第11話 愛しの王子様 -朝倉みなと-
私は失意のどん底にあった。
人生でこれほど落ち込んだ瞬間がかつてあったであろうか。
一生を捧げた相手に捨てられることほど、辛いものはないのである。
私は昨日、中原くんに己のすべてを差し出そうと決めたのだ。
私の王子様である中原くんは、少しシャイだけど優しくて頼りがいがあり、何より抜群な笑いのセンスを持つ稀有な殿方である。
一生を添い遂げるに当たってこれほど相応しい御仁が他にいるだろうか。いや、数多のクソがはびこる現代において、中原くんは彗星の如く現れた希少な存在なのだ、その遭遇確率は天文学的確率と言っても過言ではない。
だからこそ、私は中原くんとお近づきになりたかったし、そのためにとお弁当を用意したのである。しかし、王子様はまた私にドン引きなされた挙げ句、姿をお消しになってしまった。
何のことはない、やはり私のアプローチに問題があったのである。私としては子作りのために不可欠な食材を集めて最高のお弁当を作り上げたつもりであったが、王子様はお気に召さなかったのだ。
「どうしよう……」
私は昼休みの教室で、机に頬杖を付きながら、思案に暮れていた。
昨日、帰宅した後、夕食代わりに弁当の余りを一人で食べていた。自分で食べても美味しかった。味に自信はあるのである。
抗議の電話を姉に入れると、逆にクサレビッチのほうが怒り出した。
「みなと、それどう考えたってアンタが悪いよ!」
解せぬ、私は姉のアドバイスに従って最良のお弁当を作ったのである。その上で、王子様はドン引きなさったのであるから、私にアドバイスした姉にも一因があろう。
「いきなり子作りとか、アタシでもやんないよ!」
しかし、子供が三人いるのは、既定事項であり約束された未来なのだ、それを予め伝えておかないほうが不誠実というものではないか。
「アタシ、これでも避妊しない男とはヤらないって決めてるからね」
だから、それが神聖なる愛の行為を侮辱しているのだ、悔い改めろ!
「とにかく、もっと普通のメニュー用意して持っていきな! あと、子作りとか結婚とか同棲とか両親に挨拶とか禁止ね、わかった? わかったら、今度の週末カレシとカレシとカレシと一緒に温泉旅行に行くんだけど、みなとも一緒に――」
私は机を叩いていた。あの忌々しいクサレビッチの言葉を思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうになる。いっそ、姉の存在そのものを墓場に送りたいが、今の所唯一の相談相手であることも確かゆえ、かろうじてそれは思い留まっている。
私は一つ息を吐いて、机に吊り下げたお弁当を見やった。
今日は、ごく一般的なメニューで仕上げてきた。三色そぼろごはんに、里芋とこんにゃくの煮物、ほうれん草のおひたし、にんじんとごぼうのきんぴらである。
もちろん、三色丼の中央には大きなハートを描いてきた。これで、私の想いは必ず王子様に通じるはずである。
だがしかし、
「中原くん……」
肝心の王子様が、また姿をお消しになってしまったのである。
いや、学校に登校しているのは確かである、今朝もいつものように始業のベルと同時に教室に颯爽と現れたのだ。だが、やはり休み時間の度にどこかへ行方をくらまし、そして今日はついに昼休みまでもいなくなってしまった。
すでに昼休みも半分が経過していた。
午後最初の授業は体育である。着替えのために、そろそろ更衣室へ向かわねばならない。
私はまた一つ息を吐いて、立ち上がった。
もはやこれ以上待っても仕方なかった。たとえお弁当を渡せたとしても、食べている時間は残されていない。
私は何度か目をこすった後、顔を上げて教室を出た。
気にしないの、みなと! これが今生の別れじゃないんだから! それに、良かったじゃない、また夕食を作る手間が省けたんだから!
そうやって、自分に暗示をかけた。だが、どうも心ここにあらずだったらしい、更衣室で体操服に着替え終わると、タオルを教室に忘れてきたことに気がついた。
我ながら情けない、授業の時間も迫っていたため、慌てて教室へ赴いた。そして、タオルを手にした後、グラウンドへの近道だからと普段は使わない奥の階段を降りていたその時。
私は待ち焦がれていたあの人と再会した。
「中原くん!」
「朝倉さん!?」
そう、永遠を誓った相手、運命の王子様、中原くんである。
――やっと、会えた……!
私は抑えていたものが溢れそうになった。
もう二度と会えないかと、私は完全に捨てられてしまったのかと、思っていたのだ。
それが、こうして再び相まみえようとは、微塵も思っていなかった。
姿を見るだけで、こんなにも嬉しいだなんて……。ダメダメ、何をしているの、まずは昨日の件を謝らないと!
「中原くん、ごめんなさい。私、また昨日変なこと言っちゃって……。ホントは今日も中原くんとお話したかったんだけど、どこかに行っちゃったから、それで……」
「朝倉さん」
え? と、私は伏せていた顔を上げた。中原くんから、私の名前を呼んでくれるなんて、思いも寄らなかったのだ。見ると、その王子様が私に向かって近づいてくるではないか!
え、ヤダ、どうしよう!? 私、まだ何も準備出来てない!!
それでも、王子様はその歩みを止めることなく距離を詰めてくる。私の脳細胞が興奮のあまり沸騰し始める。
ええい、何をためらおう、これこそが私の望んでいたことなのだ! 今日だってお弁当を作り直してきたのは何のためか、ひとえに王子様のご寵愛を承らんがためではなかったのか!! そうだ、私は中原くんに相応しい淑女となるべくこの日までたゆまぬ努力をしてきたのだ、さあいざ征かん、我らの
私が両手を広げて中原くんを受け止めようとしたその時だ、
「あいた!」
王子様が華麗に宙を舞った。このままでは正面衝突を起こしてしまう。
私はとっさに後ろに身を引いてしまった。「危ない!」と、叫びながら中原くんが両手を差し出す。激突の寸前、私と中原くんは同時に目を閉じた。
背にひんやりとした壁の感触がある。他はどこも触れていない。どうやら、すんでのところで衝突を回避したようである。私は安堵した。そのままゆっくり目を開けると、
「――!?」
中原くんのつぶらな瞳が、眼前にあったのである。
互いの眼と眼、そして口と口がすぐそばにあった。
こ、これは、夢にまで見た、あの千年の眠りも覚めるという、王子様のキスではないか!!
途端、私達を色とりどりの花びらが包んだ。風に乗って蝶や小鳥が舞い踊る。遠くに聞こえるのは、教会の鐘の音。今にも、迎えの馬車が丘を越えて駆けてくるではないか!
ああ、愛しの王子様。私は、この時をずっとお待ちしていました、あの時からずっとお待ち申し上げておりました。私はもう覚悟は出来ております、いえ、むしろこの身はすでにアナタのものです! さあ、お願いです、私を、みなとを、中原くん――
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