第24話 グレていたあの頃 -朝倉みなと-

「ごめんなさい、突然呼び出したりなんかして」


 私は眼前のツインテール美少女に頭を下げた。


「いえ、憧れの朝倉先輩のお願いですから」


 美少女が屈託のない笑顔で返す。澄み切った意志の強さに私は神々しささえ覚えていた。


「あのね、相談したいことがあって……」

「ああ、お兄ちゃんですよね」


 置こうとしたカップが皿とぶつかり派手な音を立てる。


「……愛花ちゃんは、どこまで知ってるの?」


 すると、余裕たっぷりに考えてから、満面の笑みを見せた。


「明日、お二人がデートに行くことまでは」


 私は飲みかけた紅茶を吹き出していた。


 そう、私は放課後、愛花ちゃんを喫茶店に誘っていた。

 昨日、ついに中原くんと接触を果たしたばかりか、デートの誘いまで受けてしまったのである。あの時はこみ上げる嬉しさのあまり反射的に即答してしまっていたが、ルンルン気分で自宅まで辿り着いた途端、私は果てしない絶望に打ちひしがれたのだった。

 つまり、生まれてこの方、男性と二人きりでどこかに出かけるなどという経験をしたことがなかったのである、パパとだってなかった! 私が持っているデートの知識といえば、六年前に売り払った少女漫画が全てであり、つまりあれ以来私は男女交際についての知識をアップデートしていないのである。果たして、こんな浅はかで上辺だけの理想論が実践で使えるはずもなく、私は小一時間ベッドの上でのたうち回った挙げ句、スマホを手にしていた。


「どうしよう、お姉ちゃん!」


 誠に遺憾ながら、姉に事の顛末を話すことにした。溺れる者は藁をも掴むのである。


「へえ、なるほどねえ。とりあえず、セッ――」


 姉の声が聞こえてから二秒で通話を打ち切っていた。

 もはや誰にも頼ることは出来ない。八方塞がりとはまさにこのことだった。私はスマホを呆然と眺めながら危うく幽体離脱をするところであった。だが、その寸前、私は一つの希望を見出したのである。


「そうだ、愛花ちゃん!」


 そう、中原家を退去する間際、帰宅していた彼女から連絡先を教えてもらっていたのだ。


「お兄ちゃんが変なことやらかしたら、遠慮なく言ってください」


 中原くんがそんなことをするはずもなく、単なる社交辞令だと思って受け取っていたが、今は私のほうがやらかし寸前である。聞けば、愛花ちゃんはすでに交際経験が両の手の指を超えると言う、年下であってもすでに歴戦の勇士なのだ、ここは彼女に頼るしかない!


 そうして、私は愛花ちゃんに相談を持ちかけていたのである。しかも、彼女はすでに私達がデートに行くことを知っているという。こうなっては、むしろ話が早い、私は単刀直入に申し出ることにした。


「言いにくいんだけど、お願いがあって……」

「あ、やっぱ、デートのキャンセルですか? そうですよね、直接は言いにくいですもんね、わかりました、お兄ちゃんには伝えておきますね」

「え、いや」

「おかしいと思ったんですよね、朝倉先輩みたいな人が、ウチのお兄ちゃんとデートするなんて、誰がどう見たって釣り合わないですから」


 全く悪びれる様子もなく言い放つ。ここまで言われてしまう中原くんが不憫に思えてきた。


「あれ、先輩、どうしました?」

「えとね、実は」

「もしかして、お兄ちゃんからもうセクハラされました? もう、あのムッツリ! あとでお兄ちゃんにはキツく言っておくんで」

「そうじゃなくって!」


 私は大声を上げていた。店内の視線が集まり、一瞬の静寂が訪れる。


「……先輩?」

「中原くんと、デートは行くわ」

「……えええええええええええええええええええええええええ!!!?!?!??!??」


 今度は愛花ちゃんが叫びを上げていた。また、店内の注目を浴びる。


「朝倉先輩、正気ですか、洗脳されてませんか、大丈夫ですか、生きてますか!?」

「お、落ち着いて」

「先輩こそ、落ち着いてください!!」


 愛花ちゃんが必死の形相で訴えてくる。中原くんはどうしてここまで信頼がないのだろうか。


「じゃあ、先輩。お兄ちゃんのいいと思うところ、言ってみてください」

「優しくて面白くて、ちょっとかっこよくって、だけどどこか放っておけなくて、見てるだけで何だか癒やされて」

「あの、人違いじゃないですか、お兄ちゃんですよ!?」


 一体、何を間違えるというのか、中原くんを置いて他にこんな素敵な殿方など存在しないのだ、そうでもなければ、私がここまで心を砕く理由など、どこにもないというのに。


 やがて、わかりました、と愛花ちゃんは背もたれに身体を預けて言った。


「本当に、お兄ちゃんとデート行くんですね」

「うん。でも、私、そういうの初めてで、どうすれば中原くんが喜んでくれるかわからなくて……」


 見ると、愛花ちゃんが哀れみと呆れと妬みと羨望の眼差しを投げかけていた。


「お兄ちゃんは、朝倉先輩が何しても喜ぶと思いますよ」


 そんなわけがあるか、それは百戦錬磨の愛花ちゃんだから言えるのである、一介の新兵に過ぎない私が初陣に出たところで何も出来ずに終わるのは目に見えているのだ、それではせっかくデートに誘ってくれた中原くんに面目が立たない!


「ホントに、私は未経験だから。経験豊富な愛花ちゃんだったら、きっと知ってると思って、今日はそれで相談したの」


 すると、愛花ちゃんは、うーん、と唸った。


「経験って言っても、私のは恋愛というか、腹いせというか……」

「腹いせ……?」

「私、中学の頃、グレてたんですよね」


 グレる? 愛花ちゃんが? あの成績優秀にしてクラスカーストのトップに君臨し、次期生徒会長候補筆頭の愛花ちゃんが?


「あ、写真ありますよ」


 言いながら、スマホを取り出す。そう言えば、あれから中原くんにまだ写真を見せてもらえていなかった。


「お兄ちゃんから言われてたんですけど、何に使うか言わなかったんで、あげなかったんですよねー」


 可愛そうな中原くん。


「これです」


 差し出されたスマホを覗き込む。

 そこには、四人の男女が写っていた。家族で撮った記念写真なのだろうか、大人二人は正装し、子供二人は制服を着ていた。

 大人の男女はご両親なのだろう、仲睦まじく微笑んでいる。いささかお母さんのほうは若く見えた。

 そして、子供二人であるが、女の子は髪を金髪に染め、顔を色濃く化粧し、そのやさぐれた仕草は、いかにもやんちゃしてます、という風体だ。それでも、どこか似合っているのが愛花ちゃんらしかった。


 さて、一方の男の子である。中原くんが、どんな中学生だったのか、ようやくお目にかかれるのだ、私は胸の高鳴りを覚えていた。だがしかし、


「……これ、中原くん?」


 私は愛花ちゃんに、問うていた。

 はい、と彼女が首肯する。

 私は見直した。それでも、そこに写っているのが、中原くんだとは思えなかった。

 何せ、写真の男の子は、生気のない、いつ死んでもおかしくないような、虚ろな目をしていて……


「ウチ、離婚家庭なんです」


 愛花ちゃんが澄まして言う。


「前のお母さんがヒドい人で、浮気して私達を置いて出てっちゃったんですよね。で、そのあと来てくれたのが、写真の新しいお母さんです」


 なるほど、どうりで若いお母さんだと思ったはずだ。


「離婚の少し前かな、小学五年生くらいから、私、グレちゃって。家に帰らずにずっと外で遊んでたんですよね。まあ、男遊びもしましたけど、恋愛って感じじゃなかったです」


 珍しくため息を吐く。


「私は学校もそこそこ器用にやってたんですけどね。でも、お兄ちゃんは、要領悪いから」


 愛花ちゃんは外で発散しながら、学業も両立出来ていたらしい。だが、中原くんはふさぎ込んでしまい、学校にあまり行かず、行っても誰とも話さなかったのだという。


「今のお母さんが中学二年生の時に再婚してくれたから、私はその後すぐに足を洗ったんです。お兄ちゃんはしばらく引きずっちゃって、ちゃんと立ち直ったのは中学卒業したあとくらいかなあ。『愛花、これからは笑いだ! これで俺は高校デビューするのだ!』って」

「そう、だから、あの時……」


 私は思い出していた。入学式の後の自己紹介を、あの時の中原くんを、笑いを堪えられなかった私自身を。


「中原くんは、何も間違ってなかったわ。ちゃんと、うまく行ってるもの」


 確かに、中原くんの望んだ高校デビューは実現しなかったかもしれない。それでも、一人の思い上がった阿呆に、世界はまだ捨てたものじゃないと気づかせることには、成功していたのである。そして、その阿呆を恋焦がれて夢中にさせてしまうことにも。


 ふと、気づくと、愛花ちゃんがこちらを見つめていた。いかん、また空想の中に迷い込んでいたらしい。


「ごめんなさい、中原くんのことを考えてたら、つい……」

「いえ。……朝倉先輩」


 愛花ちゃんが改まって言う。


「あまり、ちゃんとアドバイス出来ないんですけど。あのぼっちで陰キャでヘタレのクソで阿呆でどクズなお兄ちゃんだったら」

「それはあまりにも言い過ぎじゃないかしら」


「――笑ってあげてください」

「それで、いいの?」

「はい。それが、一番喜ぶと思うので」

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