第12話 ただの阿呆 -朝倉みなと-
さあ、お願いです、私を、みなとを、中原くん――
……うん、中原くん?
うん、中原くん。
そう、中原くん。
あれ、王子様?
いや、中原くん。
ええ、王子様?
だって、中原くん!?
違う、王子様!!
しかし、中原くん!!
そんな、王子様!!
中原くん、王子様、王子様、中原くん、王子様、中原くん、中原くん、王子様、中原くん、中原くん、王子様、中原くん、王子様、中原くん、王子様、中原くん、中原くん、中原くん……。
あれ、王子様って何だっけ?
「ご、ごめん!」
中原くんが私から離れる。
心臓が早鐘を打つ。それと同時に、私の思考がハムスターホイールのごとく空転を始める。
王子様は王子様なのだ。
王子様は王子様だから王子様であって王子様の王子様に王子様な王子様が王子様なのだ!!
私をこの空虚で停滞した現実世界から、キラキラでメルヘンチックなおとぎの世界へと誘ってくれる、白馬にまたがった華麗でかつ颯爽とした優雅なお人、それこそが王子様なのだ!
だからそう、あの日、私を卑劣な痴漢から救け出してくれた中原くんこそが、私の王子様に違いないのだ!
そう信じていた、そう思っていたのに……!
今見つめ合っているこの男の子は、中原くんなのだ!!
「あ、あの、朝倉さん、ごめん、躓いてしまって、それで……」
中原くんが顔を伏せながら、弁明する。
しかし、その言葉は私の耳には届かなかった。何故なら、私は震天動地の大事件に遭遇していたのである。
つまり、目の前にいるのは王子様なのである、いや違う、中原くんだ!
同じ学校の制服を来た、
クラスメイトの、
平凡な成績と平凡な容姿と類まれな笑いのセンスを兼ね備えた、
審美眼のない連中によって『永遠に売れないピン芸人』などと呼ばれている、
私の日常の癒やしであった、
中原くんだったのだ!
断じて王子様などではなかった!!
その中原くんと、私は今しがた、キスをしようとしたのだ!!
ええ、嘘、ヤダ、そんな、だって、まさか、ううん、違うの、違わない、だけど、王子様が、違う、中原くんと、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!!!!
きっ、キスうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!?!?!??!??!!!!
「きっ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?!?!??!??」
私の悲鳴が校舎を貫いていた。
開いた口が塞がらんとばかりに呆然とした中原くんと目が合う。
瞬間、私の顔面の温度が三℃上昇した。
思わず、両手で口を抑える。
恥ずかしさが限界突破した私の精神に、身体が即座に反応した。
私の悲鳴により動揺した中原くんのすぐ脇を抜けて、そのまま一階のトイレへ退避する最適ルートを選択する。
つまり、私は、そこから、中原くんから、逃げたのである。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!!?!???!???」
どうして、何で逃げてるの、私!?
でもでも、ううん、違うの、だって、だから、
「びっくりした、びっくりした、びっくりした!!」
私はトイレに駆け込むや、通話先の姉へ向かって叫んでいた。
「ちょっと、今、仕事中――」
「お姉ちゃんどうしよう!! 私の王子様が!!」
私は事の顛末を話した。
「――だから、王子様は王子様で、王子様だからキスが中原くんの、それで王子様と中原くんは中原くんだったの!!」
「はあ、王子様?」
「そう、王子様! だけど、中原くんなの!!」
「何、みなと。まだ、王子様とか信じてたの?」
「そそそそそそそそそそそそそそそそそんなわけ」
「だよねー、アンタ、五年生のときにそういうのは卒業しちゃったもんねー」
違う、違うのだ、卒業したわけではなかったのだ、心の奥底に厳重に封印しただけであって、捨てずに後生大事に持ち続けていたのだ。そして、それを中原くんがいとも簡単に解錠してしまったのだ!
だからこそ、私は中原くんを王子様だと思っていたのである。
十年来憧れていた、理想の王子様だと思い込んでいたのである。
ところがどっこい、中原くんは中原くんだったのだ!!
「そうそう、たまに、いるんだよねー、そういう阿呆が。自分の理想を相手の男に重ねちゃうの。王子様病みたいな? そんな男いるわけないのにねー、夢見過ぎなのよ。もっと現実を見なさいっての、男なんてみんなセッ○スのことしか考えてないんだから」
「そんなわけないじゃない!!」
違う、そのとおりだ、私は中原くんに理想の王子様を重ねていたのだ!!
「えー、みなと、アンタも気をつけなよ、その中原くんって子も、ちゃんと男の子なんだからね」
「そんなわけないじゃない!!」
中原くんは清廉潔白にして全世界に誇るべき真摯な紳士なのだ! 確かに、不慮の事故でキスはしかけたが、それもちゃんと回避して、ってきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、キスうううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!?!??!!!!
「ま、お堅いみなとなら大丈夫だろうけど。ああでも、もうちょっと遊んでもいいとは思うけどね。あ、そういや、週末の件、考えてくれた?」
「そんなわけないじゃない!!」
「ハイハイ、じゃあ、アタシは仕事戻るからねー」
そう言って、姉は通話を打ち切った。
私は茫然自失としてトイレの個室で立ち尽くしていた。
言えない、もはや誰にも言えない。
私は、唯一の相談相手であった、姉ですら失ってしまったのだった。
ごめん、お姉ちゃん。私、ただの阿呆だった。
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