第17話 生まれて初めて -朝倉みなと-
それから、通学路においても、教室においても、休み時間においても、私はとことん中原くんから逃げ続けた。
その姿が視界に入っただけでもいちいち胸が悲鳴を上げ、目でも合おうものならその度に呼吸が止まってしまうのだ。
かと言って、中原くんと離れてしまえば、あの身体の内側から刺すような痛みが蘇り、もはや私は八方塞がりになっていた。
こんなことは生まれて初めてである、いや、確かに王子様病に冒されていた時は似たような胸の高鳴りを覚えたことはあるが、あれはもっと幸せなぬるま湯に浸かっているような夢見心地のものだったのである、ところが今感じているのは、ただひたすらに苦しく、幸せとは真反対のいわば無限地獄のようなものなのだ。
もしやこれはあれか、私は何か大病を患ってしまったのではないか、そうだ、このような症状は見たことも聞いたこともないのだ、きっと途方も無い難病にかかってしまったに違いない、私はこのまま快方することなく、若い命を散らしてしまうのだ!
「どうしよう、お姉ちゃん!?」
進退窮まった私は、三時間目の授業を抜けて保健室に駆け込んでいた。
「私、このまま死んじゃう!?」
「大丈夫、叫びながら走ってくるようなやつは死なないから」
耳を塞ぎながら、みさきお姉ちゃんは呆れ果てて言った。
憤慨した私は症状について事細かに話した。
「――もう、どうしたらいいかわかんないの!!」
「あー、まあ、確かに、そんな病気は聞いたことないね」
やっぱりそうなのだ、私は原因不明でかつ治療法もまだ発見されていない不治の病をこの年齢にして患ってしまったのだ! ああ、何と儚い命であったか、良いことなんて一つもなかった、私は希望に満ちた将来のために励むばかりで、今を楽しむような生き方をしてこなかったのだ、惜しむらくは、そう、中原くんともっと仲良くしたかった……、って違う、何でここで中原くんが出てくるのよ!?
「あ、でも、一つだけあった」
「ホント!?」
私は脳内を埋め尽くしていた中原くんのイメージを振り払うようにして叫んだ。
「――恋の病」
「こ、こひっ!?」
途端、再び私の脳裏に中原くんの姿がよぎる。
「ち、ちがっ、違うの!!」
「ちょっと、みなと?」
「中原くんは中原くんで中原くんだから、王子様は王子様じゃなくて中原くんが中原くんの中原くんに中原くんと中原くんなの!!」
「おーい、みなとー?」
そうだ、私は中原くんを王子様だと勘違いしていただけなのだ、だから、そう、これが恋だなんて、私が、中原くんのことを、どう思っているかだなんて、そんなことは……!
すると、みさきお姉ちゃんは大げさにため息を一つ吐いた。
「そっか、みなともようやく前に進んだか」
「一体、何の話!?」
「うん? その中原くんって子、好きなんでしょ?」
そんなバカなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?!?!??!?!?!!!
私はこれまでの生涯をかけて、クソの男どもと交わらずに生きていけるように努めてきたのだ、その私が、いまさら恋だなんて、誰かを好きになるだなんて、しかもその相手が、あの中原くんだなんて、そんなの……!
「じゃあ、中原くんがどんな子か、言ってみ」
「ええと、見た目は普通なんだけど、優しくてとっても面白くて、見てるだけで癒やされるっていうか、あ、でも最近は目があったらドキドキが止まらなくなって、だから合わないようにしたのに今度は胸の奥がキュッとなって、そう、だから、苦しくて仕方ないの!!」
「うん、つまり、好きってことでしょ」
そうだったのかああああああああああああああああああああ!!!!?!?!?!!!
私は保健室のフローリングに跪いた。
これが、恋。
好き。
中原くんが、好き。
私は、中原くんが、好き。
「……どうしよう、お姉ちゃん」
「何、まだ、わかんないって?」
私は首を振った。
「私、どうしたらいいか、わかんない」
「うーん、まあ、付き合っちゃえば?」
「つひあっ!?」
盛大に舌を噛んだ。
「まあでも、みなと、そういうの奥手だろうしね。ゆっくり考えな」
「う、うん……」
「しばらくベッド使ってもいいから。あ、でも、午後からは授業出るんだよ」
私は言われるがままにベッドに潜り込んだ。
布団を被っているというのに、身体の震えが止まらない。
なのに、顔はどんどん火照っていく。
私は両手で頬を押さえた。ひんやりとした感触に、私の思考はわずかに冷静さを取り戻した。
私……、好き……、中原くん……?
再び思考が渦を巻き始める。
こんなことは生まれて初めてであった。
そう、ちゃんと誰かを好きになるなんて、初めてのことだったのだ。
それから、姉の言う通り、午後の授業に出席した私であったが、やはり中原くんと顔を合わせることは出来なかった。
顔を合わせなくても、もちろん相変わらず胸の痛みは消えないのだが、それ以上に合わせてしまえばどんな反応が身体に生じるか怖くてたまらなかったのだ。
おかげで、終業のベルと同時に席を立ち、誰よりも早く校舎を抜け出してきてしまった。
逃げ込むようにして乗った電車の中で、私は物思いに耽っていた。
まさか、自分がこんな事態に陥るとは、思いも寄らなかった、そう、中原くんに恋をしていたなんて。
いや、考えてみれば、当然のことかもしれない。中原くんは私の隠された王子様願望を解き放ってしまうような人なのだ、そのせいで私は王子様だと思いこんでしまっていたが、もしかするとあのときにはすでに、中原くんのことが好きだったのかもしれない。ううん、そう、きっと、入学式のあとのホームルームで、中原くんが自己紹介したときには、もう私は……。
私は人知れず首を振った。車内アナウンスが聴こえてくる。私の降りる駅だった。
今朝、電車に乗り込むまでは、こんなことになるなんて想像もしていなかった。いや、心の奥底ではすでに気付いていたのかもしれない、そう、だって、私は今日もお弁当を作って――
「しまった、お弁当!!」
私は、ホームに降り立った途端、叫びを上げていた。
そう、私は今日も二人分のお弁当を作って学校に持って行っていたのだ。片方は私の分であり、言うまでもなくもう片方は中原くんの分である。だが、登校中の車内で中原くんと出くわしたことにより、お弁当を一緒に食べれるような状態ではなくなってしまったのである。
そして、中原くんから逃げることしか頭になかった私は、お弁当の袋を持って帰ることを完全に失念していたのだった。
私は焦った。二つのお弁当のうち、一つは完食したものの、もう片方は手つかずで残っているのである。季節は七月、すでに高温多湿のシーズンであり、あのまま放置してしまえば、翌朝異臭騒ぎが起こってもおかしくはないのだ。
これは、取りに戻るしか、私が取るべき行動は残されていないようだった。いや、別に学校まで戻ること自体は差し支えないのである、私が懸念していたのは、中原くんとまた遭遇しないかということであった。
ホーム上でしばらく右往左往していた私であったが、しばらくして雑念を払うように頭を振った。
大丈夫、中原くんはいつも授業が終わったら一目散に帰宅するのだ、今日はたまたま私のほうが早かっただけで、中原くんはすでに帰途に着いているはず。
私は自分を納得させるように、二度大きくうなずいた。
その後、学校に戻った私は、念の為に下校時間まで図書室で待機し、満を持して教室へと向かったのであった。
まさか、こんな時間まで中原くんが残っていることはないであろう。そう、この時の私は完全に油断しきっていた。
だから、別棟の図書室から教室へと向かうために、誰も使わない奥の階段を登っている途中に、そう言えば昨日もタオルを忘れて取りに戻っていたら、ここで中原くんと遭ったんじゃ、などと思い出したその時まで、
「朝倉さん!!」
「な、中原くん!?」
まさか、再びここで遭おうとは、思ってもいなかったのである。
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