何が、この男をこうまで苦しめるのだろうか。懺悔を望む者に罪を犯させ続けるとは。それ程までに彼は罪深いのか。正の部分も立ち消える程に、罪とは――
「司令部より入電」
ハンナの声が車内に緊張感を蘇らせた。読め、とヴァローナが言う。
「斥候からの報告。敵は現在地で牽制射撃に入り、撃退は確実と思われる。小隊は、敵掃討のため突撃を準備されたし、です」
「……敵が、止まった?」
オットーのレバーを引く手から、徐々に力が抜けていく。その様子に全身が総毛立つ感覚を覚えたヴァローナはハッチを跳ねのけ外に出ていた。その後をオットーが追う。吹き付ける雨も意に介さず、二人は双眼鏡を構えた。
天より下がる幕となった雨を跳ねのけ、一台の戦車が霞の向こうから姿を現した。小屋の如き砲塔と百五十二mm榴弾砲の威容、そして、ノーズアートの飾り紐の輪、その真ん中に鎮座する、煙突掃除夫。
「還ってきた……」
朧気に霞む悪夢に、戦慄の声を上げたのはヴァローナだった。
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