第16話 こんなの、知らない -朝倉みなと-
状況を整理したいと思う。
私は朝倉みなとである。高校二年生であり、クソの男どもと交わらずに一人で生きていくことを願う一介の女子である。
だがしかし、その実、幼い頃に打ち捨てたと思っていた王子様願望を密かに持ち続けていた、ただの阿呆であった。
そして一昨日、私の癒やしであった中原くんが痴漢から救けてくれたことにより、天ノ岩戸に隠れていた王子様願望が解き放たれてしまったのである。
ここで私が取った行動は、同棲と両親への挨拶と結婚の請願であった。
完全に血迷っていたとしか思えない、恋は盲目とは言うがまさにその通りであった、これはぜひとも墓場送りにしなければならない。
しかしながら、いかんせん問題なのは、請願した相手が中原くん本人であったのだ。
「これじゃあ、墓場まで持っていけない!!」
私は自室のベッドで枕に頭を打ち付けていた。
だが、これは私の恥辱にまみれた黒歴史の一部でしかない。
そう、王子様病に冒されていた私は、昨日弁当を持参するとともに子作りを要求していたのである。
「どれだけすっ飛ばすの!!」
私は天井に向けて枕を放り投げていた。
これでは、散々クサレビッチと罵っていたあの姉のみさきと同類ではないか、いや、姉曰く未だ子作りに励んだこともないというのであるから、もはや姉以上のド淫乱であった。中原くんがドン引きするのも至極まっとうなことである、どう考えたって全面的に悪いのは私なのだ。
さらに、私の罪状はこれだけに留まらない。
今日の昼休み、忘れたタオルを取りに教室に戻ると、グラウンドへの道中で中原くんと遭遇したのだ。そしてそこで、私達はキスを――
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!???!?!??!!!」
私は枕を掴んで何度も壁に叩きつけていた。
こんなことはあり得ない、私は一人で生きていくと決めていたのだ、クソの男どもは当然として、誰に対しても媚びず、群れず、頼らず、独力で人生という荒波を乗り越えると、そう決めていたはずだったのだ。そのために、男女交際のことごとくを蔑み断固として否定してきたのである。
そんな私が、不純異性交遊の最たる例であるキスなど、そんな破廉恥な行為など出来るわけがあろうか!
しかも、その相手が、あの中原くんなのである。
私の笑いのツボを的確に射抜いてくれる中原くんなのである。
それどころか、厳重保管していた王子様願望ですら解き放ってしまう中原くんなのである。
そんな中原くんと、キスなど……!
「~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
私は枕に顔をうずめて突っ伏していた。
こころなしか、室温が高い気がする。あと、湿度も。
いいや、これは単なる気の迷いである、季節はすでに七月なのだ、多少汗ばんでも仕方ないのである、まさか、この私が、男女関係に身を焦がすなど、こんな、恋なんかに……。
「……中原くん」
無意識に口からこぼれていた。
違う、中原くんは違うのだ、中原くんは王子様だと勘違いしていただけなのである、私が理想の王子様像を重ねていただけなのである、決して中原くんが好きとか嫌いとか、ううんもちろん好きに決まってるけど、違う、男とか女とか関係なくて、中原くんは中原くんだから中原くんで、世間に流布するまやかしの劣情ではなくて、その、つまり、これが、恋だなんて……!
「もう、わかんない……」
いい加減、息苦しくなった私は枕から首をもたげた。
激しい呼吸を落ち着けていく。だが反対に、私の脳は演算を止めようとしなかった。
たまらなくなって、明かりを落とす。
その日、私は何年かぶりにオ○ニーを解禁したのだった。もちろん、このことは断固として墓場まで持っていく所存である。
翌朝、私は定刻通りに電車に乗っていた。
結局、一度火が付いた情念は収まることを知らず、寝付いたのは夜も明けようかという時間になってからであった。
それでも、いつものように決まった時間に起きて決まった電車に乗れているのは、普段から習慣化しているおかげであった。やはり、身体に染み込んだことは例え病に冒されていようとも自動で再現してくれるらしい。
私は眠い目をこすりながら車内を見渡した。相変わらず代わり映えのしない風景であるが、やはり混雑しないこの時間に乗るのが一番であった。あの日、いつもよりも三十分遅れて乗った車内の混み具合は劣悪を極めていた。さらにおぞましいことに痴漢にも遭遇したのだから、もはや今後の人生であの時間に乗ることはないであろう。ただ、おかげで中原くんと出会えたのだから、それだけは不幸中の幸いではあったのだが。
虚ろな視線を車内に向けて泳がせていると、その中で平凡な男子生徒の姿を捉えた。私は彼を中原くんだと誤認したが、すぐに己の視覚を否定した。
やれやれ、いくら睡眠不足だとはいえ、他人を中原くんと見間違えるなど、阿呆にしても度が過ぎる。私はこれまで一年以上この時間の電車に乗り続けているのだ、その間中原くんと遭遇したことは一度もないのである、そうだ、中原くんはいつも始業ギリギリに登校してくるのだ、だからこそ、あの日中原くんは痴漢から私を救けてくれたのである、その中原くんがこの時間に乗っているわけがないではないか、さあ、眼をこじ開けて彼を見てみろ、平々凡々を極めているのに何故か見ているだけで嬉しさのこみ上げてくるあの愛しい姿を、それはもうまるでどこぞの中原くんのようであり、中原くんそっくりであり、むしろ中原くんそのものであり、というか中原くん本人じゃないの!?
「(――中原くん!?)」
私は声を出さずに叫んでいた。
途端、二人の視線が重なる。私と中原くんは同時に目を逸らした。
なななななななななな、何で中原くんがここに!?
中原くんは三十分後の電車に乗っているのではなかったのか、今まで一度も遭遇したことなんてなかったのに、どうして、今日に限って、ここで遭うのよ!?
私はつい前髪をいじっていた。
しまった、こんなことなら、もっとちゃんとセットしてから出てくるんだった、なかなか寝付けなかったせいで朝の支度の時間がギリギリになってしまったのだ、どうせ始業の三十分前に着くのだからもっとセットに時間をかけてもよかったのだ、ああでも、そんなことしてたら中原くんと同じ電車に乗れないじゃないの、てか、違う、何で私は中原くんと逢えたごときで喜んでいるのだ、そりゃあ逢えて嬉しいに決まってるけど、だけどそれは普段逢えなかったからであって、こんなまるで恋する乙女のような……、ああっ、ダメ、中原くん、こっち見ないで!!
私は相変わらず目を伏せたままだったが、ひしひしと中原くんの投げかける視線を感じ取っていた。
私の身体がまるで熱光線を浴びたかのように火照っていく。
胸が高鳴る。息が苦しい。
何で、どうして、わからない、こんなの、知らない!
痛みに耐えかねた私は、何とかしてこの苦しみから解放されようと行動に出た。
つまり、私は、中原くんから逃げるように、隣の車両へと移ったのであった。
中原くんが視界に映らなくなると、ようやく動悸が収まりだした。
ところが、今度は胸の中にぽっかりと穴が空いたような
おかしい、中原くんを目にしたことで不調をきたしたのではなかったのか、だから原因である中原くんと距離を取ったというのに、何でまだ胸が痛いの!?
私はつり革に捕まりながら、これまでの人生で経験したことのない症状にあおられ、半泣きになっていた。
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