第22話 終(週)末、心、重ねて -中原和総-
重なる。
息が重なる。
鼓動が重なる。
俺と朝倉さんの、手が重なる。
……って、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ接触したあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!?!????!!?!!!
終わった、全てが終わった、世界の滅亡である、ハルマゲドンである、地球最後の日である、あらゆる刻は今この瞬間破滅を迎えるのだ!!
ああ、もうダメだ、死のう、死んで詫びるしかない、もう俺に支払えるのは自分の命しかない、ぼっちで陰キャでヘタレのクソで阿呆でどクズな俺には差し出せるものは命くらいしか残されていないのだ。
さらば、我が人生よ、今生の別れである、さあ、今すぐその窓を突き破って頭からアスファルトにダイブするのだ、行け、もはや失うものなど何もない、さもなければ、今にも朝倉さんが昨日のように悲鳴を上げて――
俺は固く目を閉じて耳を澄ませていた。だが、身構えていても何も聞こえてこない。いや、互いの呼気と心音だけがずっと繰り返されていた。
……あれ、おかしいな。何が起こったんだ? いや、違う、これは刻が止まったのだ、終末が訪れたのだ、最後の審判が下されたのだ!! ……でも、息は聞こえるよなあ。
俺は戦々恐々として、うっすらと目を開けた。
すると、視界に映ったのは、顔を紅く染めながら目を伏せていた朝倉さんだったのである。
……え、何で、どうして、だって昨日はきゃあって、接触もしてないのに悲鳴を上げて、全力で逃走して、だからこそ俺は非接触三原則を改めて履行しようと、だけど手が触れてしまって、朝倉さんが照れていて、すごく可愛くて……。
桃色の脳内物質に汚染された俺の思考は、一つの可能性を導き出した。
つまり、これは、朝倉さんに期待されているのではないか。
いや待て落ち着け、早まるな、思い出せ、俺は幾度となく見誤ってきたのである、俺は俺を信じてはいけない、二度と勘違いしてはいけない、何も信じてはいけない!! だがしかし、この手の温もりは……。
よくよく考えてみれば、朝倉さんは俺を家まで送るだけでなく、部屋にまで飛び込んできてくれたのである。いずれも淫猥教師と過激派愚妹の手助けがあったにせよ、朝倉さんはこうして俺の部屋で対面に座し、何の拍子か二人の手は触れてしまったのである。
朝倉さんにこうまでさせてしまったのだ、ここは俺が勇気を出すべきではないか、屈辱にまみれたヘタレの汚名を返上し、朝倉さんに相応しい男になるべきでないか。そうだ、非接触三原則を掲げたのも、最終的には朝倉さんと仲良くなりたいがためなのだ、目的のために手段にこだわっていては本末転倒ではないか、今こそこの好機を掴んでみせるのだ!
あの、と言葉を発しようとしたその時、朝倉さんが先に呟いていた。
「あったかい……」
その台詞を聞いた刹那、俺に電撃が走った。
つまり、あの悪魔が放った台詞が、脳内に再生されたのである。
『えへへ、ピン君のポケットの中、あったかいね』
やっぱダメだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!
一度浮上した俺の精神が翼を折られたかのように墜落し始めた時、朝倉さんが顔を反らせてこう言った。
「あ、ごめんなさい。……私、男の人と触れるの、初めてで」
父とはあったんだけど、家族以外では、と付け加える。
「そう、なんだ。朝倉さんのことだから、そういうの、慣れてるのかと思ってた」
「そんな、軽い女に見える?」
少し勝ち気に、微笑む。
「あ、いや、そんな。朝倉さんは、何でも出来そうだから」
「そんなこと、ないわ。ずっと頑張ってきたけど、最近はうまく行かないことばかりで、落ち込みまくりよ」
「だったら、俺のほうがヒドいよ。うまく行った試しなんて、ただの一度もないんだから」
高校デビューには失敗し、からかわれ続けた女からは捨てられ、痴漢を捕らえることも能わず、朝倉さんへのアプローチはことごとく空転するばかりである。
今、こうして朝倉さんと同じ空間にいられるのも、奇跡と偶然の産物でしかなかった。
「そんなこと、ないわ」
え? と、振り向くと、朝倉さんは顔を背けた。
「それより、写真見せてくれる?」
「あ、うん、そうだね」
朝倉さんがスマホに置いていた手を離す。ちょっと寂しい。
まあでも、これでいいのだ、俺と朝倉さんの仲はここから進んでいくのだ、一度に全てを終えてしまっては、楽しみがなくなってしまうではないか。
朝倉さんはこれが初めての男性との接触なのだ。かく言う俺だって女性と触れ合ったのは例の悪魔を除けば初めてである。みさき先生や愛花が何と言おうと、俺たちは俺たちのペースで歩んでいけばいいのだ。
俺はうんうんと二回頷き、スマホを拾って画面に触れた。
「……あ」
だが、俺の指はちょうど、削除のアイコンをタップしていたのだった。
「どうしたの?」
「……ごめん、消しちゃった」
すると、朝倉さんは瞬きしたあと、吹き出してこう言った。
「中原くんらしい」
「ホント、ごめん、あとで愛花からもう一度もらっておくから」
じゃあ、また今度ね、と朝倉さんが微笑み返す。
何とも面目ない。連絡先でも交換していれば、今度と言わずに今夜にでも送れるのに。
そう思った刹那、俺に再び電撃が走った。
そうだ、俺は何を考えていたというのだ、今ここで、朝倉さんから連絡先を聞けばよいのだ! そのために今日一日をかけて努力をしてきたのである、紆余曲折はあったものの、こうして朝倉さんと親密な距離にいるのだ、しかも写真を送るという名目も得ているのである、これこそ、絶対無二の好機ではないか、俺の靭帯は無駄ではなかった!
だがしかし、俺の脳裏に去り際の愛花と交わした会話が蘇る。
『どうせお兄ちゃんのことだから、朝倉先輩に手を出すのは無理だろうけど』
『ちょっと待て、どういう意味――』
『せめてデートの約束ぐらいしなさいよ! 週末、どこかデートに行きませんか、って!』
ふん、何をバカなことを、これだから過激派は現実が見えていないのだ、俺と朝倉さんはメッセージのやり取りという至極まっとうな手順を踏んで関係を構築していくのだ。平安時代の貴族だって成婚するまでは相手と直接会うのはタブーとされ、それまでは和歌を送りあって仲を深めたという。言わば、文通とははるか千年も昔から行われてきた恋愛における正当な手段なのだ、これをすっ飛ばしていきなりデートに誘うなど言語道断、破廉恥にもほどがある!
「あの、朝倉さん!」
「はい!」
朝倉さんが改まって応える。
よし、全ての準備は整った、さあ、今こそ、連絡先を聞き出すのだ!
「週末、どこかデートに行きませんか?」
ふう、ようやく言えた。昨日の夜からおよそ丸一日、ここに至るまでの道のりは辛く険しいものであった、百パターンもシミュレーションを重ね、恥を忍んで睡眠すら削って愛花から聞き出し、左脚の靭帯を捧げて、ついに辿り着いたのであった。我ながらよくやった、これでどクズくらいは返上出来るであろう。
……それにしても、朝倉さんから返答が来ない、そんなに俺と連絡先を交換するのは嫌なのだろうか、ああそうか、写真を送るからってまだ言ってないじゃないか、だってさっき俺は、
『週末、どこかデートに行きませんか?』
って、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ間違えたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
違う、違うのです、朝倉さん、俺はデートなんて、そりゃあ行きたいけど、違う、連絡先! そう、連絡先だけでいいんだ、まずはそこから、平安時代の貴族が、千年の歴史が!!
だが、朝倉さんは顔を赤らめつつも、敢然としてこう言ったのである。
「は、はい! 喜んで!」
「……へ?」
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