第4話 男なんてクソである -朝倉みなと-

 男なんてクソである。

 それに気がついたのは小学五年生の春になってからだった。

 それまでの私は、はっきり言ってクソ以下の阿呆でしかなかった。


 そもそも、私だって女として生を受けたからには世の男性というものに対してある種の憧れを抱いていたのは無理もないことだった。

 当時いわゆる愚にもつかない文学少女であった姉から、昼は想像上の男との睦まじき日常を延々と聞かされ、夜は子守唄代わりに恋愛漫画を叩き込まれ、そんな私がまともな男女の交際について想起することが出来たはずがあったであろうか。


 むろん、出来なかった。


 であるから、いつしか目の前に白馬の王子様が現れて、私をまだ見ぬ花びらが華麗に舞い踊るキラキラでメルヘンチックなおとぎの世界に誘ってくれるのだと信じていたことは、決して私が過分に恋愛脳であったとは言い難いはずである。むしろ、全ては姉に毒されていたがゆえのことであり、その責任の所在は主に姉にあるのだと主張したい。

 そんな脳内をバラ色に汚染されていた私が、小学校低学年にして憧れていたクラスメイトの男の子に対して放った言葉がこれである。


「ねえ、あなたは馬の乗り方は知ってる?」


 相手の男子がドン引きしたのは言うまでもない。私の初恋はこうしてあっけなく終焉を迎えた。このことは断じて墓場まで持っていく所存である。


 だが、かように肥大化して現実にまで影響を及ぼすようになっていた幻想は、あっけなくも木っ端微塵に打ち砕かれることとなる。

 姉が、大学デビューを果たしたのだった。


 みさきお姉ちゃんは私の八歳離れた姉である。中学、高校と続けて文芸部に所属し、三つ編みに黒縁メガネというもはやテンプレすぎて誰もやらないようなスタイルを六年間貫き通し、恋愛小説と恋愛漫画さえあれば飯が三杯は食えるという根っからの根暗女子であった。


「女はね、いつだって待ってるのよ」


 そう語っては脳内のめくるめく情事に恍惚としてだらしない笑みを浮かべていた。この姉に英才教育を受けた私が、どのように育ったかは前述の通りである。


 だがしかし、姉は自身が大学に入学するや否や、トレードマークであったテンプレスタイルを脱ぎ捨て、茶髪ウェーブにカラーコンタクトを充てがい募りに募った男枯れの鬱憤を晴らすかのように日夜男を求めては彷徨うヤリマンクソビッチへと変貌を遂げてしまったのである。

 まさに大学デビューを堂々果たした姉は八面六臂の働きだった。新歓コンパだけで二十ものサークルをハシゴし、三回目の二次会でもはや無用の長物と化していた処女膜を捨て去ると、それからは同回だろうが先輩だろうがOBだろうが男と見れば次々とその上を飛び越えていった。あまりの尻の軽さに人々は源義経の八艘跳びを思い浮かべたという。


「男なんてねー。ツボさえ付けばチョロいものよ」


 一体どの口が言うか、高校時代の姉の言動を記録しておかなかったことは私の一生の不覚である。


 姉の変身によって困ったのは私だった。

 妄想はたくましいものの健全な小学五年生であった私が家にいるにもかかわらず、姉は毎日のように男を連れ込み、しかも会う度にその男が変わっていたのである。パパよりも明らかに年上のオジサンに頭を下げられた時はドン引きを通り越して笑うしかなかった。中には、


「へえ、みさきの妹? けっこうかわいーじゃん、妹ちゃんも一緒においでよ」


 などと小学生に対して色目を使ってくる輩もいた。普通に怖かった。私は泣いた。


 被害はこれだけに留まらなかった。

 私が部屋で寛いでいると、壁向こうの姉の部屋から部屋主の悲鳴とも嬌声とも取れる短い叫びが漏れ聞こえ、次いで震度二レベルの微弱な振動が絶え間なく押し寄せてきたのだった。

 私はこれが何たるかを残念ながら知っていた。さんざん叩き込まれた恋愛漫画には往々にしてこれらの描写が載っていたのである。

 姉によって幸せな愛の結晶として教え込まれていたその行為への幻想は、クサレビッチと化した姉によって粉々に爆散したのであった。


 その日、私は泣いた。

 同時に、オ○ニーを初めてしたのがこの日であったことは、断じて墓場まで持っていく所存である。






 男なんてクソである。

 私がこの結論に至る原因のおよそ九割九分九厘は姉に由来するものではあるが、いかんせん男がクソであるのは普遍の真理である。

 これは私が十年と八ヶ月を生きて得た教訓であった。


 あの日の翌日、私はもはや少女漫画図書館と化していた自室のありとあらゆる本を根こそぎ売り払った。

 代わりに、参考書なり実用書なりを取り揃えるようになったのである。


 男がクソであると判明した以上、男に頼って生きるなどという愚行を犯すわけにはいかない。

 こうなったら、私一人で社会という名の荒波を乗り越えていくのだ。


 付き合う? 同棲? 結婚?

 否! 断じて、否である!


 そんなものを当てにしていては、クソの男どもにいいようにされて終わるだけだ。

 女は強く生きねばならない、今は男女平等の世の中なのだ、クソの男どもがはびこる社会に風穴を開け、女ひとりで立ち向かっていくのだ。


 そう心に決めた私は、以来一人で生きていくための準備を重ねてきた。

 学業やスポーツはもちろんのこと、掃除洗濯などの基本的な家事に加えて料理、裁縫に至るまで一切手を抜くことなく励んできた。

 その間、男女の交際については、その全てを無視してきたことは言うまでもない。何かあればその度に、


「興味ないから」


 と言って全力で回避したものである。

 当然であろう、男など、所詮は性器が衣服を着て歩いているだけの存在である。女と見れば途端に発情して迫ってくるのだ、このような卑小な輩と同じ世界に住んでいることすら汚らわしい。

 そうやって、私は極力彼らとの接触を拒んできたというのに、それでもなお卑しくも浅ましい輩が横暴にも私に押し寄せてくるのだった。


「朝倉さん、家だと何してるの?」

「どうして貴方にそんなことを言う必要があるの?」


「ねえ、今度の日曜日ヒマ? どこか行こうよ?」

「残念ながら貴方のように暇ではありません」


「ええ、もったいなくね? もっと、遊ぼうよ?」

「貴方と一緒にいる時間がもったいないです」


 ここまで強く言って、ようやく連中は引き下がっていった。だが、結局彼らを追い払ったところで、別の彼らがウジ虫のごとく湧き上がり、また同じような文言を吐いてくるのだった。私はまるで永遠に終わらないもぐらたたきゲームに挑んでいるような心地になった。






 そんな日々を得て、私は高校二年生になっていた。

 クソのクソたちも私に取り付いても無駄なことがわかったのか、いつしか私に話しかけてくるクソはいなくなっていた。

 私はようやく心の安寧を取り戻した。

 ただ、弊害として女生徒からも声をかけられることが極端に少なくなっていた。挨拶であったり業務連絡であったりはあるものの、日常のほとんどをクラスメイトと言葉を交わさずに過ごすことが増えていたのである。

 どうも、聞きかじった話では、多くの人が私のことをこう呼んでいるらしい。


 『絶対に媚びない系女子』と。


 なるほど、確かに言い得て妙であった。

 一人で生きていくということは、他人に媚びずに生きていくということである。

 正しく、私の人生を言い表した言葉であると言えよう。

 そのためには、多少の寂しさを覚えたとしても、致し方ないことである。クソと交わらずに生きていくためには必要なことであった。


 大丈夫、私は一人で生きていくと決めたのだ。私は孤独を愛している。

 かの偉大なる哲学者、ショーペンハウアー先生もこう仰っていた。


「人間は孤独でいる限り、かれ自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ」


 さすがはショーペンハウアー先生である、男性であるのが実に惜しい。


 ああ、そうだ、私はわたしでいる限り、孤独を愛し続けるのだ。

 病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も。

 いついかなる時も、私は孤独を愛し続けよう。

 そう、クソのいない人生、そのために、私は全てを捧げるのだ。


 そう思っていた矢先のことである。私に空前絶後の危機が訪れたのは。






 単刀直入に言うと、私は痴漢被害に遭っていた。


 以前より、この路線は痴漢が多発することで有名であり、私も自衛のために最も混雑する時間帯を避けて早めに登校するように心がけていた。

 だが、この日は例のクソビッチ、もといみさきお姉ちゃんから朝方に連絡が入っていた。わざわざ通話をしてくるとは何事かと思って聞いていると、どうやら貢がせていた男に二股をかけていたことがバレたらしい。それで昨夜その男と揉めに揉めて酷い目にあったという内容の愚痴を延々と聞かされた。自業自得だと言ってやると、実は十股なんだけどね、という言葉を聞いた時にはさすがに通話をブチ切った。


 そんなこんなで、出かけるのが普段から三十分ほど遅れてしまい、結局乗った電車は見るからに混雑を極めていた。

 最悪の出だしに不吉な思いを抱いていると、まさにその予想は的中してしまった。


 閉じたドアに向いて、車内からの圧迫に耐えていると、唐突に尻を撫でられたのである。

 初めは己の勘違いだと思った。この圧縮された車内だ、手違いで触れてしまうことはあるだろう、そう思って疑念を払おうとしたが、やはりその手が続けて尻を撫で回してきたのだった。


 もはや疑いようもなかった。私は、想定しうる最悪の事態に直面した。

 私は怯えながらも、後ろを見ようとした。だが、それも途中で止まった。その先はもう見れなかった。

 あれだけ、クソだ何だと普段から男性を見下してはいたものの、やはり恐怖には抗えなかった。

 そうして動かなくなった視界の先に、一人の男子生徒の姿を捉えた。

 数多のクソ生徒どもならば、視界に入れたところで反応することなどなかっただろう。

 だが、私の目は彼に釘付けになってしまった。


 だってそれは、

 同じ学校の制服を来た、

 クラスメイトの、

 平凡な成績と平凡な容姿と類まれな笑いのセンスを兼ね備えた、

 審美眼のない連中によって『永遠に売れないピン芸人』などと呼ばれている、

 私の日常の癒やしであった、

 中原くんだったのだから――


「(中原くん――!)」

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