第30話 女はクソである -中原和総-

 女はクソである。

 俺の最初の母親は、まさにその際たる例であった。


 母親は、俺達に『ママ』と呼ばせていた。

 『ママ』はかわいそうな人であった。

 いつも親父にキツく当たられ、何も言い返せずに黙っていた。

 同様に厳しくしつけられていた俺は、『ママ』の味方をするようになった。

 それに、『ママ』は味をしめた。いや、もしくは、そうなるように仕向けていたのかもしれない。


「ママの味方は、和総だけよ」


 そう『ママ』に褒められ、俺はどこか誇らしげに思っていた。

 だが、そんな『ママ』は俺が小学六年生の時に蒸発した。

 何のことはない、家の中でかわいそうな女を演じ、外では他の男に媚びていたのだ。『ママ』は家族を、味方だと言った俺を、いとも簡単に捨てたのだった。

 見事に梯子を外された俺は、捨てられた喪失感と裏切られた失望感で、中学生活を棒に振った。あの頃の記憶はほとんど残っていない。






 中三の春に、父親が再婚した、新しい母さんが出来た。

 新しい母さんはおおらかな人だった、ずぼらで細かいことを気にしないが、温かい人だった。

 それでも、俺は立ち直れなかった。ただ、母さんの勧めで勉強はするようになった。


 他にすることもなかったからか、勉強は打ち込んでやった、成績は見違えるように上がった。

 おかげで一時は進学も危ぶまれた中、地元で二番目の進学校に合格した。

 それでも、心が晴れることはなかった。


 卒業後の春休みに、母さんの勧めでお笑いの動画を見てみた。これが、俺の人生を変えた。

 初めは流れる画面を眺めていただけであった、だが次第に目の焦点があい、画面に食い入るように見入り、一言も漏らさぬように聞き耳を立て、ついには声を発していた。


「ハッ。ハハッ。ハハハ……」


 何年かぶりの笑い声であった。

 俺は笑いが止まらなくなり、家族全員が心配して救急車を呼ぶほどに笑い狂っていた。

 笑うと同時に、俺は深い感動を胸に刻んでいた。


「これからは笑いだ! 俺はこれで、青春を取り戻すのだ、そう、高校デビューだ!!」


 そう心に誓ったのだが、勉強のように笑いは一筋縄ではいかなかった。

 何回も動画を見て研究し、自分なりにアレンジを加え、次々と学校で試した。だが、失敗に次ぐ失敗に心が折れ、いつしか俺は中学と同じぼっちになっていた。






 そんな俺にとって、真昼は唯一の救いであった、惚れるのに時間はかからなかった。

 半年間、恋慕の情を醸成させ、件のキスドッキリ事件のあと、俺はついに感情を抑えきれなくなった。つまり、告白しようと決めたのだ。


 だが、真昼にはフラれた。


『あー、ピン君はちょっと違うかな。ゴメンね!』


 フラれたことは当然ショックであった。『ちょっと違う』と言われ、俺は恋愛対象と見られていないことは理解した、それでも、まだ友達として真昼のそばにいる権利はあるものだと、愚直にも信じていた。


 しかし後日、真昼がクラスメイトと話しているのを、俺は物陰から聞いたのである。


『あの人、優しいんだけど、つまらなかったんだよね』


 そう、真昼は俺と一緒にいても、面白くなかったと、そう言ったのだ。

 あれだけの時間を共にしていたというのに、俺の横で明るい笑顔を見せていたというのに、意味深な言動を繰り返していたというのに、全てはまやかしに過ぎなかったのである。


 とんだ笑い話である、俺は権利どころか、初めから人間として扱われていなかったのだ。

 これを知った時、俺は悲しみを通り越して怒りを覚えていた。


 ――何でだよ、チクショウ、弄びやがって、俺のことを何だと思ってたんだよ!


 そんなに面白かったか、純粋な想いを踏みにじるのは!

 そんなに愉快だったか、手のひらの上で思い通りに転がすのは!

 そんなに嫌だったのか、俺の話を聴くのは……!


 ……面白くないなら始めから言えよ、付き合う気がないなら始めから言えよ、違うなら違うって始めから言えよ!!






 やはり、女なんてクソなのだ、真昼のように思わせぶりなことをしてあとで手のひらを返すのだ、『ママ』のように甘い言葉で誘惑しておきながらいとも簡単に裏切るのだ!


『今日の中原くん、面白くないわ』


 朝倉さんだって同じなのだ、俺を誘惑し、弄び、踏みにじり、裏切り、最後には汚物を溝に流すがごとく綺麗サッパリ捨て去るのだ!

 だから俺は何も望まない、傷つくことがわかっているのだから、絶対に期待しないのだ!!






 物音に、俺の思考は現実へと引き戻された。

 見ると、床にノートが落ちていた。

 拾い上げて中を見ると、そこにはびっしりとネズミーランドに関する情報が書き込まれていた。何も驚くことはない、一昼夜かけて書き上げた、朝倉さんとのデートプランであった。


 馬鹿馬鹿しいまでの愚直っぷりである、たかが女ごときに、こんなことまでする必要などなかったのである、どうせ裏切られるとわかっておきながら、何故こうまでして己の貴重な人生の時間を費やしたというのか。


 俺はせせら笑おうとして、鼻息を吹いた。

 すると、めくったノートに水滴が落ちた。俺の鼻水であった。

 不思議に思っていると、また滴が溢れた。今度は涙であった。


 俺は泣いていた。

 声を殺して、俺はノートに顔を埋めた。

 チクショウ、チクショウ……と、繰り返し、慟哭した。


 そうだ、いくら女がクソであろうとも、朝倉さんが女であろうとも。

 俺は、どうしようもなく朝倉さんが好きなのであった。それは、己を騙すことの出来ない、真実であった。

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