第6話 胃袋を掴め -朝倉みなと-

 王子様は私を置いて行かれた。

 また、私の王子様は私を置いて姿をお消しになった。

 具体的に言うなら、私の綿密にして遠大なライフプランのご提案に対してドン引きなされた挙げ句、声をかけるヒマもなく駆け去ってしまったのである。


 ……どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどうしよう!?

 そんな、あれが私の提示出来る最良の人生設計愛と希望の二人の軌道だったのだ。六時間目の授業を聞き流し、これから起こりうるあらゆるリスクを想定して完璧なる対応策まで練り込んで作り上げた自信作であったというのに!


 ……ハッ、そうか! たった一時間で全てのリスクなど網羅出来るわけがないではないか! 善は急げと早急にご提案することばかり思い至ってしまって、吟味することを失念していた。聡明なる中原くんはそれを見抜いていたのだ、さすがは王子様、私が傷つかないように直接言うのではなく、自ら悟るように態度でお示しになったのだ。


 朝倉みなと、生を受けて十六年と十一ヶ月、一生の不覚である。

 かくなる上は、一度我が家に撤退し、プランの再考をせねばなるまい。

 私は確固たる決意の元、自室の本棚にある関連書籍をかき集めた。


『~未来を生きる~ 人生戦略』

『ライフ・アンド・キャリアデザイン ~貴女の生き方~』

『最強の私になるために ~自分らしく生きるたった八つの方法~』


 しまった! 女一人で生きることにこだわるあまり、結婚して家庭を持つことに言及している参考書を持っていなかった! これでは、中原くんとのバラ色の幸せ家族計画が作れないのも当然ではないか。

 そう、中原くんにライフプランを提案する、それ自体が初めから誤っていたのである。


 私は思わず天を仰いだ。

 このままでは、中原くんとお近づきになることが出来ない。

 何せ、私は最初に話しかける一言すら思いつかないのだ。いわんや、中原くんと親密になるなど、どうして望めようか!


 私が絶望に打ちひしがれて天井のはるか上空を見上げていると、スマホが着信を告げる電子音を奏でた。

 虚ろな目で画面を見やると、そこに表示された相手の名前は、姉のみさきである。

 この忙しい時に一体何の用事だ、中原くんとの案件はあらゆる事項に対して優先権を持つのだ、クサレビッチの姉になど構っている暇はないのだ。

 そうして、切断のアイコンをタップしようとしたその時だ。

 私に天啓が降りた。


「そうだ、お姉ちゃんなら!」


 そう、私は今悩んでいる。何に悩んでいるかと言えば、王子様との具体的な将来設計であり、良好な男女関係の構築におけるプロセスであり、中原くんと仲良くする方法についてである。

 そして、姉のみさきは人生の先輩であると同時に、認めたくないことではあるものの、男女関係においても私の先を歩んでいるには違いないのだ。

 あのクサレビッチごときに教えを請うなど身の毛もよだつ行いではあるものの、やはり中原くんとは仲良くしたいのである。


 まさに断腸の思いだった。だが、溺れる者は藁をも掴むのである。

 私は意を決して、通話のアイコンをタップした。


「……もしもし」

「あ、みなとー? 今、いい?」

「うん、何の用?」

「えっとねー、……ちょっと、やめてよ、くすぐったいってば!」


 嫌な予感がした。


「お姉ちゃん、切るよ」

「あー、待って待って! 実はさー、今ホテルに居るんだけどね」

「あっそう」


 人生で一番どうでもいい瞬間だった。もはや、姉の戯言に付き合う道理などない、せめてこちらに有益な情報だけでも引き出すべきだった。


「お姉ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「えっ!? みなとが相談なんて、珍しいじゃない!」


 それは姉に相談する必要性が皆無だったからである。だが、今は事情が事情なのだ。


「あのね、仲良くしたい男の子がいるんだけど……」

「え、何、カレシ?」

「違う!」王子様だ!!

「ふうん。で、その男子とどうすれば仲良くなれるかって?」

「うん」


 このあたりの察しの良さはさすが姉である。伊達に私よりも八年は先を歩んでいるわけではなかった。いかに毎晩のように違う男とホテルを渡り歩いているようなヤリマンクソビッチであろうとも、やはり人生の先達には敬意を表すべきであった。

 ごめん、お姉ちゃん。私、ちょっと誤解してたかも。


「そんなの簡単じゃない、セッ○ス――」


 次の瞬間には私は切断ボタンをタップしていた。危うくタップする指がめり込み、画面を割ってしまうところであった。

 あのまま通話を続けていれば、下品な罵詈雑言の数々を吐いていたに違いない。

 そのような愚行をすぐさま回避した私に、『えらい!』×百を贈呈したい。


 私が深呼吸をして息を整えていると、また姉から通話がかかってきた。


「何、このクサレビッチ」

「ちょっと、いきなり切るなんてヒドいじゃない!」

「そうだね。で?」


 ハイハイ、とため息交じりに姉が言う。さすがに私の堪忍袋も限界であった。


「んー、それがダメならー。胃袋を掴むといいんじゃない?」

「胃袋を、掴む……」

「そうそう、男なんて単純なんだから、美味しいもの食わせたらイチコロじゃない。そうだ、みなと、料理得意なんだし、ちょうどいいじゃない」


 なるほど、姉の言うことも一理ある。美味しいものを食べれば人は幸せになれるのだ。お互いが同じものを食べて幸せな気分になる、そしてそれを二人が共有しあえれば、否が応でも親密になれるというものだ。

 そうだ、これまで私は一人で生きるべく必要な生活能力を養ってきたが、今はそれを二人で生きるために役立てるのだ。私の努力は無駄ではなかった!


「わかった、やってみる!」

「うんうん、よかったよかった、さすがアタシ。そうだ、今からパーティーするんだけど、みなとも来ない? 夜のパーティーなんだけど」

「お姉ちゃん、ありがとう! 地獄に落ちろ」


 史上最高の謝辞をぶん投げて、私は通話を打ち切った。もはや語るべきことは何もなかった、電話帳から姉の連絡先を削除しなかった私は、慈悲の心に満ちているに違いない。






 さて、いかにして胃袋を掴むか。

 あのクサレビッチ曰く、私の料理は人様に出しても恥ずかしくないレベルにあるらしい。王子様のお口に合うかはわからないが、この七年間培ってきた料理の技術を惜しみなくつぎ込む所存である、それはいい。


 問題は、中原くんに私の手料理をどうやって食べてもらうかである。

 家に招くことがベターではあるが、昨日我が家で同棲することを断られたばかりである。ましてや、どのように話しかけるかで散々悩んでいるのだ、招待する方法など思いつくはずがなかった。

 解決策も見つからないまま、空転する脳内会議を繰り広げている間に、いつしか日が暮れかかっていた。


 そう言えば、まだ明日の弁当の具材を買っていなかった。会議を中断して、買い出しに行かねば。

 そう思いながら立ち上がったその時、私に二度目の天啓が訪れる。


「そうだ、お弁当!!」


 弁当を二人分作って、中原くんにも食べてもらえばいいのだ!

 二人で同じお弁当を食べる、それはつまり、同じ料理、同じ空間、同じ幸せを共有するに他ならない。

 それに、どうせ私は弁当を毎日作って持って行っているのである、一人分作るのも二人分作るのもさして労力は変わらない。

 こんな一挙両得の最高の手段があるではないか!

 いや、これはある意味、来たるべき未来のシミュレーションと言っても過言ではない。



 結婚した二人、朝、出勤しようとする中原くんが玄関で振り返って言うのだ。


「行ってくるよ、みなと」

「待って、アナタ」


 私はスリッパをパタパタさせながら夫を追いかける。


「はい、アナタ、お弁当」

「ああ、また忘れるところだった」

「もう、いつまでたっても忘れっぽいんだから」


 二人は微笑む。こんな一瞬さえ愛おしい。


「アナタ、お仕事頑張ってね」

「ああ、みなとの弁当のおかげで精がつくよ、いつもありがとう」


 夫が弁当と共に私を抱き寄せる。

 二人は熱い抱擁を交わした……。



 私の目から涙がほとばしる。これだ、これこそ私達のあるべき姿そのものなのだ!

 私のお弁当が果たす役割はここにあるのだ、そう、その答えは「精のつく弁当」である!


 精のつくものと言えば、古来より決まっているのだ。

 ニンニク、スッポン、マムシである。

 ハッ、そう言えば、若い男性にも不妊の場合があると聞いたことがある。

 たとえ、精のつく食べ物を摂取しても、不妊になってしまえば意味がない!

 だって、子供は三人くらい欲しいもの……。


 これは一大事である、何か不妊に効くような食べ物はないだろうか、そう思ってネットで調べてみると、どうも不妊治療に漢方薬が処方されることがあるらしい。

 そうと決まれば、善は急げである。

 ニンニクは普段の料理で使ったことがあるものの、スッポンやマムシ、漢方薬などは食べたことも触ったこともない。

 となれば、まずは実際に食して味わった後、調理してみる他にあるまい。


 窓の外を見やると夕暮れまで残り僅かである。

 時間は有限なのだ、明日の弁当に間に合わせるには、一刻たりとも無駄には出来ない。


 中原くん、待っていてください! みなとは、アナタのために、最高のお弁当をお持ちいたします!!

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