第72話 グレン<神殿>:医務室


 ――バタンッ!


「レンレン! アイカっちが……」


 研究室に居ると、鹿野少女が勢い良く扉を開け、駆け込んできた。

 その表情から、唯事ただごとではないことが分かった。


 オレが急いで部屋に戻ると、愛果が苦しそうに、ベッドの上で横になっていた。

 慌てたオレは愛果を抱えたまま、医務室へと向かう。


(<マナ>不足――いや、この世界でそれは有り得ない……)


「お父さん……ゴメンなさい――」


「謝らなくていい!――それに……悪いのは一人にしたオレだ!」


「あーしも一緒だったのに……ゴメン――」


「うんん、一緒に居てくれて……ありがとう」


 愛果はそう言って、鹿野少女に微笑む。鹿野少女はその場に泣き崩れた。

 苦しそうにしている娘に対し、オレができるのは、手を握ることくらいだ。


「大丈夫ですよ」


 とは医務室に居た神官だ。

 落ち着いてください――とでも言うように、穏やかな口調で、


「多分、<瘴気>に当てられたのでしょう――」


 と告げる。そして、神官は何やら祝詞のようなモノを唱えた。

 神に祈りを捧げているのだろうか?


「――【ピュアリフィケーション】」


 次の瞬間、優しい光が愛果を包み込み、黒にも赤にも見える霧のようなモノが身体から抜け出ていった。


「愛果?」


 オレが名前を呼ぶと、


「――大丈夫」


 パチリと目を開ける。そして、平然とした態度で上半身を起こす。

 自分の身体にいったい何が起きたのか?――と不思議そうな表情を浮かべていた。


「うわぁーん、アイカっちぃ!」


 鹿野少女が愛果を抱き締める。


「苦しいよ……お姉ちゃん――」


 と愛果。オレはその様子に――良かった――と胸を撫で下ろした。

 オレも鹿野少女も、その神官にお礼を言うと、


「これが仕事ですから……しかし、この神殿で<瘴気>など――」


 やんわりとした表情が一瞬曇った。

 まぁ、今はいい。オレは愛果を抱きかかえる。すると――


「恥ずかしい……」


 そう言って、愛果はオレへしがみ付き、顔を隠した。

 今までに無い反応だ。

 これが変化なのか、成長なのかは分からないが、鹿野少女たちの影響だろう。


 その後、医務室を出て行こうしたオレたちだったが――突然、勢い良く扉が開き――危なく、ぶつかりそうになった。


「おっと! すまないっ、暁星君――その、大丈夫なのかい?」


 心配して、慌てて来てくれたのだろう。鷲宮所長だ。

 もしかしたら、邪魔になるといけないと思い、部屋の外で待機していたのかも知れない。


「はい、それより、こちらこそ心配をお掛けして申し訳ありません……」


 オレが頭を下げると、


「いいよ、いいよ。それより、愛果ちゃんが無事で本当に良かった」


 所長は愛果の様子を確認すると、安堵の溜息を吐く。

 色々と相談したいこともあったのだが、ここは医務室だ。


 それに、元気になったからといって、安心していい状況でも無い。

 原因が分からない以上、再発の可能性は常にある。


「では、部屋に戻ります――皆にも、後で謝らないと……」


「ああ、それは気にしなくていい。それより、引き留めてすまなかった――ただ、一つだけ聞いてもいいかな?」


「はい……」


「いや、原因は何だったのかな?――と思ってね。この世界で<マナ>不足とは考え難いだろ」


 研究者の血が騒ぐという訳か? 仮説を立て、真実へと至る。


 ――まぁ、今回は単に心配してくれているだけなのだろう。


「それが……<瘴気>に当てられたらしく――」


 <瘴気>については、所長なら理解しているだろう。案の上、


「なるほど、<マナ>を吸収しやすい体質だからね。<瘴気>も他人より、取り込みやすいのかも知れない。気を付けた方がいいね」


「そうですね。それでは――」


「ああ、ゆっくりしてくれ――しかし、<瘴気>など何処で……」


 神官と同じようなことを言って、首を傾げていた。

 だが、所長は直ぐに、


「そう言えば、彼ら――勇者――が魔物討伐の演習を行っていたね……」


 オレは足を止める。


「どういうことですか?」


「ん、そうだな――魔物という存在は<マナ>を必要以上に多く取り込み、制御に失敗した存在だ。今でこそ、魔物は人間以外の生き物すべてを指す言葉が、本来は――有り得ない進化をした生き物――の総称だ」


(――そういう認識だったのか⁉)


 ただ、それでは――愛果も魔物――ということになってしまう。


「当然、<マナ>と近い性質の<瘴気>も取り込んでしまう場合がる。だから、魔物を倒すと<瘴気>が発生するらしい。普段は神殿で<瘴気>など、発生しない筈だ。だから――誰かが持ち込んだ――と考えるのが妥当だろ?」


 確かに、碧さんや鹿野少女が愛果の面倒を見てくれている。

 他の勇者と関わることもあるだろう。


「まぁ、考えるのは後だ。今はゆっくり休んだ方がいい――て聞いているのかい?」


(どうやら、この世界も娘には優しくないようだ……)


「レンレン?」


 鹿野少女が心配そうな表情でオレを見詰める。


「いや、何でもない……」


「そう? だ、だったら、いいけど……」


「結愛っち、悪いが今日はこれで――」


「あ、うん……」


 この時は、そこで彼女たちと別れた。オレは一晩考えた後――


「所長、失礼します」


 鷲宮所長の部屋を訪ねた。


「どうしたのかね……暁星君――」


 いつもとオレの雰囲気が違うことを感じ取ったのか、所長は一度、目を大きく見開いた。


「所長、レベルを上げる方法を教えてください……」


「いったい何の――」


 オレは――隠し事は無駄だ――と所長を睨み付けた。

 所長は観念したのか、一度、首を横に振ると――


「分かった……教えよう――」


 この日を境に、オレの記憶は曖昧になっていった。

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