第68話 ジュリアス<学院>:学生寮

 目の前に天使がいた。

 いつもの金髪じゃなくても、男物の制服を着ていても、オレには分かる。


「やあ、久しぶりね。ジュリアス――」「エリス!」


 揺らめく明かりを頼りに、暗がりの中、オレは彼女の名前を呼び、起き上がろうとしたが――ジャラリ――うおっ、鎖が外れねぇ! エリスが目の前に居るのに、どうしてオレはベッドに括り付けられているんだ!


「無理しないの! それに怪我は大丈夫なの?」


 うおおお! エリス――何て優しいんだ!

 こんなオレのことを心配してくれるだなんて!


「大丈夫だ! もう治った。それより、何故エリスは男の格好を?」


「これは……ここに潜入するための変装よ」


 そうなのか! そこまでしてオレに会いに……。


(ヒャッハー! 嬉しいぜ!)


 どんな格好をしていようが、エリスが天使であることには変わりない!


 そんな彼女を今直ぐ抱き締めたいのに――クソッ、鎖が邪魔だ……。

 いや待て、落ち着けオレ――まだ慌てるような時間じゃない――ここは発想の転換だ。鎖が切れないなら、このベッドを破壊すればいい。


「ちょっと、下がっていてくれ……」「え? いいけど、何を――」


「どっせぇえ!」「きゃあっ⁉」


 破壊成功――ちょっと手がジンジンして、頭から出血しているが問題ない。

 オレは鎖をジャラジャラさせながら起き上がる。


「ちょ、ちょっと! 血が出てるけど大丈夫⁉」「え、ああ、これ? 問題ない」


 ちょっと、フラフラするだけだ。


「いやー、意外と簡単に壊れたぜ。アッハッハ」


「バカねぇ――鍵なら預かってるのに……」


 エリスがハンカチでオレの血を拭いてくれる。

 誰もが『狂犬』と呼び、恐れる俺に対し、彼女はいつも優しい。


 思い起こせば、この関係になるまで苦労の連続だった。

 オレの『ハウリングフォード家』とエリスの『フェザーブルク家』は仲が悪い。

 昔はそうでもなかったのだろうが――今は違う。


 何彼なにかに付け、どちらが国のためにある存在か、競い合っている。


 それだけ聞くと、特に問題があるようには思えないだろうが、幼少の頃より――『フェザーブルク家』の者に負けるな――と教育されていれば――性格も捻じ曲がってしまう――というモノだ。


 心の何処かで――そんなことは間違っている――と思っていたのだろう。

 だが、その思いを言葉や形にする術を知らない子供だったオレは、不満を抱えたまま、落ちこぼれといわれる様な人間になってしまった。


 貴族であるため、能力値だけは人並み以上に高い。だが、いつ何を仕出かすのか分からないような存在は、家族にとっても、周囲の人間にとっても、迷惑でしかなかった。


 家に居場所の無くなったオレは、よく屋敷を抜け出しては、街で同年代の子供たちと遊び回っていた。今思えば、貴族の子供がアホなことをしていたモノだ。

 従者にも相当、迷惑を掛けていたのだろう。


 屋敷の人間たちは、オレを『ハウリングフォード家』という名の枠に嵌めようと必死だ。その反動か、オレは自由に飢えていた。


 高い木に登り、『ハウリングフォード家』の屋敷を見下ろすのが日課になる。

 あの家は呪われているのだ――そう決めつけていた。


 ある日、オレは一人の少女と出会い、仲良くなる。

 身なりからして、彼女は貴族だろう。

 道に迷っていたその少女を、オレは案内してやった。


「アタシ、暫くこの街に滞在するから、貴方、アタシの友達になりなさい!」


 少女は変装していたオレを、この街の子供だと思ったのだろう。

 上から目線なのは気に入らないが、オレのことを『ハウリングフォード家』の人間だと知らない存在は貴重だった。


 ――そして、その少女がエリスである。


 彼女はどうも、身内には甘いらしい。

 一旦仲良くなると、バカなオレにでも分かるように話をし、色々なことを教えてくれた。一緒にお菓子も食べたし、剣術の稽古もした。


 そして、別れの時が来ると同時に、オレは彼女が『フェザーブルク家』の人間であることを知ったのだ。


 オレの聞いていた『フェザーブルク家』の人間像とエリスは、あまりにもかけ離れていた。オレは――あの家の教育方針は間違っている――と確信した。


 出立間際のことだった。エリスが居なくなったのは――


 オレは嫌な予感がした。焦るオレに街の仲間たちが、情報を教えてくれる。

 どうやら、エリスは誘拐されたようだ。


 別れの際に、オレへと渡す物があると街中を探し回っていたようだ。

 オレはピンと来た。彼女の従者に、どうにもいけ好かない男が居た。

 その勘は当たっていようで、オレは街の外にある小屋へと辿り着く。


 同時に、その男も居た。

 貴族の血は使い道があるらしく――子供でも高値で取引される――と聞かされてはいた。攫ったのは、それが理由だろう。


 街で見付けた――エリスが落とした――というハンカチには黒い何かの刺繍がしてあった。不器用な彼女なりに頑張った結果だろう。


 きっとこれは、エリスがオレに用意したプレゼントに違いない。

 だとすれば、この黒いのは犬の刺繍だろうか? <ブラックドッグ>――そんな二つ名がオレにはあった。


 眼光が鋭く、同年代と比べるとガタイも大きい。

 子供たちと一緒に歩くと、まるで『番犬』だと言われた。

 不思議と悪い気はしない。


 小屋を覗くと、猿轡さるぐつわを噛まされ、手足を縛られながらも、決して涙を見せず、大人相手に怯むことのない彼女の姿を見付けた。

 同時に、オレはすべてが――どうでもいい――と思えた。


 ――オレはエリス以外のすべてを破壊した。


 エリスは助かったが、結局、オレが――『ハウリングフォード家』の人間である――ということがバレてしまった。まぁ、エリス本人も薄々は感づいていたのだろう。


 オレは普通の子供にしては、身体能力が以上なほど高い。


「今まで、騙していたのね!」


「そうさ、『フェザーブルク家』ってのも、大したことはないんだな」


 大人たちの手前、どうすることもできなかった。

 ここでエリスと仲良くすれば、今度は彼女がオレのようになってしまう。


 ここで悪態を吐くことが、オレとエリスの二人を守る最善の手だ――その時のオレはそう考えていた。


 ――そのことに関して、オレは今も後悔はしていない。


 ただ唯一の誤算は、エリスを泣かせてしまったことだろう――


 誘拐されても、一人で気丈に振舞っていた彼女が、こんなオレの言葉だけで涙を流すなんて――オレはそのことだけが、どうしようもなく悔しくて情けなくて、死にたくなった。


 ――だから、オレは鍛えてきた。


 いつかエリスと再会し、このバカな運命を変えてやる――そう信じて……。

 例え『狂犬』と呼ばれ、恐れらようとも、エリスを守れる存在になるため、鍛えることしか、バカなオレには思い付かなかったのだ。


 結局、彼女もまた、同じことを考えていたようで強く――いや、美しくなっていた。だから、最初は互いに気付かなかった。

 学院への入学早々、行き違いがあり、オレは決闘でエリスに負けてしまう。


 ――そりゃ、初恋の女の子は特別な存在だろ?


 その後、保健室で目覚めたオレは再びエリスを目にする。

 どうやら、彼女はオレを介抱してくれたようだ。決闘で手を抜いた理由を知りたかったらしい。だからオレは、あの時のハンカチを差し出した。


 ――あの日、あの時、言えなかった本当の想いをオレは話す。


「エリス! オレはお前が好きだ!」「うん、知ってる」


 おっと、つい思い出に浸ってしまい、感極まり叫んでしまった。

 エリスは穏やかな表情をしている。

 少し会わない内に、彼女が大人になったような気がした。


 ――このまま、彼女はオレを置いて行ってしまうのではないか。


 そんな気さえする。しかし、エリスは、


「あの時も、そう言ってくれたよね」


 と微笑んでくれた。

 どうやら、エリスもオレと同じことを考えていたようだ。


 ――何だろう? この気持ち……。


 これが――通じ合っている――というヤツだろうか?

 エリスがオレの手足を拘束している鎖を外してくれている。


「ああ、エリス……」「ジュリアス……」


 オレたちは互いの手を取る。その時だ。


「オレたちなら――」「アタシたちなら――」


 ギギィ――誰かが扉を開けて入って来た。

 何とも、間の悪い……。

 オレはてっきり、ラヴィニスかと思ったのだが――


「――あー、そろそろいいか?」


「誰だ⁉」


 見たところ学生の格好をしているが、まったく見覚えのない奴だ。


「ちょっと⁉ いいところで邪魔しないでくれる!」


 とエリス。何だか親しそうだ。

 シグルーン以外に、そんな表情をするとは珍しい。


「残念ながら時間切れだ――それに、あまり大声を出さない方がいいと思うぞ」


 エリスは悔しそうに押し黙る。可愛い――いや、違う。

 問題は相手の男だ。見たところ貧弱で<魔法使い>のようだが、妙なプレッシャーを感じる。コイツはいったい?


「初めまして、キミがジュリアスだね。俺は『ツキカゲ・ヤクモ』――まずは謝っておくよ。ウチのサクラが、キミに怪我をさせてしまったようで――すまない」


 ――何を言っているんだ?


 同時に【ヒール】を掛けてくれた。

 この怪我は、自分でやった怪我なんだが――まぁいいか。


「分からないって顔だな――『冒険者ギルド』でキミがエリスの兄・ゲオルクの後をこっそり付けていた時の話だ。キミはゲオルクにいいところを見せ、エリスとの仲を取り持って貰おう――と考えていたんだろ?」


 ――何故それを?


「ちょっと、貴方、そんなことしようとしていたの?」


 エリスが驚く。確かに、オレはエリスの兄・ゲオルクが魔物退治に行くと知り、ピンチに陥ったところに颯爽と現れ、彼を助けることで感謝されると同時に――エリスとの仲を取り持って貰おう――という完璧な作戦を考えていた。


「その『冒険者ギルド』でキミをボコボコにしたのが――俺の連れ――という訳だ。すまない」


「あの化け物の――そうか……まぁ、次は負けねぇよ」


 油断していたとはいえ、このオレが素手の少女にぶっ飛ばされるとは――相当の実力者なのだろう。


「そうか、なら良かった。それで本題なんだけど――」「何だ?」


 これはオレの勘だが、コイツと話してはいけないような気がする。

 どうにもペースが乱される。巧みな話術――という感じはしない。


 ――何か特殊なスキルを持っているのだろうか?


「エリスを賭けて、俺と決闘してくれ!」


「はぁ⁉ 何言って――」「いいだろう」


 エリスの言葉を遮り、オレは即答する。


「ちょっと、ジュリアス! 直ぐに返事をしないで……彼は――」


「エリス、部外者は黙っていてくれ――」


 とツキカゲ。


「いや、メチャクチャ当事者なんですけど! アタシを賭けて――て話なのよね!」


 彼の言葉にエリスは反論する。

 だが、ツキカゲは『何処吹く風』といった感じで、相手にしていない。

 恐らく、狙いはエリスでは無いのだろう。だから、オレは率直に聞く。


「つまり、お前に勝てば、エリスを好きにしていいんだな」「ああ」


「ああ――て……。それにジュリアスも勝手に――」


 ――悪いな、エリス。オレも男だ。こういう勝負は嫌いじゃない。


「まったく、男の人ってどうして人の話を――」「いいじゃないですか……」


 エリスの言葉を遮ったのはラヴィニスだ。

 神出鬼没のオレのメイド。いや、メイドの格好をした何かだ。

 エリスは彼女のことが苦手らしい。


「二人の男性が自分を賭けて勝負――やめて、私のために争わないで――と内心喜んでいるエリス様」


「やっぱりアタシ、貴女のこと、好きにはなれないわ……」


 とエリス。悪いな――ソイツには何を言っても無駄なんだ。


「じゃあ、明日、アンファングサントル神殿で」「分かった」


 オレはツキカゲと約束する。


「明日⁉ 急ね――それにジュリアス。そんな簡単に返事をしないで! まったく遊ぶ約束みたいに……」


 心配してくれるエリスには悪いが、今日の彼女は何だが見ていて面白い。

 そしてこれが――ツキカゲ・ヤクモ――との運命の出会いだ。

 この時のオレたちは――まさかあんな結末になるとは、予想すらしていなかった。


「だから、人の話を聞きなさい!」


 エリスの声が地下に響いた。

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