第21話 交錯する手 -朝倉みなと-
何故、こんなことになっているのだろうか。
私はただ、負傷した中原くんを自宅まで送っていただけなのである。
それが今は、年頃の男性の家で、憧れのひとの部屋で、たった二人きりで、向かい合って座っているのである。
しかもその相手が、あろうことかあの中原くんなのだ!
理想の王子様像を重ねて危うくキスまでしかけたあの中原くんなのだ!
そばにいてもいなくても恋い焦がれて自己崩壊を起こしてしまうあの中原くんなのだ!
その中原くんに、何とお持ち帰りされてしまったのである!
ええ、やだ、どうしよう、そんな、私、何の準備もできてない!!
昨日徹夜などをしている場合ではなかったのだ、ムダ毛の処理はこの前やったところだから大丈夫、化粧は最低限しかできてないけど、リップはさっき付けた、髪はもうどうしようもない、ああ、寝ぼけてたからどの下着付けてきたか忘れたああああああああああ!!
私が混乱のあまり呆然として口から魂を放出していると、
「あ、あの!」
中原くんが伏し目がちに叫んだ。
「ええと、その。ご、ごめん、こんな時間に、引き止めるみたいな形になって……」
「ううん、いいの。私を救けたせいでこうなったんだし、悪いのはお姉ちゃんだから!」
そうだ、確かに中原くんが負傷したのは私の責任であるが、このような事態に発展したのも、あのクサレビッチの姉のせいである。ハッ、もしや、お姉ちゃん、中原くんに何か吹き込んだのでは!? そうだ、あの妄想変態魔神のことだ、単なる興味本位だけで中原くんをたぶらかしたに違いない! おのれ、エロビッチめ、今度あったらただでは済まさぬ!!
「いやでも、送ってもらっただけでも、申し訳ないのに。アイツが余計なこと言うから……」
「アイツって、妹さん?」
ばつが悪そうに、中原くんが顔をしかめる。
「アイツは、……妹は、確かに頼りになるんだけど、いつも言うことが過激すぎるんだ」
口をとがらせて悪態をつく。
中原くんの妹である愛花ちゃんは、誰に対しても分け隔てなく接する明朗闊達な女の子である。卵型の輪郭にやや吊り目の大きな瞳を持った美少女であり、何より特徴的なのはツインテールにした長い黒髪であった。
しかも、成績優秀にして品行方正、クラスの委員長を務めるばかりか、一年生全体から圧倒的な支持を得ており、すでに次期生徒会長は決まったも同然と言われている。
世情に疎い私でさえも、一年生に女傑がいると風のうわさで聞き及んでおり、それがよく通学の車内で見かけるツインテール美少女だということは認識していた。
そんな彼女がまさか中原くんの実妹であるとは、思いも寄らなかったが。
それにしても、こんな史上最高の妹がいながら、中原くんは一体何が不満なのだろうか、叶うことなら私の姉である変態クソビッチと交換して欲しいくらいである。
「愛花……ちゃん、よね? とっても仲がいいのね」
「いや、まったくもって、そんなことは。……ああでも。昔よりは」
「前は違ったの?」
中原くんが首肯する。
「中学の頃は、家でも話さなかったんだ」
まるで夫婦漫才かのように息のあった二人に、そんな頃があったとは。
いつかは私も、愛花ちゃんのように、中原くんと自然に会話出来る日が来るであろうか。そう、夫婦漫才と言わず、本物の夫婦として……って、私は何を想像しているのだ、私と中原くんは清く正しく美しくお付き合いしていくのだ、今はまだその発展途上であり、って違う、付き合うというのは不純異性交遊のことではなく、しかし私はお持ち帰りされて、ああ、もう、だから!
「中原くん! その頃の写真とか、ないの?」
雑念を振り払うようにして、私は苦し紛れに言った。
「ええと、持ってないかな。愛花だったら持ってるかもしれないけど」
「そう……」
やはり、こじつけがましい話題の転換では無理があったか。こうなっては、次なる話題を探さねばならぬ。ただ、単純に、中原くんの昔の姿を見てみたかったけど。
「あ、そう言えば、愛花から送ってもらったのを、保存したような……」
中原くんがスマホとにらめっこしだす。
私はちょっと期待していた。私と中原くんは、ちゃんと話すようになってからまだ一週間も経っていないのだ、そう、お互いの過去を話し合うなんて、そんな暇はなかったのである。
愛しい彼が、一体どんな人生を歩んできたのか、知りたいと思うのは当然のことであろう。って、だから、愛しいってそう言う意味じゃなくて、ううん違う、同じ意味だけど、そうじゃなくって、ああもう!
「あった、これ――」
そう言って中原くんが顔を上げた刹那、
「「――!?」」
私と中原くんは見つめ合ったまま固まってしまった。
つまり、私は好奇心のあまり、中原くんのスマホを覗き込もうとして前のめりになり、一心不乱に写真を探していた中原くんはそれに気づかず、振り向いたその顔は私の顔面とわずか数センチのところにあったのである。
そう、これは、つい昨日、あの踊り場での、キス――
「ご、ごめん!」
中原くんが叫んだと同時、慌てたその手からスマホがこぼれ落ちた。
鈍い音をたててひっくり返る。
「ごめんなさいっ!」
私はそれを拾おうとした。
また、私のせいで中原くんに迷惑をかけてしまったのだ、この上で仮にスマホの画面が割れていれば、詫びるどころでは済まされない、いや、中原くんのことだ、笑ってなかったことにしようとするだろうが、もはや私が良心の呵責に耐えられない、ここは何としても、私の手で……!
立て続けに起こった未曾有の事変に混乱をきたした思考の中で、私の視野はストローの中を覗いたかのように狭く細くなっていた。私の他に、誰かが同じように手を伸ばしていようとは、微塵も思い至らなかったのである。そう、だからこそ、
「「――!!」」
スマホの上で、私と中原くんの手は、重なってしまったのだった。
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