第二章 アングラ神殿組曲

第71話 ヤクモ<回想>:初恋


 ――【警告】<禁忌タブー>に抵触しました。


 ――【刑罰ペナルティ】<リア充爆発しろ>が発動します。


 ――解除には、今から三十分以内に、

   三名以上の異性の前で『初恋』の話をする必要があります。


 ――また、解除に失敗した場合、例え管理者を倒しても、

   しばらくの間、この部屋から出ることはできません。



 ▼


 ▽


 ▼


 もしあの時、彼女の涙に気付かなければ――


 恋を知らずに済んだのだろうか?


 もしあの時、彼女に忘れ物を届けなければ――


 その温もりを知らずに済んだのだろうか?


 もしあの時、一人公園のベンチで落ち込む彼女を見付けなければ――


 普通の恋ができたのかも知れない。


 ▼


 ▽


 ▼


 約束の時間。その十分前に駅前で待っていると――


「あ、ヤクモ発見!」


 次の瞬間には――ポヨン――と後頭部に柔らかいモノが押し付けられる。

 同時に、俺は逃げられないよう背後からガッチリと抱き締められた。


「あの、鮎川さん……『おっぱい』を当てるの、止めて貰えますか?」


「お、小学生のクセに『おっぱい』に興味があるのかね。このムッツリくんは――」


 そう言って彼女は、俺の頬を指でつつく。


「後、逃げないので放して貰えますか?」


「残念だが……それはできない。何故ならキミがSDで私がJKだからだ!」


 いや、意味が分からない。


「日本の法律でそう決まっているの!」


 どうやら、俺は生まれてくる国を間違えてしまったようだ。

 もしくは、ここは俺の知っている日本では無いのかも知れない。


「あの……前回は忘れ物を届けたお礼に――ということで付き合いましたが、今回は何の用でしょうか?」


「用事が無いと、会っちゃいけないの? お姉さん悲しい……」


「兄への腹癒はらいせですか? 残念ながら、俺と兄は血が繋がっていません。それほど、ダメージになるとは――苦しい、ちょ、苦しいです……」


 俺を抱き締める腕に力が入る。流石にタップアウトする。


「あら、ごめんなさい――でも、傷ついている乙女に対して、意地悪なことをいうキミが悪いのよ。美鈴お姉ちゃん大好き――と三回言うまで離しません!」


「あ、お巡りさん!」


 鮎川さんは素早く俺から離れると、


「HEY! POLICE. I‘M NOT GUILTY!」


 と言い出した。

 何故、英語なのかは突っ込まない方が良さそうだ。

 俺は内心溜息を吐き、


「冗談ですよ」


 と告げる。彼女は寒さで震えるように、


「怖っ――小学生、怖!」


 何やら怯えている。仕方が無いので、


「じゃ、行きましょうか? お姉ちゃん……」


 俺はそう言って、手を差し伸べると、


「うん、弟よ!」


 そう言って、彼女は俺の手を取る。


 そして俺は、その日を境に彼女と深く関わるようになっていった。


 ▼


 ▽


 ▼


 夏休みのある日、近所の公園に寄ると偶然、美鈴姉に会った。

 疲れているようだ。アイスを食べながらベンチでボーとしている。

 高校生の夏休みとは、こういうモノなのだろうか? 見ていて悲しくなる。


「大丈夫? 美鈴姉――」


 俺は声を掛ける。お姉ちゃんと呼べ――と煩いので、この頃には『美鈴姉』と呼ぶことが普通になっていた。


「誰?」


 と美鈴姉。目の焦点が合っていない。

 今日は関わらない方が良さそうだ。

 俺はクルリとUターンをし、そのまま引き返すことにした。


「わー! ウソウソッ! 待ってよヤクモ……そうだ、アイスを上げよう」


 と引き留められた。


「それって、上にアイスをあげて――はい、上げた!――てヤツじゃ……」


「そ、そ、そんなことある訳ないじゃん!」


 キョドりながら言われても、説得力が無い。

 せめてこっちを向こうか。

 あ!――と美鈴姉。何か打開策を思い付いたようだ。


「ほら、見てなさい」


 美鈴姉は突然、ブラウスの前を開けると、何故か食べ掛けのアイスを素肌の上に乗せ――


「うわっ、何コレ⁉ 冷た! 無理……うわぁーん、ベトベトするぅ――(くすん)」


 ――この人は、何がしたいのだろうか?


 仕方が無いので、俺は急いでタオルを濡らして来ると、それを渡した。


「ありがとう……(ふきふき)」


「何がしたかったのさ?」


「『おっぱい』にアイスを乗せて、ヤクモに食べて貰おうと思ったの……ううっ」


 バカだとは思っていたが――バレンタインで『おっぱい』に直接、沸騰したお湯で湯煎したチョコをかけるくらいの頭の悪さだ。


 確か、彼女の実家は病院だと聞いていたが、将来は『お笑いの道』に進んだ方がいいのかも知れない。


「明日、一緒に海に行こうか?」


 俺の提案に、彼女は嬉しそうに頷いたのだが――


「待って、水着――新しいの買わなくちゃ……」


 どうやら、女性は色々と準備が必要なようだ。


 ▼


 ▽


 ▼


 季節は巡って秋。

 美鈴姉に急に呼び出され、彼女の通う学校の近くまで行くと――


「ねぇ、いいじゃん。オレと付き合おうぜ」「しつこい!」


 何だろう。面倒事の予感しかしない。保険を掛けておこう。

 俺は兄にメールをする。


「えっと、美鈴姉――お待たせ」「もう、遅い~♥」


 と美鈴姉が猫撫で声を上げ、俺に抱き着いてくる。


 ――正直、気持ち悪い。


「おいおい、彼氏って……そいつ、小学生じゃん」


 何が面白かったのか、その男子生徒は笑った。


「うっさい、バカ、ハゲ、死ね! 見せたんだから帰れよ――」


 美鈴姉がその男子生徒に、バシバシと何度も蹴りを入れる。

 相当嫌いなんだろう。オレも好きになれそうなタイプではない。


「痛、痛いっ、つーか無いっしょ。オレの方が勝ってるし、こんなガキ――」


 そう言って、男子生徒は俺の胸倉を掴んだ。

 小学生相手に大人気ない――いや、子供か……。

 勝ち負けに拘っている時点で『負け組』だと――兄さんが言っていた。


 一応、スタンガンは取り出せるが――どうする?


「ちょ、止めろ! ヤクモに手ぇ出してんじゃねぇよ!」


 美鈴姉のパンチが飛んだ――というか、完全に目に入った。

 男子生徒は片目を抑え、悲鳴を上げる。

 ふん――と胸を反らし、勝ち誇る美鈴姉。


 だが、男子生徒の方は完全にキレたようだ。

 この野郎っ!――と美鈴姉に罵声を浴びせたので、俺は美鈴姉の前に立った――て何をしているんだろう?


 俺が庇ったところで意味が無いのは分かっているが、身体が勝手に動いてしまったのだから仕方が無い。

 殴られるのを覚悟した時だった。


「ふぎゃっ!」


 悲鳴を上げたのは、男子生徒の方だった。どうやら、保険が効いたようだ。


「おい、ボクの弟に汚い手で触るな!」


 兄さんだ。どうやら、鞄を投げたようだ。

 駆け寄って来て、その男子生徒の胸倉を掴む。


「げっ、月影……会長!」


 そう言えば、兄さんは生徒会の役員だったな。

 『生徒会長』というのは初耳だ。


「取り敢えず、目が腫れているぞ。病院へ行け! 明日、生徒会室に呼び出すから、小学生に手を上げた説明をして貰う……」


 正論で畳み掛ける。

 男子生徒は悔しそうに、この場から立ち去った。


「大丈夫か? ヤクモ……」


「兄さんこそ、ありがとう」


 意外だった。兄とは――仲がそんなに良くない――と思っていたので、本当に助けに来てくれるとは思っていなかった。


「鮎川……弟をあまり――」「兄さん、彼女を責めないであげて……」


 俺は兄さんの腕を掴み、言葉を制した。

 美鈴姉が傷つくと思ったからだ。

 兄さんは鞄を拾うと――まだ仕事がある――と言って学校へ戻って行った。


 どう見ても、帰宅の途中で引き返して来たように見えるのだが――そこには触れないでおこう。


 俺はそんな兄さんの後ろ姿を見詰める美鈴姉に、


「まだ、兄さんのことが――」「あ、いや、全然」


 小刻みに手を動かし、首を左右に振る動作で、あっさりと否定される。


(あれ、違ったのか?)


「ただ、アイツも――あんな表情かおするんだな――と思って……」


 どうやら学校では、兄さんは俺の知っている兄さんでは無いらしい。


「あ、そうだ。ヤクモ、ありがと♥」


 そう言って、美鈴姉は俺の頬にキスをすると、


「カッコ良かったよ――付き合おうか?」


 満面の笑みを浮かべた。


 ▼


 ▽


 ▼


 季節は冬。美鈴姉とは、今まで通りの関係が続いている。

 たまに呼び出されては、都合よく使われる日々を過ごしていた。


 ただ、秋のあの日の出来事以来、美鈴姉とは街で偶然会う確率が高くなり、やたらと抱き着いて来るようになった。


 そんな彼女も、来年は受験生だ。


「私たち、別れましょう」


「いや、付き合ってないけどね」


 雰囲気のいい喫茶店に呼び出したかと思えば、急に何を言い出すのやら――


「ノリが悪いなぁ」


 と美鈴姉。ストローを不満げに咥えた。

 俺はただ――その時が来たのだ――と受け入れていた。


「もう、会わないってことだね」


 明日はクリスマスだ。一応、準備していたプレゼントは既に渡してある。


「そ、もう遊びは終わり」


 と美鈴姉。明らかに嘘だ。何か理由がある。

 この一年で、俺は彼女の癖をだいたい把握していた。


 結論から言って、彼女は嘘を吐いている。

 だが、今の自分では頼りにならないのも事実だ。


 せめて同い年であれば、結果は違ったのだろうか?


「ねぇ、ヤクモ。私の実家、大きな病院だって話をしたよね」


「うん」


 勿論、覚えている。


「だから、来年は勉強しないと――」


「うん」


 まるで医者にでもなるような言い方だ。


「ありがと」


「うん」


 それはこっちの台詞でもある。

 この一年、彼女と一緒だったから楽しかった。


「大好き♥」


「だったら――」


 いや、止めよう。彼女を困らせたくはない。


「俺もだよ」


 こうして、俺と美鈴姉は別れた。


 ▼


 ▽


 ▼


「――そして、再会したのが高校に入ってからだ。今はそれなりに仲良くしている」



 ――【刑罰ペナルティ】<リア充爆発しろ>の解除に成功しました。



 ふぅー、何て恐ろしいスキルだ――今までで一番消耗した気がする。

 綿貫さんも、つい間が差して、こんな条件を設定してしまったのだろう。


 ――反省はしている。だが、後悔はしていない。


 彼女はそう答えた。

 どうやら、俺の初恋の話は、綿貫さんの創作のネタになるらしい――

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