第14話 まるで意味がわからん -中原和総-
俺は今、重大な任務を帯びていた。
昨日の壁ドンとは比べ物にならないほど、多大なリスクを背負った大任である。
仮にこれに失敗すれば、俺は絶望の余り最悪命を落とす可能性すらあるのだ。
だが、俺はこのSSS級ミッションに挑まねばならない。何故なら、ここを通らずして、俺と朝倉さんの未来に栄光のバラ色夢人生は存在し得ないのだ。
つまり、俺は何としても、朝倉さんと連絡先を交換せねばならなかった。
「……で、どうやってすればいいんだ?」
俺は、朝のラッシュで混み合う車内で、隣の愛花に訊ねていた。
昨夜、あれからミッション遂行における実行計画を百パターンも考えていたのだが、何一つとして実現可能なレベルまで落とし込むことが出来なかったのである。
かくなる上はやむ無しと、愛花に相談するべく、いつもより三十分も早起きして愛花の登校時間に合わせて乗り込んでいたのだった。
「何の話?」
「決まってるではないか、朝倉さんとの連絡先の交換だ」
「はあ、そんなの直接訊けばいいじゃない」
ふん、これだからエリートという奴は使えないのだ。下々の者達が何に苦しんでるかをわかろうとしないから、机上の空論かつ荒唐無稽な理想論ばかりを押し付けるのだ。まったく、配慮が足りんわ、配慮が!
「ていうか、それ以外に方法があるとでも思ってたの?」
「そ、それは……」
そうだ、昨夜考えていたすべてのパターンに置いて、どのような経緯を辿ろうとも最後の一手でそこに行き着いてしまったのである。
直接連絡先を訊くなどという、羞恥心で心臓が止まりかけるような行為をどうにか回避できないものかと、俺の思考実験はそこに終始していたのである。
結局、何の解決策も思い浮かばず、恥を忍んで、貴重な朝の惰眠すら削って、こうして愛花に相談していたのだ。
「まあ、諦めなよ。大丈夫、お兄ちゃんは生きてるだけで恥ずかしいんだから」
どこに出しても恥ずかしくないぼっちの俺に向かって何たる言い草か、ぼっちにだって人権はあるのだ、憲法にもそう書いてある。
俺は愛花を見限って、車内を見回した。
普段乗る電車と違って、混雑にまだ余裕がある。今は車両の中ほどにいるが、車内の端まで見渡せた。
その中に、一人の見目麗しき少女の姿を捉えたのである。俺は彼女を朝倉さんだと誤認したが、すぐに己の視覚を否定した。
やれやれ、いくら好きだと自覚したとはいえ、他人を朝倉さんだと見間違えるなど、阿呆にもほどがある。これがいわゆる恋の病というやつか。いやはや、恋は盲目とはよく言ったものである。よく見てみろ、艷やかな黒髪、モデルのように整ったスタイル、細く伸びた手足、黒真珠のような瞳に切れ長の目、どこをどう切り取っても美少女そのものであり、それでいて他人を寄せ付けぬ神々しさを兼ね備え、それはもうまるでどこぞの朝倉さんのようであり、朝倉さんそっくりであり、むしろ朝倉さんそのものであり、というか朝倉さん本人じゃないか!?
「(――朝倉さん!?)」
俺は声を出さずに叫んでいた。
そう、朝倉さんである。連絡先を交換すべく、徹夜までしてその方法を考えていた相手の朝倉さんである。
よもや、こんなところで出会えるとは思ってもいなかった。否、たしか想定した百パターンの内、十七番目はこれであった。あの時は、自分から声をかけることが障害となったため諦めていたが、ここは愛花のアドバイスに従うべきであった。
よし、俺はやれる、俺は自覚したのだ、ただのぼっちではない、いつまでも阿呆の俺だと思うな、朝倉さん、今そちらへ――あ、こっち向いた。
俺と朝倉さんの視線が重なる。途端、俺達は同時に目を逸らした。
いやいやいや、逸らしちゃダメだろ、これからもっと恥ずかしいことをするのだ、大丈夫、俺は生きてるだけで恥ずかしい!
うん、と肯くと、俺は再び朝倉さんに向き直った。
ところが、その朝倉さんが目を伏せたまま、隣の車両へ移って行ってしまったではないか。
え、何で? ハッ、まさか! 昨日のあの一件で、俺は朝倉さんの信頼を完全に失ってしまったのではないか!?
「どうしよう、愛花!?」
俺は隣の愚妹に泣きついた。
「朝倉さんに嫌われてしまった!!」
「まだ、何もやってないでしょ!!」
その後、通学路においても、教室においても、休み時間においても、朝倉さんは俺と目を合わせてくれなかった。
それどころではない、三時間目になると、朝倉さんは授業にすら出なくなってしまったのである。
これはあれか、もう俺とは関わりたくないという意思表示なのか、俺と同じ空気を吸いたくないという強い嫌悪の表れではないか!?
「どうしよう、愛花!?」
俺は一年生の教室に駆け込んでいた。
「今からエラ呼吸に進化できないかな!?」
「わざわざ来て何の話よ!!」
いつしか、放課後になっていた。
朝倉さんは午後の授業は出席していたものの、終業と同時に教室から姿を消していた。俺だってあんなに早い帰宅ダッシュはしたことがない。
取り残された俺はしばらく呆然として教室に残っていた。
どうも、朝倉さんの様子がおかしい。
つい昨日まで、結婚だの同棲だの両親に挨拶だの子作りだのと、散々にアプローチを受けていたはずなのである。
ところが、日が改まった途端、いや正確にはキスをしかけたあの瞬間から、朝倉さんの態度が百八十度変わってしまったのだ。
もともと、朝倉さんは俺の笑いのセンスに共鳴して心安く思っていたのかもしれなかった。
それが、痴漢から救けた二日前に、どうやら心の距離感が急接近したようだった。
だがしかし、物理的に急接近した昨日を境に、今度は離れてしまったのだ。
「まるで意味がわからん」
俺は一人残った教室で呟いた。
もうすぐ下校の時刻である。
朝倉さんのことを考え始めたら、思考が渦を巻いて止まらなくなっていたのだ。どう見ても好きすぎるだろ、俺。
俺は一つため息を吐いて、立ち上がった。
このままここにいても結論は出ないのだ、諦めて帰るしかあるまい、そうだ、また愛花に相談しよう、どうせまたプリンとケーキとシュークリームを要求されるんだから、事前に調達しておこう。
そうして、いつものように誰も使わない奥の階段を降りていた、その時だ。
「朝倉さん!!」
「な、中原くん!?」
昨日とまったく同じ場所で、昨日とは逆の立ち位置で、俺達は再会したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます