第7話 逃走する王子様 -朝倉みなと-
翌朝、私は眠い目をこすりながら、まるで愛しい我が子を抱くようにして弁当を持ちながら登校していた。
結局、料理が出来上がったのは、空も白み始めた朝の四時頃であった。
ネットで探し当てたレシピを参考に何度も何度も作り直し、夜明けを迎えた頃、ようやく納得いく味が出来たのであった。
「で、出来た……! 出来ました、中原くん! 私の味が出来ました!!」
私はキッチンの中で雄叫びを上げていた。特製のニンニク・スッポン・マムシ料理みなとスペシャルが完成した瞬間であった。
その後、弁当の盛り付けやら後片付けやら登校の準備やらをしている間に六時を迎え、一時間だけ仮眠を取っていつもの時間に家を出たのがさっきのことである。
私は両手でお弁当箱を抱えながら、普段乗っている電車に乗り込んだ。
「中原くん、待っていてください。今、みなとがお届けに参ります……」
ああ、何て幸せなのだろうか。愛しい人に自分の作った料理を食べてもらうことがこんなにも嬉しいだなんて想像したことがあったであろうか。
思えば、あのクサレビッチに幻想をぶち壊されて以来、誰かに頼ることも頼られることも拒んで生きてきたのだ。それが、中原くんに救けてもらってからというもの、私の中の倫理が百八十度変わってしまった。
クソの男共と関わらずに生きていくことこそ幸せなのだと思い込んでいたのに、いざ中原くんのために何かをしてみれば、これまでの生涯で味わったこともない幸福を得られているのである。
やはり、中原くんは私の王子様であった。
中原くんは、私を人生の過ちから救い出してくれた正真正銘の王子様であったのだ。
こんなに幸せでよいのだろうか。否、だからこそ、私は中原くんにお返しをせねばならないのだ!
ところが、学校に着いても、また中原くんは教室に姿を見せなかった。
やはり、昨日の一件で私は見放されてしまったのだろうか。
確かに、私のライフプランは不備だらけで、とてもお見せするようなものではなかった。
中原くんがそれに腹を立て、私をお見捨てになさっても、おかしくはないのだ。
このまま、二度と会えないのだろうか。
ようやく巡り会えたこの恋は、かくして自然消滅を迎えてしまうのだろうか。
「そんなのって、ないわ……」
私は机の横に吊り下げた弁当箱を見やって、呟いていた。不意に視界がぼやけていく。私は、窓の方を向いた。堪えたものが、溢れ出しそうだった。
いよいよ、始業のベルが鳴ったその時だ。
誰かが椅子を引いて着席した音を耳にした。私は、それに振り向いた。
何故なら、誰にも聞かれたくないからと遠慮しがちに引いてしまい、床との摩擦が強くて結局普通に引くよりもけたたましい音が鳴ってしまうような、その愛おしい椅子の引き方は、中原くんのそれに他ならないからだ。
案の定、振り向いた先には、まさしく私の王子様の姿があった。
私は歓喜した。王子様は私を見放したわけではなかったのだ。何と慈悲深い方だろうか、みなとは一生ついて行きます!!
そうして、休み時間に中原くんの元へ伺おうとするも、その度に中原くんはどこかへ姿をくらましてしまった。
こうなれば、私も腹を括らねばならない。
私は、弁当箱を目にして、気合十分にこぶしを握った。
「みなと、ファイッ!」
チャンスは一度きり。そう、昼休みである。
四時間目の終わりを告げるチャイムと同時に、私は急ぎ中原くんの席へと駆け寄った。
私の想いを告げるのはこのタイミングしかないのだ。
さあ行け、行くのよ、みなと。行って想いの丈をぶつけるの、アナタをお慕いしています、私はアナタのおそばにいたく思います、出来れば仲良くさせていただけませんかと!
中原くんの席はもう目の前である。だが、そこで私の足は歩みを止めてしまった。
せっかくお弁当まで作ってきたというのに、いざ話しかけるという段階において、やはり断られるのが怖くなったのだ。
私の思いが、私自身が拒絶されるのが、怖くて恐ろしくて寂しくて悲しかった。
これまでにそのような恐怖は感じたことがなかった。
何せ、私は一人で生きていくと決めていたのだ。だからこそ、誰とも交わらずに過ごしてきたし、一人で生きていくための準備を重ねてきたのだ。
交わることがなければ、必然的に別れることもない。
別れの辛さが、こんなに心を苦しめるものだなんて、知らなかったのだ。
私は、人生で初めての恐怖心に打ちひしがれていた。
動こうとしても、動けない。どうすればいいかわからない。救けてなんて言えない、それでも――
「願わくは、お話したい」
私は声に思わず振り仰いだ。誰が聞き間違えるものか、声の主は、中原くんである。
「ホント? 中原くん」
震える声で、私は問い返していた。
「あ、朝倉さん!?」
私に気づいた中原くんが慌てる。だが、今はその一挙手一投足の全てが愛おしかった。
……だって、中原くんも、私と同じ想いだったんだもの。
「良かった、私も中原くんとお話したいと思ってたの」
「ああああああの、ききききききききのうは!」
「ごめんなさい、昨日は私もどうかしていたわ。突然あんなこと言って、驚いたわよね」
私の提案したライフプランは穴だらけだったのだ。驚いて当然である。完全に私のミスであった。
「えっ? あ、はい」
中原くんが瞬きしながら言う。やっぱり、中原くんは照れ屋さんである。悪いのは私なのに、ちっとも責めようともしない。本当に優しい人。
でも、いつまでもその優しさに甘えてはいられない。
さあ、みなと! 今こそ、想いを告げるのよ!!
「でも、中原くんと仲良くなりたいって思うのは本当なの。……中原くんは、私と仲良くするのは嫌?」
そ、そんなこと……、と言って中原くんは押し黙った。
私も黙って中原くんの次の言葉を待った。
無限の時が流れる。その間、私の鼓動は激しく鳴り立てた。
苦しい、ううん、でも、私は……、中原くん!
「……俺も、仲良くしたい」
きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?!??!!??!?!?!!!
私の心臓は、まさに射抜かれてしまった。
ああ、中原くん、私の王子様。
私は一生をアナタに捧げます。
私はここに、永遠をアナタにお誓い申し上げます!!
「中原くん、実はお弁当作ってきたの。良ければ一緒に食べない?」
うんうん、と中原くんが鼻息荒く頷く。
もう、そんなにがっつかないで、焦らなくてもなくならないんだからね、ダーリン♡
「精力付けた方がいいと思って、ニンニクとスッポンとマムシを入れてみたの」
「あの、朝倉さん?」
「あと、若くても不妊の場合があるって聞くから、漢方薬の
「朝倉さん、朝倉さん!」
「私、子供は三人がいいなって思うの。男の子が一人と、女の子が二人」
私は熱くなった頬を両手で抑えた。
いくら何でも早すぎたかしら、まだ結婚もしていないのに。
ううん、でも、そう遠くない未来の話なのだから、予め言っておく方が誠実というもの。
だって、私は中原くんと永遠を誓っ――
「おおおおおおおおおいいいいいいい、朝倉さああああああああん!!」
えっ? と、思って我に返る。そして、二人が見つめあう。
教室中が私達を注目していた。片方は両手で頭を抱えて大きな叫び声を上げており、もう片方は身体をくねらせて両頬に手を当てている。
うむ、これは、あれだ。私は知っているぞ。何せ、昨日同じ場面に遭遇したばかりなのだから。つまり、このあとに起こるのは、
「あの、中原く」
「ヒイッ、わっ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??!?!!」
「中原くん!!」
中原くんは自分の鞄を掴むや否や、教室の外へと一目散に駆け出していった。
王子様は私を置いて行かれた。
また、私の王子様は私を置いて姿をお消しになった。
もはや、具体的に言うまでもない! 王子様はまた私にドン引きして逃げていったのだ!!
どうしよう、お姉ちゃん。私、またドン引きされちゃった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます