第3話 戦争処女

 三 戦争処女


 騎兵とは、揺れとの戦いである。少なくともヴァローナはそう思っていた。

 手綱を取り、あぶみの上でバランスを取る。サーベルを抜き、号令、突撃、一突き。騎兵は古来より戦争で唯一の機動兵器とされ、幼少期から馬を操るための訓練を重ねたエリート集団だ。その末裔である自分にとって砲兵の乗る戦車など、馬車より快適な乗り物に違いない、と。  

隊に来たばかりのヴァローナは、そう高をくくっていた。




 ぐん! と、ヴァローナの体は大きく左に揺れる。

 ぐん! と、次の揺れでその体が右に振り戻される。

 これは……これは何かの刑罰か何かなのか。目を向いてヴァローナは左右に陣取るオットーとゲオルクに目配せする。バランスを取ろうと彼女が四苦八苦する間も、彼らは頭一つ動かさずに、じっと前を見据えていた。

 ぐわぁ!

 下からの激しい突き上げから次の瞬間、ヴァローナの宙に浮いた尻は座席へとしたたたかに打ち付けられる。

「ぐふぅ!」

「ハーネスをしろ、死にてえのか!」

 オットーが右で飛び跳ねる連れに一喝する。そうは言ってもヴァローナ自身は、揺れる車内で体を踏ん張るのが精一杯だ。ハーネスなんて掴もうとした時には、頭が何処かの壁に叩き付けられるだろう。

 脚を地面に叩き付ける、杭を打つのに似た衝撃が左右に揺れを生じさせる。と同時に、その小さな車体の二倍以上ある巨砲が揺れて、何か障害物を乗り越える度に激しい上下の揺れが車体をゆする。

 エンジンが捲し立てるけたたましい騒音。腐った水草よりも濁ったオイルの臭気。五感の全てを破壊しつくす環境に、ヴァローナの神経は卒倒寸前だった。取っ手を握る手袋の中に、にじみ出る汗がたまり出す。一層激しい縦揺れが来た時、ヴァローナの喉までせり上がった嗚咽は物体を伴って放たれた。

「うおえええ……」

 顔をしかめてオットーはハッチを開く。

「――っ、ああ……」

 暗がりから引き摺り出された目が、差し込める太陽の凶悪さを訴えかけた。空は夏特有のギラギラした青に染まり、泥の海に時折り覗くのは焼けた大木と沈黙した敵の多砲塔戦車――ヴェストールの死骸だけだ。オットーは咽頭マイクロフォンを起動すると、よどみない声で指示を飛ばした。

「車長より各車に通達。左前方二kmの丘に陣を展開、くし型隊形で敵を待ち受ける。第一分隊前列、第二が後列だ。掩体壕を設営」

 ベルヒリンゲンは足並みも軽く、丘へたどり着くには五分と掛からない。見る間に丘上に陣取った小隊各機に対しオットーは、休む間もなく一喝する。

「五十m間隔、急げ!」

 縦列を組んでいた戦車はぱっと散開し、瞬く間に前衛五列、後衛五列の複列横隊を取る。

「え、掩体を掘るんだったな……円匙(シャベル)は何処だ」

 げっそりとしたヴァローナは、よろよろと車外に這い出てきた。

「黙って見てろ」

 オットーが冷たく言い放つ。ヴァローナが文句の一つでも言ってやろうと口を開いた時、アントンは大きく体を揺さぶって、周りの土をモグラのようにかきだした。

「う……」

 もたれかかるヴァローナはオットーに振り払われ、彼女はキューポラ(搭乗口)周りの柵にしがみ付くしかない。その間、アントンは足元の泥をどんどん跳ねのけて、丸っこい車体はずぶずぶと土の中へ潜っていった。

「これは……うぷ……」

 三十秒と掛からず、小隊の戦車は全てが半没状態となる。オットーはさっさと車内に引き返すので、ヴァローナもまたよたよたと後に続いた。

「設営完了だ、准尉」

 オットーの足元でヴェンツェルが言った。短く頷いたオットーは、彼の反対側に座っているハンナに視線を移した。

「ハンナ、各車からの応答は」

「全車とも掩体壕の設営、完了しました。他に報告ありません」

「よし。では……」

 額に手を当てているヴァローナの肩を、武骨なオットーの手が無造作に叩いた。

「おい。何時までうずくまっている」

「うるさい……! くそ……」

「お前に初仕事をやろう。双眼鏡と咽頭マイクロフォン、二つ持ってハッチを出て、キューポラから外を見張るんだ」

「何故私がそんなこと――」

「他に何の役に立つってんだ。フロイライン?」

 ぴしゃりと言われ、答に窮したヴァローナは口を噤んでしまう。お構いなしに、オットーは先に外へと向かい始める。

「少尉……」

 固まったままのヴァローナにゲオルクが心配そうな視線を送る。それはまごうことなき哀れみの視線だった。

――可哀そうに。目がそう言っている。

「……余計なお世話だ!」

 ゲオルクを睨みつけながら放った、ヴァローナの蹴りが砲弾ラックを直撃する。ぎょっとするゲオルクを置いてヴァローナはキューポラから飛び出す。最初に目に入ったのは仁王立ちしているオットー、そして――

 眼下に広がる、見渡す限りの泥濘である。

地図によれば草原である筈のそれが、窪みと沼と剥き出しの土で埋め尽くされていた。焼け落ちて基礎だけとなった家屋。戦争前は村であったであろう礎石の列が平原を縦に隔てる以外に、存在するのは敵味方の残骸があるのみだ。思わず、呟きがヴァローナの口から漏れる。

「此処に人間が……生き物が生きていたとは……にわかには信じがたいな」

「居たんだよ……数か月前までな」

 正面を見据えたオットーがようやく口を開いた。

「どこへ行ってもこんな景色ばかり……戦いの前の世界が、まるで幻だったみたいだ」

 幻。三日前まで首都圏にいたヴァローナにとって、呆れを通り越して笑い飛ばすほどのバカげた発想。だが散々に傷跡を刻まれた世界を前にして彼女は、乾いた笑いの一つも出すことは無かった。

(地続きとは思えん)

 疑うまでに何も無い。しかしヴァローナには不思議と悪い気はしない。住んでいた連中には気の毒だと思うが。荒涼とした荒れ地に自分の(?)部隊と味方、そして敵。裏と表が存在しない、シンプルな世界。

(爪弾きには、丁度良いわ)

 左目の中に熱いものがたまった。オットーに悟られぬようヴァローナは素早く拭い去る。どうにも気分が高ぶると傷が開く。ここ最近はずっとそうだ。前線に出るのが決まってからずっと。力を手に入れるなら今しかない、ヴァローナの眉間に深い皴が刻まれる。

――そんなに青い目がよいか!

 いつぞやに聞いた声は、走り抜けざまにヴァローナを切りつける。ここならしつこい虫に煩わされる事も無い。

「方位三三〇、距離一七〇〇に別動隊。見えるか」

 オットーが指で示した先にヴァローナは見た。泥濘の海の間でわずかに蠢く人影を。深緑色の戦闘服にフリッツヘルメットの集団と、その背後に泥でカモフラージュされたドーム状の車体を。五十七mm榴弾砲を装備した四二式中戦車は、ベルヒリンゲンの母体となった旧式戦車だ。

「歩兵に旧式戦車が二個小隊……頼もしい味方だ」

 標準的な我らがプファイツ軍の堂々たる陣容に対し、ヴァローナは皮肉交じりに言い放った。

「良い目だ」

 オットーの返しに対して、むっとした顔のヴァローナが続ける。

「皮肉か?」

「いいや、その調子で精々励め」

 それだけ言うと、オットーは車内に引き返す。まるで素直でないオットーの言葉を、同じくへその曲がり切ったヴァローナは鼻息一つで一蹴した。今更取り入ろうというのか? などと、見当違いな事を考えながら、前傾姿勢になって目を凝らす。

「来た」

 土煙を上げて姿を現したそれは、丘陵の上を埋め尽くさんばかりに広がっていった。

「方位〇四五、距離二五〇〇。丘上に敵の戦車集団発見」

 見間違えるはずもない。直線的なデザインに四二式の二倍はあろう体躯に、ちょこまか動く小ぶりな八本脚が生えて、車体のあちこちに機関銃を搭載したシルエットは軍艦を思わせる。ゾルケンの主力中戦車――プファイツ軍コードヴェストールは五十輌以上で徒党を組んで、眼下のプファイツ軍陣地の方を睨みつけた。

(あんなものを、一か月に千、二千とこしらえるのか)

 ヴァローナが眺めている間にも、敵も味方も砲口を互いに向け合って睨み合いを続ける。先に仕掛けたのは味方――プファイツ軍の方だった。

 四二式の榴弾砲から砲火が生じた。殺到する砲弾は敵先頭車の正面装甲を叩き付け、鐘を鳴らすような重苦しい金属音が辺りに響く。しかしヴェストールの装甲は多少のへこみを生じたのみで、構わず前進を開始した。

「なに……!」

瞠目するヴァローナの前で敵の反撃は始まった。立て続けに上がる砲声は大気を震わせる爆音に変わり、地面に次々と穴が穿たれる。先手を切った筈の四二式たちは正面装甲を叩き割られ、ため込んでいた燃料を血液の如くぶちまける。

別動隊の健気な反抗もものともせず、敵戦車の群れは味方のただ中に飛び込んだ。

「……!」

 ヴェストールが砲弾を放てば、歩兵二、三人が土砂ごと吹き飛ぶ。

 ヴェストールが機関銃を掃射して、逃げ遅れたプファイツ兵は背中から血煙に変わる。

 歩兵が潜り込んで爆弾を仕掛けようとすれば、下っ腹にある機関銃で愚か者を血肉に変える。阿鼻叫喚の地獄の中で有利な筈の防衛戦はすぐさま、惨めな退却に変わった。

「……」

 繰り広げられる凶行はヴァローナを戦慄させる。これが戦争だというのか。弾き、千切り、踏み潰す。友軍の持つ兵器は全て退けながら、敵装甲部隊は追撃という戦闘行為を、まるでキツネ狩りのように淡々と片付けてしまう。

 逃げ惑う別動隊の、なんと哀れなこと。骨が折れるならまだいい方、手を失い、足を失い、それでも這い出さねば、鋼鉄の脚に全身を踏み砕かれて死ぬしかない。機関銃を爆竹のように打ち鳴らし、ゾルケンの鉄の軍馬は迫り来る。

「准尉、いつまで見ている気だ!」

 堪らず、ヴァローナが吠えたてた。

「准尉!」

「焦るな、距離は?」

「一五〇〇を切った!」

「そうか……いい働きだ」

オットーはぼそりと呟いた。

「距離は充分……小隊注目!」

 彼の声が耳に響いた時、小隊全体の空気が変わったのをヴァローナは肌で感じた。

「第一分隊、弾種徹甲。味方にクソ垂れてる奴らに直接ぶちかませ。第二は榴弾、ヴェストールの周りにいる歩兵を薙ぎ払う。初撃で連中の足を止めるぞ」

 刹那、砲弾が砲尾に放り込まれる音。速い。訓練とはまるで違うスピードで全ての物事が進展していく。アントンが右へと動き始めた。

「車体位置、調整完了」

「各車、射撃準備完了です」

「発射!」

 オットーが砲の発射レバーを引いた瞬間、ヴァローナは体をくの字に折って衝撃に耐えなければならなかった。

「うお……お……!」

 十門の百二十二mm砲一斉射は衝撃で地面の泥を波打たせ、マズルブレーキから噴き上げる火の粉の塊に、ヴァローナの視界はオレンジ色に染まった。きいん、と空気を切り裂く警笛のような音がする。その音が一瞬聞こえたかと思うと、次には大地を揺るがす衝撃波がアントンの頼りない脚を小刻みに揺らした。

「馬鹿者め……これほどとは――!」

 ヴァローナが伏せていた顔を上げたのは、さっきまで味方を蹂躙していたヴェストール四輌が穴という穴から炎を噴き上げて燃えている、そんな瞬間だった。

「これほどとは……」

「各車任意射撃、始めぇ!」

 たて続けに砲の雷鳴が響く。風圧に翻弄されるヴァローナ。

「ぐ……」

 小隊の狙撃は一撃必中の勢いで敵戦車を蹂躙した。轟く砲声。オットーの狙撃が脚を上げたヴェストールに突き刺さり、足が千切れて敵戦車は擱座する。

「アントンからドーラ、左に旋回」

 脚を踏み鳴らして向きを変えるアントン。本隊から離れた敵の別動隊が、焼け落ちた村を盾にして接近しつつあった。あっという間に距離を詰める敵戦車に、ヴァローナの焦燥は掻き立てられる。

「不味い――」

「臆するな、撃てぇ!」

 反動でアントンを包む土砂が巻き上がる。放たれた砲弾が先頭を行くヴェストールの天板を貫くと、哀れな犠牲者は着弾点から一刀両断された。続いて第二射、第三射――気付けば敵は一挙に五輌を失い、残った戦車も続く四度目の斉射によって殲滅された。

「最後の締めだ。全車掩体を出ろ」

 土煙を生じて、アントンが土饅頭の中から立ち上がる。

「第一分隊突撃用意。逃げる敵のケツを蹴り上げる、突撃!」

 砲を掲げ、前列の戦車が泥濘を跳ね上げ突撃する。地に脚を突き立て、前へ。ひたすら前へ。

「第二分隊からの掩護射撃、来ます!」

「各車、味方の砲撃に突っ込むなよ!」

 オレンジがかった飛跡が頭上を抜け、すぐ目の前に火炎の花を生じさせる。感想を述べる間もなく、アントンは煙幕の向こうへ突き抜けていった。煙の先には今になって逃げ出し始める薄茶色の軍服、ゾルケン兵の背中が広がる。

「弾種榴弾、一斉射!」

「装填完了」

「撃て!」

 眼前で炸裂する炎と金属片は、無防備な敵歩兵を熱と衝撃で物言わぬ置物に変わった。続いて見えるは敵戦車、ヴェストールの砲塔が此方へ指向した。

「操縦手、左だ!」

「言われなくとも!」

 閃光と衝撃。だがそこにアントンの姿は無かった。ヴェンツェルの巧みな操縦によって左ステップした地点は、敵戦車を照準鏡にぴったり捉える位置だ。ゲオルクが告げる。

「装填完了」

 オットーが発射レバーを引いた。一瞬の浮遊感。発射の衝撃は瞬く間に前進のベクトルとぶつかり合い、搭乗員の内臓と背骨を圧迫した。

「ぐっ……」

 搭乗員の内臓がギリギリと締め上げられる。照準鏡の端に立ち上る火炎のシルエット。装甲板をわななかせる振動に、オットーはGに耐えながらほくそ笑んだ。

「ヴェンツェル、構わず突っ込め!」

「了解!」

 装甲板に無数の弾痕を刻まれながら、アントンは半死のヴェストールに向かって突進した。機銃のさえずりが途絶え、金属がぶつかりあってきしむ。脚のシャフトが折れた敵はバランスを崩し、誰かがこさえた泥沼の中へ飛び込んだ。

「発射!」

 オットーがレバーを引く。鮮やかな赤い花が咲いて、アントンを下から照らした。構わず、ヴェンツェルはクラッチを全速に入れた。踏みつけ、貫き、叩き割る。計算機をやられ統制を失った機銃塔が、めくら撃ちに弾丸をばら撒きだす。耳障りな打撃音が下っ腹を刺激した。

「ハンナ、別動隊の行動はどうなっている」

「少々お待ちを……はい。別動隊、敵残党の掃討に移行しました」

「アントンよりイーダ、後列の前進を開始」

「次弾、榴弾で?」

「ああ。連中にも花を持たせてやろう」

 言いながら砲のレバーを引くオットー。逃げる敵兵の背中が、一瞬で掻き消える。

「ま、もう獲物も無さそうだがな」

「思ったより粘りませんでしたね。第二分隊に怒られないと良いですが」

 ゲオルクが装填しながら言った。レバーを引く。排莢、硝煙の香りが戦闘室に吹き込まれる。

「次にやるときは、後列を先に突っ込ませてやろうぜ」

 ヴェンツェルの目に意地悪な色が光る。ハンナもニッと笑って頷いた。

「少尉さんにいいとこ見せたいですもんね」

「あ!」

 オットーのレバーにかかった手がハタと止まる。その狼狽した目に、呆気に取られていた三人もすぐに状況を理解した。

「まずい、完全に忘れてた……どうする?」

 三人は黙ったままだった。ゲオルクが眉間を抑え、ハンナはおろおろするだけだ。ヴェンツェルがやれやれと両手を広げる。

「俺達に聞くなよ、アンタが行けって言ったんだから」

「ああ、くそ……」




「……うう」

 ぐったりと、雨に打たれた洗濯物のように諸手を挙げて、ヴァローナはアントンの丸っこい背中に張り付いていた。

 硝煙で目が痛い。流れ出る涙を拭こうにも手袋も煤に汚れ、拭えば余計に涙が出そうだ。懐からはみ出ていたハンカチーフを取り出すと、これも火の粉で真っ黒に焦げている。放り出し、空いた右手で乱れた髪を乱暴に撫でつける。先端が焦げた髪は、幾らとかそうが真っすぐになりはしない。

「……無事か? ……」

 恐る恐るキューポラから顔を出したオットーの顔に、ヴァローナの右ストレートが炸裂した。

「貴様ァ、ふざけるな! よくも私をこんな……死ぬところだったぞ!」

 耳を聾する砲声にも負けない怒声と共に、ヴァローナのパンチがオットーを殴打する。

「絶対復讐してやる! それまで憶えていろ!」

「分かった、分かったっての……いい加減に……!」

 オットーはヴァローナの体を抱きかかえ、アントンの上に伏せた。頭上に、銃声。

「……!」

 我に返ったヴァローナは拳銃を抜くと、音の発生源に銃口を向ける。ヴァローナ達から距離を置いて約二十m。踏み荒らされた泥沼の中に、一人の兵士が、震える手で銃を握り締めながら這いつくばっていた。

「往生際の悪い……」

無情にも撃鉄を起こすヴァローナの手を、オットーが押し留めた。

「待て……」

 制服を血に染めた兵士は足も潰れ、泳ぐ目は生気を失う寸前であった。その痛々しい姿には殺されかけたとあっても、ヴァローナも憐憫の情を感じずにはいられない。彼等が躊躇する間に、兵士は泥に突っ伏して静かに寝息を立て始めた。

「もう良い」

 兵士の体から流れる血を見つめるオットー。その横顔を見つめていると、ヴァローナの心は苦しいまでに締め上げられて、自分が幼い子供だった頃に立ち返った気分がした。ギリリ、と彼女の歯が軋む。オットーはゆっくりヴァローナの方へ振り返った。

「こんなこと……進んでやるような奴にはなるな」

「私が……このヴァローナが、子供だからか?」

 目を閉じて、顔を逸らしたオットーは、頭上を行く太陽を恨めしそうに眺めた。

「……しない方が良いんだ」

 不本意に怒りながらも、ヴァローナが銃を収めようとした、その時――

戦場の彼方から、雷鳴をもしのぐ轟音が地を轟かした。

「なに!」

 ヴァローナが反射的に銃を音がした方へ向ける。目測で四km、戦域ギリギリの砂塵で霞んだ先。ヴェストールのものとは比べ物にならない程大柄な車体が、ぼやけたシルエットとなってゆらりと佇んでいた。

続いて、耳をつんざく破砕音。再び振り返れば、第一分隊の後を追ってきた第二分隊の一輌が、前足二本をもぎ取られてきりきり舞いになるところだった。

泥を跳ね上げ、荒野の土に突っ伏す僚機。車体後部のハッチから這い出た搭乗員が、閉じ込められた別のクルーを引っ張り上げる。だが間に合う筈もない。一人を助け出したところで機体が炎に包まれ始め、戦友達は仲間を見捨てて脱出するほかなかった。

「……イーダが」

 オットーの口から漏れた単語は、今まさに篝火となりつつある機体のフォネティックコードである。助かった搭乗員の一人が手を伸ばすが、炎は無情にも落第者を生きながら灰に変えていった。

「所詮、戦争か……!」

 目を見張るオットーの横でヴァローナが呟く。刹那、彼女の銃は立て続けに火を噴いた。微かに息があった敵兵士の体がびくりとのけ反ると、頭から脳髄を垂れ流して絶命した。

「お前――!」

「やかましい!」

 食って掛かろうとしたオットーを、ヴァローナは一言で制する。

「貴様は私の何だ! 私が守ってくれ、汚いものを見ないように済ませてくれと、貴様に一度でも頼んだことがあるか?!」

「う……」

「見ろ、あの怪物を! あんなものがうようよしている場所で、殺しも知らない人間が……」

 異常に気が付いたヴァローナが言葉を途切れさせる。胸を押さえて荒い息を繰り返すオットーは、砂塵の奥に霞む敵戦車のシルエットから目を放そうとはしなかった。不安に駆られたヴァローナは、彼の横顔を不安そうにのぞき込む。

「……准尉?」

「……」

 何も言わない彼の肩に手を当てながら、ヴァローナは砂塵の向こうに視線を移した。去り行く怪物は横を向いたところで、砲塔横に書かれた煙突掃除夫のノーズアートが、ヴァローナにもはっきり見て取れた。

 紅白の飾り紐の輪に飾られた掃除夫。戦場に似つかわしくない気品を漂わせるノーズアートが消えた時、オットーがやっとのことで口を開いた。

「お前が……正しいよ……」

 ぼそぼそと呟いたきり、オットーは車内に引き返してしまう。ヴァローナの心をまたも締め付けるような感覚が襲った。だが、そこにさっき感じたような後ろめたさはない……自分ではなく寧ろ、他人を傷つけたことへの不安。心の中で去り行くオットーの背が鮮明になる毎に、ヴァローナの憂鬱は増していく。

「なんだよ……なんなんだ」

 自他に対するあらゆる不満にヴァローナは、苦々しい表情を崩そうとしなかった。

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