第92話 グレン<地下迷宮>:願い


 長い夢を見ていたようだ。


「終わったのかい……?」


 目の前の彼に――オレは問う。


「いえ、何も――」


 月影青年――いや、ヤクモが答える。

 綺麗な顔をしている――と思った。やはり、前髪は伸ばさない方がいいだろう。


 空が見える。周囲は崩れた瓦礫の山。状況が飲み込めない。

 起き上がろうとしたが、身体が動かなかった。


 どうやら、オレは失敗したようだ。そんな中、ヤクモが告げる。


「選択肢を上げますよ」


 一つ目は――アイカちゃんをこのまま放置して、成り行きに任せる。


 二つ目は――魔物と合成して、この世界に適応させる。


 三つ目は――魔人となった貴方と合成して、魔人へと生まれ変わらせる。


(愚問だな……)


「キミはもう決めているのだろう……それを――選択肢がある――とは言わないよ」


 ヤクモは――参ったな――とでも言うように、深い溜息を吐いた。


「本当のことを言うと、アイカちゃんは既に助かっています。いえ――正直、瘴気の影響を強く受けていたため、危ないところでした……」


 仕方なく――とヤクモ。


「俺の従魔であるスライムと合成させました。魔法生物ですので、瘴気や毒には強い筈です」


 それはメリットだろう。デメリットも教えて欲しい。

 オレは口に出さなかったが、ヤクモは最初から話すつもりだったようだ。


「ただし、この世界の一部となってしまったため、もう地球へは戻れません――ですが、この方が良かったのかも知れない。彼女の場合、地球に戻っても、病気で苦しむだけでしょうから……」


「そうか……」


 予想はしていた。くいうオレも、愛果を助ける方法は――それしかない――と思っていた。

 だから、オレは所長に――


(そうか、その結果がこれか――)


「怒らないんですか? 娘を魔物に変えてしまった俺に対して――」


 調子が狂う――といったところだろう。

 生憎、先に娘を魔物に変えてしまったのは、オレの方だ……。

 だが、愛果を守って貰うために、彼にその責任を押し付けるとしよう。


 ――大人は狡い生き物だ。


「どんな形であれ、娘が娘らしく生きられるのが一番いい――そしてキミは、怒りの矛先を自分へ誘導しようとしている」


 ――そうだな、ヤクモの性格から考えると、


「犬丸さんに懇願されては、断れなかったのだろう?」


 参りました――と言う代わりに、彼は溜息を吐いた。


「お見通しですね――まぁ、アイカちゃんにも確認しました」


 変なところで正直なのが、彼を憎めない理由だろう。

 良くも悪くも、彼が優先しているのは『調和』のようだ。

 だから彼は『善』と『悪』を使い分ける。


 ヤクモは続ける。


足手纏あしでまといはもう嫌だ――と……一人でも生きられるように強くなりたい――と……あんな子供が、そんな台詞を言ってはいけない。俺はそう思いました……」


 そこは彼が気に病むところではない。


「……そう言わせてしまったのは、大人であるオレの――いや、父親であるオレの責任だ」


「言わないで――とお願いされましたが、やはり、お話します――自分がお兄ちゃんたちの力になるから、お父さんを助けて――と」


「情けないな……こんな結果になるなんて――」


 本当に情けない。


「仕方ありません。誰も悪くはないのだから……」


 そんなことはない――誰しもが『悪』だった。オレはそう思う。

 そしてこの考え方が、オレとヤクモの違いなのだろう。


 ――だから、オレは彼に負けたのだ。


 愛果以外を『悪』と考えたオレに対し、彼はこのオレをも――助けよう――としている。


 ――これでは勝てる筈がない。


 きっとそんな彼だから、皆が力を貸すのだろう。


 ――さて、そろそろ本題に入ろう。意識が持ちそうに無い。


「で、オレは死ぬのかな?」


「アイカちゃんとの約束だから、貴方を生かします。でも――」


「ああ、オレは犯罪者だ。この国で勇者と共に居ることはできない。当然――娘の傍にも――だ」


 彼は何処どこまでも、お見通しのようだ。

 少し怖くもあるが、楽しみでもある。


「申し訳ありません――貴方を助ける方法は、魔物との合成しか、手段はありません。しかし、必ずしも成功するとは――」


 最後まで言わなくても分かっている。

 この身体はもうダメだろう。既に魔物に支配されつつある。

 意識があるだけでも僥倖ぎょうこうだ。


「分かっているさ……オレの中に居る魔物――魔王の眷属――と一つになる。ただ、コイツにも自我がある。オレの人格がどうなってしまうのか分からない……また、成功したとしても――魔物の姿では人間の街で暮らすことはできないだろう……」


「すみません」


「謝らないでくれ……オレはキミに――いや、キミたちに感謝している。大事なモノに気付かせてくれた……」


「大事なモノ?」


「――願いだ」


「願い?」


「死んだ妻の願い……愛果の願い――それがオレには見えなくなっていた」


「……」


 そう、不安な顔をしないでくれ。


「大丈夫……キミたちには見えているさ――さぁ、もう持ちそうにない。そろそろ頼むよ……」


「分かりました」


(願わくば、彼らと娘の行く末が――少しでも明るい未来へと繋がっていますように……)


 何故か、最後に鹿野少女の笑顔が浮かんだ。

 そういえば、今度、料理を作って貰う約束をしていたな――

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