第13話 ぼっちの成れの果て -中原和総-

 状況を整理したいと思う。


 俺は中原和総である。高校二年生であり、未だ成し得ていない高校デビューに憧れる純朴な十七歳の男児である。

 そして一昨日、何の間違いか、電車で卑劣な痴漢からクラスメイトの朝倉さんを救けたことにより、その朝倉さんからプロポーズをされるに至ったのである。


 だが、俺は逃げた。仕方がない、高校デビューすらままならないのに、百段飛ばしで結婚など出来たものではない。

 すると昨日、今度は朝倉さんから子作りをせがまれたのである。


 だが、俺は逃げた。仕方がない、その前日に求婚を断ったというのに、さらにその先の子作りなど出来たものではない。

 しかし、それらを踏まえても、俺は朝倉さんと仲良くするのはやぶさかでなかったのである。

 つまり、朝倉さんは成績優秀にして学校一の美人であり、笑うととても可愛いのである。それに何より、何故か俺と笑いのセンスを共有する稀有な御仁でもあるのだ。

 だからこそ、俺はこちらからアプローチをするべく壁ドンを試みたのだが、その途中で朝倉さんが悲鳴を上げて逃げていったのが今日のことである。


「まるで意味がわからん」


 愛花の前に跪いた俺は、抗議の声を上げた。


「全面的にお兄ちゃんが悪い」

「何故だ! 俺はお前の言った通りにしたではないか! いいや、お前の言う以上に慎重に検討を重ね、突発的な事故をも乗り越え、完全なる壁ドンを再現しようと試みたんだぞ!」


 俺はまた愛花の部屋で喚問されていた。せっかくの防空壕羽毛布団もまるで役目を果たさなかった。


「どうせ、お兄ちゃんのことだから、調子乗って何かやらかしたんでしょ」

「そんなことあるわけ」あった!!


 いやしかし、あれは不慮の事故であり、こちらの意図せぬ偶然の産物に他ならず、というか直前でちゃんと回避したではないか!


「あーあ、これで朝倉先輩、お兄ちゃんのこと呆れちゃったんじゃないかな」

「そんなバカな! 俺はまだ何もしてないんだぞ!!」

「うん、まあそれも問題だと思うけど」


 愛花が息を吐きながら腰に手を当てる。


「まあ、朝倉先輩なんて、お兄ちゃんと釣り合うような人じゃなかったんだから、いい引き時じゃないの」

「……な、何を……!」

「真昼さんの時みたいに、大やけどせずに済んでよかったね」

「何を言うかあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 俺は叫びながら立ち上がっていた。愛花がきゃっ、と短い悲鳴を上げて後ずさる。


「言うに事欠いて貴様あ、俺と朝倉さんが釣り合わんだとう!? そんなことあるわけあるに決まってるだろ、百も承知だバーカ!! だいたい、壁ドンを提唱したのはお前だろ、こちとら半年以上も学校で誰とも口を利いていないスーパーぼっちなんだぞ、その陰キャコミュ障の申し子である俺が、お前のようなハイコミュニケーターよろしく堂々と愛想よく闊達に振る舞えると思っているのか!? 出来るわけ無いだろ、バーカバーカ!!」

「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん」

「ああ、そうだ! 俺は全世界に誇るべき紳士でも何でもない! ただのぼっちだ! 意気地なしだ! 卑怯者の偏屈のヘタレだ!! ……それでもな。それでもな、お兄ちゃんは壁ドンをやってみようと思ったんだ。朝倉さんと仲良くなりたかったんだ……」

「あの、お兄ちゃん?」


 さあ、笑うがいい、全人類のワーストカーストに君臨するこの無様な姿を。いいか、愛花、お前のお兄ちゃんはな、お前が思っている以上にダメ人間なんだ。このダメ人間の姿をよーく目に焼き付けておくんだ、さすれば生きた反面教師として、お前の人生に多少なりとも役に立つであろう。……というか、もしかして、今までもそうしてきたのではないか? ダメな兄貴を見て、こうはなるまいとお前、密かに思ってたんじゃないのか? てか、そうだ、愛花はすでにスクールカーストの頂点に鎮座しているではないか、やっぱり俺を踏み台にしてのし上がったのであろう、貴様許さん、今こそ、お兄ちゃんの尊厳を奪回するのだ!!


「お兄ちゃん、もしかして、本気?」

「ああ、本気だとも! 貴様を倒して、俺は俺を復権するのだ!!」

「あーもう! そうじゃなくて、朝倉先輩のこと!!」


 何、朝倉さんだと、そんなものマジ中のマジに決まってるではないか。朝倉さんを置いて他に生涯の伴侶となるべき女性など、今後の人生で出会うわけがなかろう! そりゃあ、美人はこの世にごまんといるかもしれないが、朝倉さんのように俺のセンスを理解してくれる人など、この世に存在するわけがないではないか!

 朝倉さんLOVE! 愛してる!!


 ……え? そうなの?


「お兄ちゃん。朝倉先輩、好きなんだね」

「ハハハ、何をバカなことを、女なんて総じてクソなのだぞ、たとえ朝倉さんだろうが例外ではないのだ、俺がそんな女ごときにうつつを抜かすなど、あるはずがないではないか、そうだ、美人で気立ても良くて、笑うと超可愛くて、笑いのセンスが同じ朝倉さんなど、ええええええええええええええええええええええええ、うわああああああああああああああああああああああああああああ、好きいいいいいいいいいいいい!!!?!???!?」


 そんなわけがあるか、女はクソなのだ、もう二度と騙されないと俺は心に誓ったのだ!


 ノーモアー勘違い! ノーモアータッチ! ノーモアー真昼!!


「じゃあ、お兄ちゃん。朝倉先輩が、明日話しかけてこなかったら?」

「……悲しい」

「朝倉先輩が、学校来なかったら?」

「寂しい」

「朝倉先輩が、他の男と歩いてたら?」

「死ぬ」


 愛花が満面の笑みを浮かべる。


「おめでとう、お兄ちゃん! 好きな人が出来て、良かったね!」

「うそだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?!?!??!??!!!」


 俺は衝撃の余り、額を床に打ち付けた。


「俺は、朝倉さんのことが!!」


 繰り返し打ち付ける。


「好き? 好き! 好き!? 好き!! 好きって、好きだけど、好きだから、好きで、好きなのは、うわああああああああああああああああああああああああ、朝倉さああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんん!!!!!!」


 最後に、えびぞりになって反動をつけて、大いに頭を叩きつける。


「お、お兄ちゃん、大丈夫?」

「大丈夫じゃない」


 頭が割れるように痛い。


「そんなに思いつめなくても」

「違う。もう、朝倉さんが好きなのはいいのだ」

「普段からそれくらい物分りが良かったら、苦労しないのに」

「いいか、お兄ちゃんは悩んでいる」

「何を?」

「これからどうすればいいか、わかんない」


 ハァ、と愛花が呆れだす。


「好きだったら、とりあえず付き合いなさいよ」

「ぼっちになってからそのセリフ言え!!」


 あーハイハイ、と愛花が頭を抱える。


「じゃあ、連絡でも取ってみたら?」

「れ、連絡!?」

「そうそう、『週末、どこか行きませんか?』って」

「そそそそそそそそそそそそそそそそんなこと!?」


 あーもう、と言って愛花が寄ってくる。


「じれったいんだから、私がメッセージ打ってあげるから」

「ま、待て、そうではない!!」


 愛花にスマホを取り上げられる。


「お兄ちゃんに任せてたら、十年かかっちゃうんだもん」

「違う、やめろ、それ以上触るな!!」


 俺のスマホをいじっていた愛花であったが、しばらくすると首を傾げた。

 次第に、眉をひそめ、目を皿のようにし、最後にはハッと我に返り、哀れむような顔つきになって俺を見つめだした。


「あ、あの、お兄ちゃん……?」

「いい、皆まで言うな」


 愛花が何を見たかは想像がつく。

 大方、連絡先でも開いていたのだろう。

 だが、そこに目的の物があるはずもないのだ。

 そう、俺の連絡先には、家族とわずかな中学の友達しか載っていないのだから。


 見たか、これがぼっちの成れの果てである。

 高校デビューに失敗した俺が、クラスから浮いて行事ごとの連絡をわざわざ郵送で伝えられるこの俺が、朝倉さんの連絡先なんて、知っているはずがなかったのだ。


 お兄ちゃん……、と言いながら、愛花が俺の肩に手を載せる。

 俺は涙を拭った。


「まずは、連絡先、交換するところから、始めよっか」

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