第7話 破れた虚飾
七 破れた虚飾
生まれてきたことを後悔する。ヴァローナの眼下で繰り広げられる光景には、そんなちんけな言葉がぴったりだった。
「うっ……」
百鬼夜行の群れが行く。切られ、弾け、切り取られ、全身を赤黒い血と包帯で飾ったプファイツ兵達の行列を前に、ヴァローナは胃がかき乱されるのを感じていた。
狂喜の叫びと屍人の呻きの合唱は戦場を埋め尽くして、スカラベ小隊の隠れる丘まで押し寄せてきた。血だらけの木偶人形たちは一心に手を伸ばし、地獄の獄卒たちから逃れようと救済を求め歩き続ける。
獄卒たちを率いるはゾルケンの切り札、SB5エルディル。ノーズアートの、薄ら笑いを浮かべる掃除夫が、不格好なプファイツ兵達を丘の上から見下ろしていた。
「……各車、砲撃戦用意!」
胸をかきむしるオットーは、静かな激情に任せていった。
「しかし、まだ距離が――!」
言いかけたヴァローナを獲物をむさぼる獰猛な獣の眼が捕らえた。言葉を失う彼女に血走った眼をしたオットーは、微かに残った理性でもって語り掛けた。
「……俺達で引き付けなければ、連中は全滅だ」
「でも――」
「半人前は黙って言うことを聞け!」
言い返せぬヴァローナを車内に押し込み、オットーが砲手席につく。
「一斉射、撃てぇ!」
オットーの怒声と共に、小隊の隠れる丘は火と硝煙に包まれた。咄嗟に、隊を散開して回避に入る敵部隊。
「運の良い……しかし!」
すかさず照準を修正し、一撃。ヴェストール一両が横腹に破孔を穿だれる。次弾装填、レバーを引く。反動でアントンが浮き上がった。もう一両、ヴェストールが炎に包まれる。
「よし次――」
「やべ!」
血気にはやるオットーの勢いはしかし、ヴェンツェルがクラッチを後進に入れた事で削がれた。直後、空気を破らんばかりの衝撃と猛烈な縦揺れが車内を襲う。掃除夫のマーキング、エルヴィルの百五十二mm砲の咆哮は、さっきまでアントンがいた地点を天高くぶちまけた。
「ぐっ……何をしてる! 次だ、弾込めろ!」
「やって……ますよ……装填完了!」
ゲオルクの手で砲尾に砲弾がたたき込まれた。レバーを引く。
土煙を突き破って、鏑矢の如く唸りを上げた砲弾はエルディルの側面に突き刺さる。爆発。期待の目で経過を見守るが、エルディルは何事も無かったかのように砲声を上げた。
「クソッ、表面を抉っただけだ――」
オットーが顔を歪めると、さっきよりは小さな衝撃が断続的に丘を襲う。
「奴ら突っ込んでくるぞ!」
ヴァローナが叫んだ。四輌一組、団子となったヴェストールの小隊が、津波となってヴァローナ達の方へ押し寄せてくる。
「同じことしか……能のない奴らだ」
憤然としてオットーがレバーを引くと、先頭を行くヴェストールの前半分が消滅する。次弾装填、足が止まった奴に一撃。前足が吹き飛び、地面を抉るヴェストールが別の小隊機に撃たれて爆ぜた。
「近付いてこい……貴様らのための殺し間だ!」
近付かれてようと、低い車高と高威力の大砲というアドバンテージを活用することで反撃を試みるスカラベ小隊。だが大口径榴弾砲の加護を受けるゾルケン機甲大隊を、退け続けるのは不可能に近い。一輌、二輌と死角に張り付いた敵部隊は、機銃、主砲、榴弾砲と持てる限りの全ての武装で小隊を圧迫せしめた。
「ツェーザー、損傷により二名負傷です」
「丘の影へ、遠くの敵をけん制させろ!」
ハンナの報告にオットーの怒声が響く。照準鏡には十二・七mm機銃を掃射し、肉薄せんと歩を進めるヴェストール。アントンの装甲をお構いなしに叩き付ける機銃弾が、狙いに集中するオットーの神経を逆なでる。
「舐めるなぁ!」
アントンから発射された砲弾がヴェストールの正面に突き刺さり、エンジンルームまでを串刺しにした。丘が無事であれば、ヴェストールは難なく小隊に肉薄してヴァローナ達を撫で切りに出来ただろう。だが……
「射角はてめえらの大将が確保してくれたぜぇ」
オットーはアントンを、敵が榴弾砲でえぐり取った窪みに入れる事で射角を確保した。えぐり取られた地面は銃眼のように機能して侵入者を固く拒み、これでは尽きる事の無い不滅の土塁である。不利を悟ったか、ゾルケン戦車隊の足が途端に浮き立ち始めた。
「引き上げるか……」
そして戦いも終わり。ヴァローナが淡い期待を込めて言ったそれは、オットーの一声であっさり裏切られた。
「各車突撃用意。目標、丘上に居やがるエルディル戦車」
「貴様正気か!」
「突撃、前へ!」
ヴァローナの願い空しく泥をはね上げ、土塁を飛び出した小隊。アントンを中心とした猟犬の群れは、丘の上に悠々と立つエルディル戦車の元へ殺到する。
「邪魔だ!」
逃げる隙を失ったヴェストールを正面に捉え、オットーはレバーを引く。炸裂した砲弾に竜骨をぶち折られ、糸が切れたように崩れ落ちるヴェストールを、アントンはその鋭い脚爪で踏みつけズタズタにした。
逃げ回る別なヴェストールを狙い、一撃。後ろ脚を失ったヴェストールは尻を引きずりながら逃げるも、アントンに踏みつけられこれも残骸となり果てる。その間も、オットーの血走った眼は丘上に居る不愉快な存在に釘付けだった。エルディル戦車の掃除夫マークが不気味に笑う。彼我の距離残り三km。
不意に、丘上から大地を揺るがす雷鳴。
「操縦手ひだり!」
オットーが肩を蹴り、ヴェンツェルが操縦レバーについたジョイスティックに力を籠めた。コンプレッサーが空気を溜め、ピストンを一気に押し出すと、アントンの車体は左へと軽快なステップを遂げる。だが獲物を捕らえ損ねた榴弾はそのまま斜面を滑り降り、アントンの後ろに続いていたエーガーの車体を、真っ黒く歪ませて爆ぜた。
「エーガーが……」
ヴァローナが覗くキューポラの覗き窓から、オレンジ色の光が激烈なコントラストを伴って差し込む。その最後の断末魔にオットーはゆっくりと目を閉じる。
「……ダメだ」
「クソオオオ!」
ヴェンツェルが操縦レバーを押し出し、エンジンがうなりを上げる。巻き上げる土が砂煙となって鬼気迫るアントンの姿に凄みを増した。エルディル戦車との距離二km。
「何故撃たないんだ!」
ヴァローナが尋ねると同時に至近弾、榴弾の破片がアントンの背中に降り注ぐ。
「所詮コイツの砲は車載用に小細工しただけの改造野砲。初速が遅くて貫通力不足だ。奴を確実に仕留めるには、出来る限り近付く!」
オットーは照準鏡から目を離さない。エルディルの左右、取り巻きのヴェストール二輌がアントンに射線を合わせる。普段のオットーであれば、難なく回避の指示を飛ばせる。が、
「視野角が……足らん!」
距離を詰め過ぎた状態では、照準鏡で三両を同時に視野に捉えることは不可能だ。相打ち覚悟と、オットーは腹をくくる。エルディルがアップになるにつれ、取り巻きのヴェストールは徐々に視野の外へスライドし――
「操縦手、合図でステップ!」
自分でもびっくりするぐらい、ヴァローナの声は真っ直ぐ発せられた。
「なに?! おい貴様――」
すぐ後に続く動揺したオットーの声を、今度はヴァローナが鋭い視線で制した。
「准尉、一発で十分か?」
「……ここまで来れば、屋台の射的同然だ」
口籠りながら、オットーは答える。
「軍曹。私が外にいる間、足を押さえてくれ」
「りょ、了解」
キューポラを跳ね上げて身を乗り出したヴァローナ。ゲオルクに足を押さえら れても安定性は乏しい。ぶれる視界に二輌のヴェストールを捉え、片方の主砲が下がり切るのを瞬時に見切る。
「今!」
風景が急に左へとスライドし、生身のヴァローナを破裂した砲弾の熱波が襲った。前腕で庇いつつ、気合で目をおし広げるヴァローナ。間髪入れずに、次――
「今!」
今度は視界が右にブレて、初弾よりも至近に着弾する砲弾。
「痛……!」
ヴァローナの頬に鋭い痛みが走る。流れる血を破片ごと払い取り、前方への注視を続けた。今は傷どころではない、敵に集中し、合図を――
だがヴァローナが反応するよりも早く、エルディルは砲口をアントンへ向けていた。
「……!」
ヴァローナが指示を出すよりも早く、アントンは伏せの姿勢を取る。エルディルの榴弾が頭上を通り抜け、背後に落下した。三十tの車体を土砂ごと浮き上がらせる衝撃は、ヴァローナの体をアントンの屋根に叩き付ける。
「少尉!」
半濁した意識の中、ヴァローナは自分の体が引きずり込まれるのを感じた。水につかり切ったみたいにくぐもったゲオルクの声。立ちはだかる彼の肩を押しのけて、ヴァローナの視線は怒声を飛ばすオットーの背中に向けられる。
「ヴェンツェル、奴の側面に回り込め!」
「曲がれ……アントン!」
ヴェンツェルが重いレバーを、力いっぱい左に倒す。カニ歩きにシフトしたアントンが円を描くように左折し、エルディルの右側面にとりついた。掃除夫の笑みが、照準鏡の視野角一杯に広がる。
「喰らえぇぇ!」
百二十二mm改造野砲の砲声は、夏の乾いた空気を震わせた。
また、夢を見ていた。
昔の……古い昔の思い出だ。
『この馬鹿! 髪をインクで染めるなんて、考えているんだ!』
硬いブラシで乱暴に髪をこすられながら、私は甘えた笑顔を浮かべて目の前の人物の腰に抱きついていた。
『……ったく。なあ、聞いているのか、ヴァローナ』
――聞いてる。
腰のあたりに抱きついている私は、怒り顔の彼女に対して笑いかけた。勿論、尊敬する姉上の言葉を私が聞かなかった事など、ある筈がない。
私の髪についたインクが、泡と共に流れ落ちていく。
擬態。彼らの内に溶け込めない私が考え出した、とっておきの策。だがその目論見はあっさりと破綻をきたし、今やただの汚れ。
『……ヴァローナ?』
姉上の訝しむ視線。瞳から綻びが流れ出すのを、私は彼女に顔を埋めて隠そうとする。
だが声は、声だけはどうしようもない。
『おい……大丈夫か?』
何故? 溢れそうになった疑問を嗚咽の中に紛れ込ませて。
自分でも考えた。笑わないからか、背が低いからか、髪が黄色いのがいけないのか。
変えられるところは変えようとした。小さいなりに、出来る事を探し続けて。笑って抱きしめなくたっていい、怒ったり、馬鹿にされたって構わない。それなのに……
――どうして?
此処にいるのは、二人だけだ。
椅子の上から飛び起きたヴァローナは、アントンの低い天井に頭を強打した。
「いっ……痛ぁ……!」
頭をさすりながら、星が瞬く視界で周囲を確かめる。照明も落とされたアントンの車内、中に居るのは自分、ヴァローナ一人だけだった。眠っている間に戦いも終わったのか、銃声はすれど恐ろしい大砲の唸りは、嘘のように鳴りを潜める。
「……皆は……どこに?」
ハッチを開けて外に這い出したヴァローナは、まだ体調が不完全であることを完全に失念していた。ふらつく足が滑る装甲を捕らえ損ね、尻から地面に落下する。痛みに顔をしかめながら、アントンの脚にもたれかかって彼女は、鈍い体を進めようと、上げた視線――
「な……」
――その目に映った光景を前にして、ヴァローナは自分の膝が笑い出す声を聞いていた。
否。それは確かに、耳にした声である。
それは焼け落ちるエルディルの周りで喚き狂う、木偶人形共の嬌声。
それはエルディルに括りつけられて泣き叫ぶ、燃える人形の絶叫。
「そのまんまくたばれ! アカの外道が!」
「ゾルケンの豚に容赦はいらねえ!」
「おい、もっと燃料はねえのかよ!」
燃え盛る供物と踊り狂う異端者たちの儀式を前に、ヴァローナの精神は限界を迎える。ひざを折り、引き千切らん勢いで抑えられた彼女の耳はそれでも、痛みに悶える生贄の声を遮ることは出来なかった。
「……ァァアアアアアァァ!」
一際大きな絶叫の後、油と血だまりの中に転がった生贄の首に、蟲たちが群がる
「俺の物だ!」
「離せ! 俺が先に取った!」
「どっちでもいい! 金歯は? 金歯はあるか!」
「とっとと口の中おっぴろげろ! 佐官様なんだから期待できるぜ!」
「ああ、畜生……時計の方はドロドロだ」
――聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!
どれだけヴァローナが願おうが、錯乱した眼で死体を漁る兵士達には届くはずもない。
――嘘だ、嘘だ、嘘だ!
壊れる寸前の心に彼女は呼びかけ続けた。必死になって救った連中、紡いだ未来の先が、こんな地獄なのか。これしかないのか……自分の……行きつく先など。
「……おい」
頭上から声に、ヴァローナは放心しきった顔を上に向けた。奥の惨状を遮るように立ち塞がるオットーは、揺らぐ残り火が顔に影を落として、まるでこの世の理を離れた存在であるかのように見えた。
「……」
口も開けず震えるだけの彼女を、オットーは抱え起こして小隊の仲間が集まるところへと引っ張っていく。彼等もまた惨劇を前に何も出来ないまま、呆然としたり俯いたりして騒ぎが収まるのを待っていた。
誰にも逃れる道はない。
重い体をオットーに引きずられながら、ヴァローナはそれを悟った。俯くか、泣き喚くか、狂喜に踊り狂うか。自分たちに残された道など、せいぜいそれくらいだ。それくらい……そうやって若者は一つ天啓を得る、それでこの話は終わり。その筈だった。
「よぉし、じゃあ最後の連れてこい」
「……っ!」
それで終わるわけもないのが、地獄の地獄たる所以である。
引っ張られ、突き飛ばされながら最後のゾルケン兵が連れてこられた。頬に傷があるものの涙と泥で汚れた幼い顔は、飢えた目をギラギラさせるプファイツ兵士達の嗜虐心を煽りたてた。
「止めろ……」
ぼそりと、ヴァローナが漏らした呟きは獣の喧騒に消えた。泣き叫んで、ゾルケン語で許しを請う少年兵を、味方の兵たちは粛々とエルディルの壁面に括りつける。時折、暴れまわる少年を殴りつけながら。
「止めろぉ!」
飛び出しかけたヴァローナの身体は、オットーの手によってがっちりと掴まれたままだった。足だけが空しく宙を掻く。
「放せ、放せぇ! くそ!」
「今行っても殺されるだけだ! 連中の目を見ろ!」
オットーが止めても、必死にもがくヴァローナは抜け出そうと彼の腕に指を食い込ませる。目の前では少年兵がいよいよと、ジェリ缶に入った燃料を浴びながらしゃくりあげていた。
「でも……! ぐぐ……放さんか、准尉ぃ!」
「所詮……戦争だろうが!」
オットーの苦し紛れの一言は、ヴァローナにとって思いもよらぬ一撃となった。直後、処刑台に変えられたエルディルは再び炎に包まれ、敵兵の泣き声は絶叫に変わる。取り囲む群衆たちは笑い合い、勝利の雄叫びを荒野の空に轟かせた。
「……そうだとも、これが戦争だ。ああやって、人を焼き払うのが俺達の仕事だ……!」
絞り出すように敗北を告げるオットーの声が、ヴァローナにとって最後の止めとなる。崩れ落ち、髪を振り乱して泣き続けるヴァローナを見下ろす時、オットーの手は無意識に自分の胸に置かれていた。
「ううう……」
こぶしを握り締め泣き続けるヴァローナの心は、一つの思い出によって暗くふさぎ込んでいた。自分が始めて引き金を引いた時の事、あのままなら穏やかな眠りの中で死ねたはずの人間を、わざわざ苦痛の中に陥れたのは、他でもない、ヴァローナである。
「ざまあみろ!」
再び、ヴァローナの心を言葉の矢が貫いた。獣の一匹が言ったその言葉は、誰に向けられた言葉か。誰でも良い、ヴァローナは思った。絶叫は止んでいた。引き金も引かれてしまった。全てが既に、終わりを迎えた後だ。
(こんなこと……進んでやるような奴にはなるな)
先達の言葉の意味を、ヴァローナは今やっと理解した。
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