第3話 貞操が危ない -中原和総-
プロポーズをされた。
当年取って十七年と二ヶ月、生まれてこの方交際を申し込まれたことも、バレンタインのチョコを(家族以外から)受け取ったこともないというのに、いきなり求婚をされてしまったのである。ヤバイ、どうしよう。
だいたい、求婚って何だ、球根の間違いじゃないのか、しかし朝倉さんは同棲とか挨拶とか結婚とか明確に言っていたのだ、これでは間違えようもないではないか。ヤバイ、どうしよう。
いやいや、このような不測の事態に備えて常日頃から余人と交わらずにひたすら瞑想を続けていたのだ。今役に立てずしていつ役に立つというのか、我に来たれ、ぼっちパワー! ヤバイ、どうしよう。
ええい、人間は社会的動物なのである、個体では不可能なことも集団を形成することによってより大きな力を得て地球史上類を見ない繁栄をしてきたのだ。であるからには人間である俺だって他人の力を借りることは実に人間らしいことではないか。だから誰か助けてヘルプミー。
しかしながら、ここに大きな問題がある。やむにやまれぬ事情により高校デビューに一年以上の出遅れを喫した故に、男女の仲について相談出来る女子はおろか、気軽に話せる男子ですらどこにもおらず、というかここ半年ほど学校で誰とも口を利いてなかった!
「……というわけで、助けてください、我が愚妹よ」
「何、また誰か惚れちゃったの、お兄ちゃん」
説明しよう。フローリングに正座する俺に向かって椅子の上から半目で見下しているツインテールのこの女こそ、俺の唯一会話出来る女子高生にして俺の一歳離れた妹、
成績優秀にして兄の俺でも認めるほどの美貌を兼ね備え、クラスカーストでも常に最上位をキープし、数多に迫りくる男どもをちぎっては投げちぎっては投げ、この歳にして交際人数は両手の指を超えるという出来た妹なのだ。俺と同じ高校に通っているのが不思議なくらいである。
体内の遺伝子を四分の一は共有しているはずなのに、どうしてこうも俺と違うのか。恐らく両親の遺伝子の内、優秀な部分は妹に配分されたのであろう、今からでもいいから半分よこせ。
いや、今はそれよりも別件の方が重要である。
「違う、俺が惚れたんじゃない、むしろ惚れられた」
「とか言って、どうせ勘違いじゃないの? 真昼さんみたいに」
「ハテ、ダレダッタカナ?」
「いい加減、目を覚ましなよ。現実を見た方がいいよ」
「しかし、求婚されたのだ」
「えっ、球根?」
「違う、プロポーズだ」
「は? 誰に?」
「朝倉さん……」
「あの、『絶対に媚びない系女子』で有名な朝倉先輩?」
「そう、『絶対に媚びない系女子』で有名な朝倉さん」
しばらく眉をひそめてまるで得体の知れない汚物でも見るような顔をしていた愛花は、やがて部屋のドアを開けて両親がいるであろうリビングに向かって叫びだした。
「おかーさん、お兄ちゃんがまた壊れたー!!」
「やめろ、マジでそれはシャレにならない!!」
前に一家団欒としてテレビを見ていた時に、
「人口が増えすぎて問題になっていると言うなら、地球上の女を死滅させればいいだろう。今は人工子宮の技術だってあるのだ、何ら困りはしまい」
と俺が言ったら、危うく精神病院に連れて行かれそうになったのだ。冗談であると必死に弁明すると、父親はドン引きしているだけだったが、母親と愛花はガチギレしていた。怖かった。
俺はドアにしがみついて声を上げ続けていた愛花を何とか引き剥がし、今日の顛末を最初から話した。便器を抱えて語りかけていたことは省いた。
「へえ、お兄ちゃんが痴漢を撃退ねえ」
「嘘ではない、事実、俺に感謝した朝倉さんが求婚を申し入れてきたのだ」
「それもどうかと思うけど」
で? と、妹はたわわに育った胸を反らした。
「その求婚に、何て答えたの?」
「……逃げた」
「は?」
「……何も答えずに逃げて帰ってきた」
はああああああああああああああああ!? と、これまた大きな叫びを上げる。
「最悪! どこの世界に求婚にビビって逃げて帰ってくるヤツがいるのよ、このヘタレ!」
「しかし、あまりに唐突すぎるではないか! 同棲だぞ! 両親に挨拶だぞ! 結婚だぞ! リアルすぎる!!」
「だったら、断ればいいじゃないの!」
「だって、朝倉さんは可愛かったんだ!」
愛花が心底どうでもいいと言った顔で見下げてくる。
「なあ、愛花。頼む、教えてくれ。俺はこの後どうすればいいと思う?」
「知らない」
「この後なんて言わない、とりあえず明日一日どうすればいいと思う?」
「知らない」
「じゃあ、明日の朝だけでもいい!」
「知るか!!」
愛花は人差し指を向けて怒鳴り散らした。
「何で私がお兄ちゃんの行動を決めなきゃいけないの、自分のことなんだから自分で決めなさいよ、ていうか妹にそんなこと相談して恥ずかしくないの、この阿呆兄貴!」
「愛花しかこんなこと訊けるのいないんだ!」
「だから友達くらいさっさと作りなさいよ!」
「作れたらこんな苦労してないわ!!」
あー、と愛花が頭を抱える。
「……あのねえ、いきなり求婚してくる朝倉先輩は確かにちょっと過激だと思うけど。少なくともお兄ちゃんに好意はあると思うよ」
「それは、そうかもしれない」
「あとは、お兄ちゃんがどうしたいかだよ。朝倉先輩だって、それを聞きたいんじゃないかな」
なるほど確かにそのとおりかもしれない。さすがは我が愚妹である。お兄ちゃんは誇らしい。
愛花に礼を言うと、対価にプリンとケーキとシュークリームを要求された。
なかなかの出費ではあるが、話したこともないクラスメイトに相談して友達料を支払うことを考えれば安いものである。
明日の帰宅時に買ってくることを約束し、これで安眠出来るとほくほくの笑顔で自室に戻った。
しかし、ベッドに潜り込んでからはたと気づいた。
「しまった、何も解決してない!!」
翌日、ついに一睡も出来なかった俺は、不眠による体調不良を訴え、自主休校を申し出た。
しかしながら、横暴なる我が家庭はそれを良しとせず、母親に引っ叩かれた挙げ句、妹に引きずられながら登校する羽目となった。
不幸中の幸いだったのは、愛花の登校時刻が俺のそれより三十分は早いことである。いつも誰よりも早く登校し、読書なり勉強なりをしているらしい。さすがは我が愚妹。おかげで、昨日とは異なる電車に乗り、車内で朝倉さんと遭遇するようなことはなかった。
学校に着いてからは、始業ギリギリまでトイレの個室に籠もっていたのは言うまでもない。
そうして、朝倉さんとの接触を全力で回避したはものの、結局のところ事態は何ら変わっていない。そんなことはいかに唐変木の俺でも重々承知である。
確かに、朝倉さんは可愛い。ただでさえ学校一の美人と言われているのだ、俺だってどえらい美少女がいるなとは思っていた。さらに、『絶対に媚びない系女子』と言われ、いついかなる時も表情を崩さなかったあの朝倉さんが、昨日は一瞬だが笑顔を見せたのである。超可愛かった。
だがしかし、いかんせん朝倉さんは女性である。性別でいうと女である。女はクソなのである。あの真昼のように! これは俺の人生を代償に得た教訓である。あの朝倉さんだって例外ではないのだ。結婚だの何だの言ってやはり俺を騙そうとしてるのではないか。そうだ、巷に噂される結婚詐欺というやつではないか? 順調に事が運んでいざ結婚式となった時に、海外へ姿をくらますのではないか!?
『少なくともお兄ちゃんに好意はあると思うよ』
しかしながら、愛花が言ったことも一理ある。いや、好意があるかは類推に過ぎないが、俺が朝倉さんを救ったのは事実であり、彼女がどうやら感謝しているのは確からしい。
『あとは、お兄ちゃんがどうしたいかだよ。朝倉先輩だって、それを聞きたいんじゃないかな』
願わくは。
「願わくは、お話したい」
「ホント? 中原くん」
昼休みになっていた。
「あ、朝倉さん!?」
朝倉さんが俺の席を訪ねてきていた。
「良かった、私も中原くんとお話したいと思ってたの」
「ああああああの、ききききききききのうは!」
「ごめんなさい、昨日は私もどうかしていたわ。突然あんなこと言って、驚いたわよね」
「えっ? あ、はい」
「でも、中原くんと仲良くなりたいって思うのは本当なの。……中原くんは、私と仲良くするのは嫌?」
「そ、そんなこと」あるわけがなかろう!!
やはり朝倉さんは天使であった。前にも同じようなことを別の誰かに言った気がするが、あれは悪魔の化身であった。朝倉さんこそが真の天使なのだ。
確かに結婚はまだ早いが、そんなことは些細なことである。俺と朝倉さんは恵まれた学校生活を共に送り、甘酸っぱいひと時を過ごし、深い愛情を育んでいくのだ。その行末に、結婚があるのはもはや予定調和と言っていい。
そうだ、このバラ色の幸福に満ちた人生、今がその一歩である!
「……俺も、仲良くしたい」
すると、朝倉さんが不意に笑顔を見せた。昨日見た、あの時と同じ、眩しいばかりの笑顔である。ヤバイ可愛い。
「中原くん、実はお弁当作ってきたの。良ければ一緒に食べない?」
おお、これがいわゆる愛妻弁当というものか。素晴らしい、さすが朝倉さん。未来の嫁!
「精力付けた方がいいと思って、ニンニクとスッポンとマムシを入れてみたの」
「あの、朝倉さん?」
「あと、若くても不妊の場合があるって聞くから、漢方薬の
「朝倉さん、朝倉さん!」
「私、子供は三人がいいなって思うの。男の子が一人と、女の子が二人」
「おおおおおおおおおいいいいいいい、朝倉さああああああああん!!」
妹よ、お兄ちゃんの貞操が危ない。
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