第5話 どこで間違えたのか -朝倉みなと-
中原くん。中原和総くんとは、二年続けて同じクラスである。
容姿は可もなく不可もなく、体つきは中肉中背、成績は中の中の下、運動神経は悪くなさそうだけど球技はからっきし、そんな凡庸を絵に描いたような人であるが、唯一、数多のクソどもとは一線を画する才能を持っていた。
笑いのセンスが、抜群だったのである。
あれは入学式のあとのホームルームの時間だった。
クラスメイトたちが自己紹介をしていく中で、私はすでに飽き飽きしていた。彼らが話す内容があまりにつまらなかったのである。やれ、部活は何に入りたいだの、特技は何だの、友達がたくさん欲しいだの、稚拙極まりない話題しか出なかったのだ。
だが、中原くんだけは、明らかに違った。
中原くんは、席を立ったその時からすでに異質な存在感を放っていた。
最後列の座席だった中原くんは、自分の名前が呼ばれるや、今にも大気圏を離脱せんがごとく跳ね上がり、その勢いで自分の座っていた椅子を教室の後ろのロッカーまで射出したのである。
すでに、私は吹き出しかけていた。
「な、なかふぁらかずふさです!」
やめて、腹筋痛いからもうやめて!
「好きなお茶漬けは表参道です!」
「アッハハハハハハハハハハハハ!!」
私の盛大な笑い声が教室中に響いていた。
仕方あるまい、私がこれまでに聞いた面白いギャグベスト二位だったのだ。
それからというもの、私は中原くんが放つギャグを聞くのが日々の楽しみとなっていた。
とりわけ面白かったのはこれである。
「ああ、それってアレでしょ、からしに練り消し混ぜるようなものでしょ?」
普段は人知れず密かに笑っていたものの、この時ばかりはこらえきれずに、
「アッハハハハハハハハハハハハ!!」
と、また声を大にして笑ってしまったものだった。
さすがに恥ずかしかったゆえ墓場まで持っていくことを検討したが、あまりに多数の人に聞かれていたため断念せざるを得なかった。
そんな、稀代の芸人とも言うべき中原くんであったが、夏を迎えた頃から彼のギャグを聞くことがなくなってしまったのである。
聞くところによると、『永遠に売れないピン芸人』などというまるで見当違いなあだ名で、中原くんは呼ばれているらしかった。
まったくもって不届きな連中である、中原くんのセンスを理解しないばかりか、あまつさえ不当にも貶めるとは一体何事か。
筋違いのレッテルを押し付けられた中原くんは、いつしかクラスでも目立たない存在になってしまった。
私はそんな彼の痛ましい姿を見ては、何もしてあげられない己の無力さにじくじたる思いを抱いていたものだった。
その中原くんが、私を見つめている。
私は首を振って下を向いた。彼に、情けない己の姿を見られたくなかった。
どうしよう、恥ずかしい、気持ち悪い、お願い見ないで、やめて、いい加減にして、救けて、我慢しなきゃ、早く終わって、救けて、もういいでしょ、救けて、勘弁して、救けて、いやだ、救けて――
「あ、あの!」
びっくりするような大声が響いた。
「ちょっと、何ひてるんですか!」
振り向くと、叫んだ人物が顔を真っ赤にしてこわばらせていた。
中原くんである。
「(王子様――!?)」
その時、私の心の奥底に封印されていた何かが、弾け飛んだ。
途端、私の視界は桃色の世界に包まれた。色とりどりの花が人々に代わって咲き誇り、蝶や小鳥たちがどこからともなく現れ、あらゆるものは花吹雪にさらわれていった。
遠くからかすかに聞こえてくるあれは、蹄の音。
瞬きすれば、中原くんが白馬に跨って、私に手を差し伸べていた!
そう、私が十年来、恋焦がれていたおとぎの世界が、現実のものとなったのである!!
気がつけば、私は元の車内にいた。
私の王子様である中原くんはどこかに消え去っていた。やはり王子様は引き際を心得ている、風のごとく現れ、また風のごとく去っていく。
ああ、中原くん、貴方はどうして王子様なのですか、どうして私の王子様は貴方なのですか!
私は王子様に心を奪い去られ、今にも天に召されるような浮ついた気持ちを、何とか地上に押し留めた。
気を抜けば、上空五十センチのところを歩いているような気分になる。駅から学校までの道のりをスキップで駆け抜けてしまったのは、もはや致し方ないことであった。
教室に着いても、王子様はまだ登校していなかった。
その後、一時間目の授業が始まり、二時間目が過ぎ、午前中が終わってしまった。待てど暮らせど、一向に中原くんが現れないのである。
私は困った。いかに王子様は引き際が大切と言えど、学校の単位まで落としてほしくはないのである。
心配のあまり、ネットの知恵袋に、
『私が痴漢に遭ったせいで私の王子様が学校に来なくなりました。どうすれば来てくれるようになりますか?』
などという質問を書き込んでしまった、その時だ。
教室の入口に、中原くんが姿を見せた。
きゅん♡ などという派手な音を立てて跳ね上がった私の心臓に語りかけてあげたい。
いいわ、許してあげる。
さあ、みなと、行くのよ、行って王子様にお礼を言うの、そして貴方が王子様なのですかと、私の王子様が貴方なのですかと、ずっとお待ちしていました、永遠に来ないかと思っていました、私は永遠に貴方といます、貴方は私と永遠にいてくれますかと、そう言うのよ!!
私は席から立ち上がった。
今度は一歩ずつ踏みしめるようにして、中原くんの席へと向かう。
しかし、中原くんが近づくにつれて、私にある種の不安が押し寄せてきた。
つまり、私はかれこれ七年以上、まともに男性と話をしていなかったのである。
あれ、最初は何て話しかければいいんだっけ。
「本日はお日柄もよく」違う。
「ここで会ったが百年目」違う。
「貴方が好きです、みなとです!!」ちがああああああああああああああうううううう!!
困った、最初の一言すらわからないのである、徹底的に男女関係を避けてきたせいで、普通の男女がどのような会話をするのか、全く想像も出来なくなっていた。
私が困惑のあまり立ち尽くしていると、五時間目のベルが鳴り響いた。私はすごすごと己の座席に撤退せざるを得なかった。
このままでは埒が明かない、溺れる者は藁をも掴むのである、私はもう一度知恵袋に質問を投げることにした。
『永遠の約束を交わした相手とまともに話が出来ません。どうすればちゃんと向き合うことが出来ますか?』
祈るようにして五時間目の終わりに確認すると、早くも回答が四件も付いていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、見当違いな回答が並んでいたのである。
そんな相手は別れてしまいなさい、私もそうやってズルズル五年も待たされました、私は相手に二股をかけられていました……。
これはあれだ、どうやら結婚詐欺に遭ったのだと勘違いされたようである。しまった、私としたことがとんだミスを犯してしまった、これではまともな回答が来るはずがないではないか、そうだ、永遠の約束を交わしたのではない、交わすのはこれからなのだ!
私は自らの過ちに落胆しながらスマホの画面を流していた。だが、何と最後に目からウロコの回答が載っているではないか。
『期限を決めて、いつまでに何をするのか、具体的に決めることです』
なるほど、確かに具体的に定めるのは大切なことだ。永遠とか末永くとかめでたしめでたしとかでは、不明瞭に過ぎて具体性のかけらもないではないか。これは良い回答を得た、ベストアンサーを付けて敬意と感謝を表しておこう。
私は六時間目の授業を聞き流しながら、具体的な展望を書き連ねた。
終業のベルが鳴る頃には、ノート十ページに渡って、二人の八十歳までの未来を書き終えていたのである。最後の顛末は到底涙なしには語れないものであった。
「貴方といられて、私は幸せでした……ガクッ」
「みなと、みなとーっ!!」
そうして、和総は徐々に暖かさを失っていく細い手を、いつまでもいつまでも握りしめているのだった(了)
ポタポタとノートに涙が滴る。これだ、これが私達の具体的な未来なのだ!
早速、中原くんに伝えねば!
そうして振り向くと、中原くんが鞄を手に颯爽と教室を出ていくところだった。このままではまた王子様と会えなくなってしまう、私が見積りをした二人のライフプランについてぜひともご提案申し上げねば!
慌てて追いかけ階段を下り、下駄箱のところでようやく追いついた。
「中原くん!」
口から勝手に言葉が出ていた。人間追い込まれれば出来るものである。
「待って、中原くん」
「……朝倉さん?」
中原くんが振り返る。その姿を見ただけで、私の胸はキュッと音を立てた。
「今日はありがとう。救けてくれたのよね?」
「あー、いやまあ」
さすが中原くんは出来た人である。己の行いを誇ろうともしない。
「中原くんの気遣い、嬉しかったわ」
「はい?」
「自分が痴漢に遭っていただなんて、私が恥ずかしい思いをしないように、わざとそう言ってくれたのよね」
「え? あ、そ、そうそう!」
もう、恥ずかしがらなくてもいいのに。こっちが恥ずかしくなっちゃう。
「私、中原くんのこと、前から面白い人だと思ってたわ」
センスのある人だと思っていた。だけど、それだけじゃなかった。
「でも、今日は、ちょっとかっこよかった」
こんなところで、王子様と出会えるなんて、想像もしていなかったもの。
見ると、やはり中原くんは照れているのか、目を逸らしていた。
ここからが本題である、あくまで具体的に、期限を決めて!
「ところで、中原くん。誕生日はいつ?」
「えっと、五月四日……」
「そう、あと十ヶ月待たなきゃいけないのね。じゃあ、まずは同棲から始めましょうか」
「あの、はい?」
「私は一人暮らしだから、同棲するには問題ないと思うの。あっ、それとも中原くんの家の方がいい? そうね、ご両親に挨拶は済ませておきたいものね」
「ちょっと待って、何の話」
「何って、二人の結婚の話でしょう?」
言ってしまった。とても恥ずかしい。でも、これが二人の未来の第一歩なら、こんな恥ずかしさくらい何でもない!
……あれ、中原くんから返事が帰ってこない。どうしたのだろうか、ああ、もしかしてまた照れてるのか、もしくは泣いてたりするのか、いやいや喜びを噛み締めて口も利けないのではないか、そんなに照れてばかりじゃダメだよ、ダーリン♡
おずおずと、中原くんを窺ってみる。すると彼は、頬を染めているのでもなく、涙を流しているのでもなく、喜びを噛み締めているのでもなく、まるで得体の知れない異物でも見るような顔をしてこちらを眺めていたのである。
私はその表情に見覚えがあった。
あれは、まだ私が小学校低学年の頃、憧れていたクラスメイトの男の子に対して馬が云々と言った時のことである。
あの時の男の子と、まったく同じ表情を中原くんはしていた。
端的に有りのままに有り体に偽りなく率直に言うと、中原くんはドン引きしていた。
おかしい、私は一体どこで間違えたのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます