両国の悪魔①

「で、なんで先輩がその講演会に行くことになったんですか」


 場所は都営線両国駅から5分、両国公園のベンチである。電話口の高い声は山城冠夢やましろかんむ。僕が所属している研究室の後輩だ。


 昨晩、山城さんに今日の実験を交代してくれないかチャットを送ったところ、理由を問われ、答えたところ、この様である。本当はそこまで話すつもりはなかったのだが、例の手紙の件まで喋ってしまった。


「僕もよく分かってないけど、母さん曰く、僕が行くべきらしい」


「なーーーにが『僕が行くべきらしい』ですか!要するに何も分かってないってことですよね。そんな風にふらふらふらふら流されて、自由電子の方がもうちょっと自分で考えて動きますよ!」


 相当ご立腹である。こうなると山城さんは長い。


「別に私も、先輩が研究室に来ないことをこんなにも怒ってる訳では無いんです。ええ、一緒にやる予定だった実験も、私が一人でやりますとも。そこに怒っているわけではありません」


 急に落ち着いた声になる。感情の振幅が大きい。


「ただ、私は心配なんです。そんなにも主体性がない先輩が、骨の髄までむしゃぶりつくす資産家と、その周辺を彷徨うろつくハイエナどもの巣窟まで単身裸で乗り込んで、無事戻って来られるわけがありません。爪の一つでも残れば御の字ですよ」


「どれだけ資産家を目の敵にしてるんだよ……」


論点はそこじゃありません、と山城さんは続ける。


「そもそも、その手紙の文面には『こいつだけが俺の居場所を知っている』って書かれていたんでしょう?あまり人の家の事情に首を突っ込むのは趣味ではないですけど——その上であえて突っ込ませてもらいますけど、それって十中八九、賢木さかき先輩のお父様じゃないですか?」


「うん、多分僕もそう思う」


「それなら紫さん———いえ、失礼、お母様が行くのが筋じゃありません?」


 賢木さかき紫。僕の母親の名前である。山城さんに教えた覚えは無いけれど、どうせ深夜実験していた時にでも喋ったのだろう。


「うーん。そうかな。まあ母さんの様子も普通じゃなかったし、もし母さんが行きたく無いなら、僕が行っても良いかなって思うんだけど。だめかな」


 電話口の山城さんは『はぁ』とため息をつく。


「そういうことを言ってるんじゃ無いんですけどね。……うーん、まあその調子じゃ止めても行くんでしょうし、止めません」


そもそも、と山城さんが続ける。


「なんでお母様はそんな奇行に走ったんですかね。紙なんて捨てれば良いのにえて燃やすって、尋常じんじょう沙汰さたではないですよね」


 それに関しては僕も疑問に感じていた。あの後、火にくべた便箋は灰になり、静かにその燃えカスを片付けると、母親は何食わぬ顔で『その講演会、折角だから釦が行ってきたら』と言ったきり、そのことについては触れなかった。


「普通何かを燃やす時——いやまあ、何かを燃やすことなんて中々無いですけど——あえて何かを燃やす時って、その内容を今後残したくない時か、その事実をなかったことにしたい時だと思うんですよ。後者の場合はチラシや封筒も燃やすはず。それに——」


 鋭い。山城さんのいう通りだ。思索にふけり、ぶつぶつと呟くと、電話口から「スゥー」と息を吸う音。山城さんは集中すると呼吸が深くなる。


「……先輩、本当に便箋に書いてあったのは《一言だけ》だったんですか?もしかして手紙には例のメッセージ以外にも何か書いてあったんじゃ無いでしょうか。それこそ送り主を判別できるような何かが。それが残ると困るが故に、便箋は燃やされたと考えるのが自然だと思います」


 正解だ。完璧である。今回僕は山城さんに、例の便箋に書いてあったサインについて伝えていない。


「いや、他には何も書いてなかったかな」


 しかし僕は嘘をつく。流石に出来の悪い頭でも、今回の件が普通ではないことくらいはわかった。慕ってくれる後輩を無理に巻き込まないためにも、山城さんには全て教えない方が良いと思う。


「そうですか……」


 うまく騙されてくれた様で安心した。そもそも僕はこの問題を解決するつもりはない。それこそ、仮に父親からの連絡にしても、両親二人の問題だし、母さんが話したく無いのなら、無理に聞こうとも思わない。今回こうして会場に足を向けているのも、母さんがそう望むからであって、僕個人の興味は、そこにない。


 山城さんは頭の回転が速い——それもかなりのレベルで。全て伝えてしまっては、真実を《解き明かしてしまう》可能性がある。現に便箋に書かれていた解読不能のサインの存在に気づきかけている。


 自分を信頼してくれる後輩に嘘を吐くのは気が重いけれど、これも家族の安寧のためなのだ。ついてきた嘘の数なら山城さんにも負けはしない。……全然誇れたことじゃないけど。


「そしたらチラシだけ残したのも気になりますね。便箋は消したいけれど、息子にセミナーには行って欲しい……のか。うーん、情報がもうちょっとあると嬉しいです」


 どうも今知っていることだけでは難しいと判断した様だ。その後も小さな声で考えを呟いてはいるが、仮説の域は出ないようである。


「まあその辺は片付いたら山城さんに伝えるよ。心配かけてごめん」


「そうですか。なら、お願いします」


と山城さんは淡白に言う。案外あっさり引き下がる。山城さんは納得いかないことがあるとかなり食い下がるイメージがあったが、引きどころは弁えている、ということなのだろうか。


「何か隠しているみたいですけど、それがベストなんでしょう。」


 バレバレだった。何が「うまく騙されてくれた」だ。


「……何のことかな?」


「まあ良いですよ。それこそ、私が踏み込むことじゃありませんし。あーあ、嘘つく人の実験なんて手伝いたくないなあ」


 正論だ。どうやら確証を持っているらしい。困ったなあ。

 うーん、今日の実験は再現性の確認だし、後日別の実験とまとめてやっても——でもなあ……と考えていると、山城さんがフフフと上品に笑った。


「冗談ですよ、じょーだん。私が一度だって先輩の依頼を断ったことなんてありましたか」


 先ほどまでの真剣な声色と打って変わって、何やら機嫌が良さそうである。

またもや山城さんは上品に笑う。口元に手を添えて笑っている姿が目に浮かぶ。


「別に苦でもないですし、やっときますよ。親愛なるぼたん先輩のため、聡く可憐な山城冠夢やましろかんむ、粉骨砕身働きます」


 芝居がかった口調だが、やけに様になっている。そういえば山城さん、旧家の出だった気がする。


「ただし、」

「ただし?」


「貸し1です。今度会った時、何でも一つ、言うことを聞いてもらいます」


 いいですね。とその後山城さんは付け加える。言葉の語尾が跳ねていた。茶目っ気を出している気もするけど、そうとも取りきれない真剣な語感も含んでいる様にも感じる。求められている行動がよく分からなかったので、僕は山城さんの言葉に、そのまま返した。


「わかった、ありがとう」


 『何でも一つ』はそこそこリスクだけれど、山城さんのことである、ジュースの一本程度だろう。普段からお世話になっているし、当然の即答である。


「………」


 意外な沈黙だった。電話口の向こうから返事はなく、ただ山城さんのパンプスが「カツッカツッ」と大学の廊下を鳴らす音だけが響いている。


 十数秒間、一定のリズムで聞こえる踵の音を聞くと、不意に、


「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 長いため息が聞こえた。


 それと同時に扉が開く音が聞こえ、「ゴウンゴウン」という換気扇を百個くらい同時に鳴らしているような轟音がする。どうやら実験室に入ったようだ。この音はロータリーポンプが動いている音だろう。


「色々言いたいことはありますけど、一つだけ聞きます。先輩は貸しを作ったら誰からの願いでも一つ叶えてあげるんですか?」


 何の質問かはわからないけれど、かなり呆れて、少し怒っているようだ。


「いや、そりゃ誰でもじゃないけど——」


「わかりました、全て理解しました」


 僕の声を遮り山城さんは全知となった様である。


「私の今の気分わかります?」


いや、わからないけど……


「怒ってる?」


「ショートケーキを食べる時、大事に残していたイチゴが飴細工だった気分です」


 んん、難しいことを言う。山城さんはこういった婉曲的えんきょくてきな表現を好んで使う。しばしば僕には何が言いたいかわからなくなる。IQって20離れると会話が成り立たないって言うし、普段山城さんは頑張って僕にわかる様なレベルで話をしてくれているんだろう。出来が悪い自分の頭が憎い。


「……少なくとも、私のことを《聞いても良いような願い事しかしてこない後輩》だと思っていることはわかりました」


 でもまあ、と山城さんは続ける。


「良いですけどね、それでも。本当に言うこと聞いてもらいますし」


 普段ならばそんなことないのだが、何だかこんなに怒られた後ではこの文言も怖く感じる。


「それじゃあ、そろそろ実験始めるんで切りますね」


電気を消す音と実験室のパーティションを閉める音が聞こえる。僕らの扱っている実験装置は8畳ほどのサイズであるため、とてもじゃないが電話を持ちながら実験できる様なものではない。


「うん、悪いね。今度埋め合わせはするよ。」

「そうですか。じゃあお酒飲みに連れてってください」


カチカチとパソコンを操作する音が聞こえる。実験用のプログラムを起動しているのだろう。


「それってさっきの願い事?」


山城さんの返事は一言、非常に冷たい声で


「別です」


とだけ言って電話を切った。


 失望したような声だったけど、気のせいだろう。失望される様なことは、していない。でも僕空気読めないところあるしなあ。妹にも「兄貴は賢いふりしてるだけで、実際相手の気持ちとか何も考えられないバカ」との評価を頂いている。異論はない。


 はあ。明日はちょっと高いお菓子でも買っていこう。


 気づくと約束の時間である。僕はセミナー会場へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大江戸大廻天 鈴原日々木 @ryryrymyg

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ