第9話 ヤクモ<現代>:オベリパーク(2)
「……」
予想に反し、母親の芸名を言い当てられ、俺は驚き、口を噤んでしまった。
返答が無いことに、鷲宮さんは不安になったのか――あら、間違っていたのかしら?――と困惑した表情を浮かべた。俺は慌てて、
「いや、合っている――というか、実は……皆、知っていたりするのかな?」
皆――というのはクラスメイトのことだ。
恐る恐る確認する俺の言葉に、鷲宮さんはゆっくりと顔を横に振った。
「うんん、何となく……かな?」
何となく……ねぇ――俺の母親はアイドルから転身して女優になった人物だ。
昔は時の人として騒がれていた時期もあったようだが、今となっては、そこまで知名度は高くない。
とは言え、一部には熱狂的なファンもまだ残っているらしく、親や親戚がファンであった場合、知っていても不思議ではない。
「実は母親の件なんだけど……一度、小学生の頃に周りにバレて、軽い騒ぎになったことがあるんだ。できれば、内緒の方向でお願いしてもいいかな?」
すると鷲宮さんは人差し指を顎の辺りに置き、何やら考えた後、結論を出したのか、俺の前方に先回りして向かい合った。俺は当然、彼女の意図が読み切れず、歩みを止める。
すると、それが合図であったかのように彼女は自分の腰の辺りに手を置き、呼吸を整えた。
(居合の構え?)
瞬間、抜刀の動作をする。ヒュンッ――その流れるような動きに見入ってしまい、俺は一歩退く反応が数秒遅れる。傍から見ていたのなら、さぞ滑稽な動きに映ったことだろう。
空気が凛と引き締まったような気がした。
僅かな間だが、息をするのも忘れてしまう――
「拙者、侍でござる。にんにん」
彼女なりのボケだろうか?
「それじゃ、忍者だよ」
と突っ込んでしまった。
「私、剣術を少々嗜んでいて……内緒ですよ」
と唇に人差し指を真っ直ぐ立てて微笑んだ。
お互いに――秘密の交換――ということだろう。だがそれよりも――
(この可愛い生き物を今すぐ抱き締めたい)
俺が内なる衝動を必死に押さえつけ、耐えていると、鷲宮さんはベンチを見付けたらしく――座りましょう――と促した。俺は念のため、レジャーシートを取り出す。
地下ということもあり、ベンチが雨風で汚れている心配はなさそうだったが、ここは実験都市だ。人工的に雨を降らせることもあれば、本物の土が用意されている場所もある。取り敢えず、適当なサイズに折って座れば、お互い、服を汚すことはない。
さて、それよりも問題なのは――何の話しをしたら良いのか――だ。
文字通り、腰を落ち着けたのは良いが、会話が続かない。
かといって、あまり喋り過ぎるのも問題だろう。
面白い男性は人気のようだが、昔から喋り過ぎる男は嫌われる傾向にある。
ベンチからは、移動販売の車に並ぶサクラとアイカちゃんの様子も窺えた。
サクラのことだ、合図をしなくても、直ぐにこちらに気付くだろう。
「体調の方は、もう大丈夫なのかい?」
俺は当たり障りの無い言葉を選び、問い掛けた。
「……はい、心配を掛けてごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だ。考えも無しに、あんな話題を選んでしまって……」
「いいえ――」
鷲宮さんは静かに、首を左右に振る。
「月影くんは悪くないの……私はお父様に言われて仕方なく――」
そう言い掛けて、鷲宮さんは口を噤み、同時に俯く。
何か隠していることは理解していたが、ここで彼女を問い詰める気にもなれない。
「無理はしなくてもいいよ」
その言葉で、彼女は再び顔を上げた。
「ただ、俺とサクラにできることがあれば、力になるから言って欲しい……」
ここでサクラの名前を出すところが、俺の狡いところだろう。
まぁ、俺一人がいくら力になると言ったところで、実力も信頼も伴っていないのは明らかだ。サクラの名前を出すことで、鷲宮さんの気も変わるかも知れない。
「……ありがとう」
彼女は呟いた後、
「だったら、サクラちゃんと一緒に逃げて――うんん、サクラちゃんと一緒に居てあげて欲しいかな……」
何だろう? 言葉通りに受け取るなら、友達の恋を応援するようにも聞こえるが、何処か悲壮感が漂っている。
(それに『逃げて』とはどういう意味だろうか?)
いや、俺は既に気が付いていた。
そして、それを彼女に確認すべきだったのだろう。
手遅れになる前に――
「鷲宮さん、君は――」
俺が彼女と向かい合うべく、ベンチに手を突き、身体を傾けた時だった。
「あー、すまない……この辺でツインテールの女の子を見なかっただろうか?」
白衣に身を包んだ男性に声を掛けられる。
首にぶら下がっている社員証ケースには『暁星紅蓮』とあった。
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