第16話 ヤクモ<異世界>:神子(2)

 彼女を『美しい人』と言ったのは嘘ではない。腰まで届きそうな長い銀色の髪に、光沢を帯びた灰色の優しげな瞳。肌は色白で線は細いが、穏やかに物腰は人を惹き付け、清楚な雰囲気と同時に艶やかな色気がある。


 俺とシグルーンの直ぐ近くには大きな木があり、丁度、木陰になっていた。差し込む木漏れ日がキラキラと輝いている。

 地面は盛り上がっているので、丘といってもいいだろう。


 更にその頭上には、光る球体が浮いていた。

 白く輝くそれは、小さいが<スフィア>に良く似ている。

 やはり、<スフィア>は召喚に関係あったようだ。


(魂を転送する装置の役割も果たすのだろうか?)


 まだまだ、未知の機能を秘めていそうだ。


 周囲を見渡すと草が伸び、荒れ放題になっていた。

 正直、とても聖域とは思えない。

 折角の庭園とやらも、人の手が行き届いていなければ、唯の草叢でしかない。


「アルラシオンということは、君は――この国のお姫様――ということで良いのかな?」


 淡い水色の――ローブ・モンタントに似ている――礼装に身を包んだ彼女は、どう見ても修道女だ。ただし、帽子は被っていない。長い髪をそのままに、宝石の付いた髪飾りを付けていた。<魔力>を高めるアイテムなのかも知れない。


 俺の言葉に、シグルーンは首を横に振った。


「わたくしには、そう名乗る権限はありません……」


 シグルーンは静かに語る。


「確かに、わたくしはこの国の王の娘です……ですが――<神子>である以上、その役目が何よりも優先されます」


 この国では、女性は王位を継げない――よって、彼女の台詞に矛盾は無く、納得できた。だが、どうにも本音は別にあるように思える。


「ですから、勇者様を召喚することができて、わたくしの存在理由が証明されました……」


 シグルーンの目から涙が零れていた。

 こういう場合は、どうすればいいのだろうか?


「すみません――」


 シグルーンはハンカチで涙を拭くと、


「でも、ここに勇者様が居るという事実こそ、わたくしが生きてきた理由なのです」


 敢えて、自分に言い聞かせるような台詞を吐く。

 彼女から漂う悲壮感に、俺は――


「すべてはこの日のために――勇者様?」


 彼女を抱き締めていた。杖があるため、左手だけだが、背中に手を回す。

 勿論、こんなことをするつもりも無かったし、慣れている訳でもない。

 ぎこちなかったかも知れない。だが、そうすべきだと身体が反応していた。


「ありがとう。少なくとも、俺には……君がとても綺麗で優しい人だと思えた。それだけで、俺は救われた気持ちになる。できることなら、これからも力を貸して欲しい……」


 抱き締めてわかったが、彼女は思っていたよりも、ずっと小柄で、か細い少女だった。布を通して感じるのは、温かで柔らな感触――だが、微かに震えている。

 俺は先程まで腕の中に在ったサクラのことを思い出した。


(そうだ――)


 今、ここで俺が上手く立ち回らなければ、アイツを助けられない。

 まずは、シグルーンから信頼を得る必要がある。


「はい、勇者様……そう言って頂けるだけで、わたくしは――わた、くしは――う、うぅっ」


 彼女の中で、思いを堰き止めていた何かが緩んだのだろう。

 涙を流し、声を殺して、小刻みに震える。

 俺は腕の中で、シグルーンが落ち着くのを待った。


 その間、周囲を観察していたのだが、白い壁に囲まれていることに気が付く。

 疑っていた訳ではないが、ここが<地下庭園>と言っていたのは本当のようだ。

 出口はここからではわからない。


 かつては、手入れのされていた時期もあったのだろう。

 所々に雑草が生い茂り、花壇や井戸は崩れ、円卓や椅子らしきモノは朽ち果てようといていた。それでも僅かだが、人が手入れをしたような形跡がある。


(素人だろうか?)


 乱雑だが、草が刈られていた。

 恐らく、人が歩く場所だけでも――と道を作ろうとしたのだろう。


(やれやれ、これは探索のし甲斐がありそうだな……)


 少なくとも聖域と呼ばれるような場所だ。

 後々、何かのイベントが発生する可能性が高い。

 そろそろ落ち着いた頃だろうか――俺はシグルーンから身体を放した。


「あっ――」


 少し名残惜しそうな雰囲気の彼女。俺の服を掴んでいた手をゆっくりと離すと、


「すみません……少し、取り乱してしまいました」


 恥ずかしそうに俯いた。どうにも、彼女は<勇者>という存在に、絶対的な信頼と多大な期待を寄せているらしい。そんな彼女に対し、


「気にするな……<勇者>というのは、人を助ける存在なんだろ?」


 自分で言っておいて呆れてしまうが、ここはそういう世界なのだろう。

 下手に出るの逆効果だ。<勇者>として、毅然と振舞う必要がある。


「でも、君みたいに綺麗な女の子の涙を拭えたのなら――それだけでも、この世界に召喚された意味はあるよ」


 演劇の舞台を手伝っていた経験からだろうか、良くもまあ、台詞が出るモノだ。

 役に立たないと思っていたことでも、意外に積み重なっているモノだ――と今更ながら感心してしまう。


「先程から、勇者様は可笑しなことばかり言います」


 シグルーンは笑った。


(やはり、気取り過ぎていたのだろうか?)


「わたくしの――この髪の色が気にならないのですか?」


 何だろう? 怒っている訳ではない。

 寧ろ、そう尋ねた彼女は、何かに怯えているように見えた。

 どうにも、話に食い違いがあるようだ。髪の色が何だというのだろう?


 異世界転移の際に植え付けられた知識から推測するに、彼女の綺麗な銀色の髪は<魔力>が高い人間であることの証だ。


 <魔力>には適正があり、相性のいい属性があったり、生まれつき<魔力>が高い人間の場合は、髪や瞳の色に特殊な変化が生じる。


 綺麗な銀色の髪――でも、見方によっては別の色にも見える。

 だが、彼女自身は、この髪の色が好きではないようだ。


 もしかして、先程、落ち込んだ表情になったのは――銀色の髪の少女を『美しい』と言ったことを周囲に言いふらされると困るので、口外しないで欲しい――という意味に取ったのだろうか。だとしたら、悪いことをした。


「触っても……いいかな?」


「き、気味が悪くないのですか?」


 戸惑い、一歩退く彼女に詰め寄ると、軽く髪に触れた。

 嫌がっているというよりは、怯えているといった方が正しいだろう。

 俺にではなく――髪に触れた後に出る言葉に――だ。


(いったい――彼女は今まで、誰に何を言われ、過ごしてきたのだろうか?)


 微かな花の香。先程も思ったが、どうやら、最初に鼻孔を擽ったのは、彼女の香水の匂いだったようだ。俺はその髪に、軽く口づけをした――いや、正確には鼻の頭を付ける仕草をしただけだ。


「はう! ゆ、勇者様……何を!?」


 何が起こったのかわからない――といった表情のシグルーン。

 ただ、顔を真っ赤にして戸惑っている。嫌がっている訳ではなさそうだ。


「勘違いしないでくれ……誰にでもする訳じゃない。ただ、最初に言った通り、君は美しい……そう思っているだけだ」


 遣り過ぎたかな――と自分でも思うが、こういうことは思い切りやった方がいい。

 理由はわからないが、銀色の髪というのは、人々から忌み嫌われる存在のようだ。

 それを受け入れることで、彼女から信頼を得よう。


 取り敢えず――もう一押ししてみるか――と思い、片膝を突き、彼女の手を取った時だった。


「姫様っ、その男から離れてください!」


 別の少女の声が響いた。

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