第50話 グレン<神殿>:宿舎
何やら、中央にある神殿の方が騒がしい。特に何が――という訳ではない。
オレは窓の外を見ていた娘・愛果に問い掛けた。
「何かあったのかい?」
「お姉ちゃんが――勝った……」
それは二日目の朝の出来事だった。
オレこと『暁星紅蓮』の元に、月影青年と犬丸少女が訪ねてきた。
娘を連れて来てくれたのだが――新しく覚えた魔法を試したい――と言い出した。
詳しく聞くと――愛果が話せるようになる――と言うので、オレは了承した。
愛果は少し驚いたように目を丸くする。珍しい反応だ。
月影青年は愛果に許可を取ると、跪き、喉へと手を当てた。
そして――【ヒール】【クリエイト】――と呟く。
事前の説明では――<力>を与える魔法――とのことだった。この世界に来た時、既に娘の身体に埋め込まれていた<人工精霊>は無くなっていた。
その身体には、痛々しい傷跡だけが残っている。
どうやら、月影青年は、同時にそれも治療しているようだ。
(魔法の並列起動か――興味深い……いや、そうではない)
どうにも、研究者の視点で見てしまう。愛果は傷を治して貰うのと同時に、失われていた――言葉を話す――という<力>を与えられたようだ。
それ以降、少しずつだが、愛果は言葉を話すようになった。素直に嬉しいことなのだが、相変わらず、娘とのコミュニケーションには手を焼いていた。
今も、愛果の言った言葉の意味を理解できずにいる。もう少し、詳しく聞くべきかと思案していると――コンコン――と扉を叩く音がした。
「お客さんみたいだ……」
オレは愛果にそう告げると――はい――と返事をして扉に向かった。
恐らく、鷲宮所長だろう。所長といえば、あの時、ジオフロントで会っていた少女が実の娘さんだったとは――
それとなく、教えておいて欲しいモノだ。余計なことまで話してしまった。
本人は――修学旅行先に親がいたら嫌だろう――と言っていた。
それは理解できるのだが……。
ドアを開けると――
「やぁ、失礼するよ――暁星君……」
予想通り、鷲宮所長だった。
人の良さそうな笑みを湛えているが、中々の切れ者である。
最近は、憑き物が取れたように丸くなった気がする。
こちらの世界に来た日に、何かあったのだろうか?
「愛果ちゃんも、元気そうだね」
「お陰様で――」
オレは軽くお辞儀をする。所長が居なければ、愛果は治療を受けられず、寿命は長く無かっただろう。月影青年といい、オレは助けられてばかりだ。
この恩をどう返せばいいのだろうか……。
いや、この二人のことだ。愛果が健やかに育てば、それでいいと言うだろう。
所長は愛果を一瞥した後、
「彼女はこのまま、この世界で暮らした方が良さそうだね――」
と言った。しかし、慌てて両手を手前に持って来ると、遮るポーズを取る。
「いや、忘れてくれ――それは娘や、あの少年少女たちに死んでくれ――と言っているようなモノだ……」
月影青年や犬丸少女たち勇者が魔王に勝てば、召喚に巻き込まれたオレたちは、自動的に元の世界へと送り返される仕組みらしい。
この世界の人間が言うには、そういう契約だそうだ。
逆に彼らが魔王に敗れ、全滅した場合は、契約が果たされず、この世界に留まることになる。
――つまり、この世界に留まりたければ、彼らの敗北を祈る他ない。
確かに、その通りだ。考えなかった訳ではない。
勇者として召喚された彼らも、魔王を倒せば、元の世界に帰ることができる。
その時は、オレたちも一緒だ。
更に勇者は――この地に残るのか、元の世界に帰るのか――を選択することができるようだ。しかし、異物であるオレたちには、その権限がない。愛果を<マナ>が溢れるこの世界に留めて置くためには、彼らに魔王を殺させない必要がある。
そのためには――
いや、バカなことを考えるのは止めよう……。
鷲宮所長は、
「で、今日来た理由は、我々も動こうと思ってね――(ニヤリ)」
不敵に笑う。嫌な予感がする。
彼は俗に言う天才肌の人間だ。思い付きだけで、意外な成果を齎すこともある。
「動く……とは?」
「勿論、研究だよ。我々は研究者だ――共に、この世界の秘密を解明しようじゃないか⁉」
そう言って、鷲宮所長はオレの肩をポンと叩いた。
楽しそうだ――いい年をしたおっさんが、まるで少年のように見える。
勿論、オレは愛果との時間を大切にしたかったが、元の世界に戻ることを考えると、ここで研究を続けた方がいいだろう。
「わかりました……手を貸します」「ありがとう」
オレは差し出された所長の手を取った。
因みに、愛果が口にした言葉の意味を理解したのは、翌日、愛果の世話を頼もうと、犬丸少女を訪ねた時だった。月影青年と犬丸少女が、この神殿から出て行ったことを知った。
本来なら、勝手なことをした――と文句を言われる立場だろうが、クラスメイトたちは落ち着いた様子だった。
彼のことだから、何か考えがあるのだろう――と何処か寛容な空気を感じる。
信頼されている――というよりは――また、自分から厄介ごとを抱え込んでいる――と思われているようだ。
やはり彼は、不思議な青年だ。
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