世界の果てで永遠を唄う

 結婚式当日は天候に恵まれ、雲ひとつ無い青空が広がりました。


 会場はハルカの体調を考慮して、自宅で粛々と行なわれることになりました。この二日間でハルカの様態はさらに悪化して、ついには自分の足で歩けなくなりました。今はオレリアが『よろず屋』から貸してくれた車椅子に乗って生活しています。


「きれいよ、ハルちゃん」


 ハルカのお母さんが、純白のドレスに身を包んだ娘と対面します。


「えへへ、車いすなんて……おばあちゃんになるまで使わないって……思ってたのに。なんだか、格好がつかないな」


 か細い声で話すハルカを、お母さんは穏やかな表情で見つめます。本当の結婚式ではないにしろ、手塩にかけて育てた子どもがお嫁に行くときの母親の気持ちは、どれだけ幸福と寂しさに包まれていることでしょう。


 ハルカは病気のことをお母さんに伝えていませんが、きっとお母さんは気付いているのです。娘の命の灯が、もう長くは続かないということを。


「ねぇ……お母さん」


 車椅子の花嫁がおもむろに口を開けます。


「私……、お母さんとお父さんの子に生まれて……よかったよ」

「どうしたの急に」


 ハルカは窓の外に目を遣って、遠い空を見つめます。


 今日のココリク街はこんなにも晴れ渡っているのに、この空が続く向こうでは今なお醜い争いが行われています。

 人類が戦争の銃口を下ろすことはついにありませんでした。此度の戦争で私達は何を得たのでしょう。その答えを知る機会は永遠に失われたのです。


「お母さん。お父さんの死は……無駄じゃ、なかった……よね? お父さん、国のために……がんばった、よね……」


 ハルカのお母さんは目線を合わせるように屈んで、ハルカの手を握ります。


「もちろんよ。あの人は最後まで国のために頑張った。最後までハルちゃんのことを考えていてくれた。お母さんは……お父さんさんと結ばれて本当に幸せだったわよ」


 ハルカと同じ若葉色の瞳には、きっと夫婦二人で過ごした若かりし頃の思い出が蘇っていることでしょう。ハルカが生まれて、シエルという新しい家族が増えて。自分たちがお父さんとお母さんの幸せの一部になることができたのなら、これ以上の幸せはないと、ハルカは思うのでした。


「ハルちゃんにはもっと豊かな生活を送らせてあげたかった。窮屈な思いさせて、ごめんね、ハルちゃん」

「ううん……そんなこと、ないよ」


 ハルカは母の手を握り返します。


「子どもは親を選べない……って言うけど、私は違うと思う。私は、望んでお母さんとお父さんの子どもになったと思う。私は幸せだったよ。この幸せは、お母さんが私のお母さんじゃなかったら、きっと無かったから。だから――」


 お母さんは大粒の涙を流します。


「だから……私を生んでくれて、ありがとう。私のお母さんになってくれて……ありがとう」


 お母さんは両手で顔を覆いながら泣きます。今まで大きく見えていた親の背中は、今はこんなにも小さく映ります。ずっと走り続けてきた日々が報われた瞬間でした。そんな母親の姿を、ハルカは優しい眼差しで見つめるのでした。



 お母さんが落ち着ついた頃、部屋の扉が開いてオレリアが顔をのぞかせます。


「ハルカ~……シエルの準備ができ……って、お母様!? 感極まるの早すぎないですか!?」


 目元をハンカチで拭うお母さんに、オレリアが言います。


「オレリアさん、車いす……ありがとう」

「いいのいいの。それより、新婦の準備が整ったわよ」


 そこまで言って、オレリアはひとつの疑問が浮上し、天井を仰ぎます。


「この場合って、どっちが新郎で、どっちが新婦なのかしら??」

「どっちも女の子ですからね」

「まぁ、どっちも花嫁でいっか!」


 そんなやり取りをしていると、部屋の入口から別の明るい声が届きました。


「やっほーハルカ!」

「ミラ……! 来てくれてありがとう」


「お祝い持ってきたよん。わあ! 素敵な衣装だね! いいな~あたしもいつか着てみたいな~」

「ミラは、いつものエプロンと三角巾姿の方が似合うよ」


「む? それは、あたしにはウエディングドレスが似合わないってことかぁ、ハルカ!?」

「ミラはパン屋さんの制服がいちばんミラらしくて、素敵だよってこと」

「そ、そんなの分かってるし……。なんたって世界のミラ・ベーカリーの看板娘だし……」


 ミラは赤毛を弄りながら目を逸します。照れ隠しをするように、持ってきたお菓子をテーブルに置いてみんなに勧めました。ハルカのお母さんとは初対面ですが、オレリアはミラのパンの虜になったようで、あれからも足繁く通っているみたいです。


 そんな和気あいあいとした様子を、部屋の入口から覗いている存在にハルカは気付きました。


「シエル……」


 名前を呼ばれて、少女は肩をピクッとさせました。


「何してんのシエル。はやくこっちにおいで」

「う、うん……」


 もじもじしていたシエルでしたが、オレリアに促されて部屋の中に入ってきます。


 純白のドレスを纏った花嫁が姿を現します。ドレスとはまた種類の違う美しい白髪を揺らし、生来の碧い瞳を添えて。


「シエルもめっちゃ可愛い! あたしもこんなお嫁さん欲しいよぉ!」

「素敵よ、シエルちゃん。サイズもぴったりね」


 ミラとお母さんが手を合わせて目を輝かせます。ハルカはというと、シエルが目の前まで来ても未だ言葉を紡げません。シエルも同じ気持ちだったらしく、胸元で手を弄りながら頬に朱を浮かべています。


「ほら、ハルカ。何か言ってあげないと」

「う、うん……」


 人は、本当に美しいものを見たら言葉を失ってしまうと、ハルカは実感しました。オレリアに促されて、車椅子に座ったままシエルを見上げます。


「きれいだよ……シエル」


 翼を失った天使は、翼が生えていた時以上に神々しく見えました。


 シエルはやっとハルカを直視すると、今日の天気のような澄み渡った笑顔になりました。飾りのない言葉ですが、シエルにとっては十分なのです。それで、すべてが伝わるのです。


「ハルカも……きれいだよ、すごく」


 若葉色の瞳と碧色の瞳が交錯します。時さえ奪われたような感覚に陥りました。


「あたしのパン食べるより、胸焼けしちゃいそうだよ」


 ミラがそうぼやいて、結婚式は始まりました。



 結婚式はリビングを使って、静かに執り行われました。ハルカは改めてお母さんとミラに感謝の言葉を述べて、それに倣ってシエルもこの一年を振り返ります。


 笑って、泣いて、想いを伝え合って……時間はあっという間に過ぎました。


 そして、式も終わりが見えた頃――。


「ふふ、オレリアさんが牧師さん役なんだね」


 対面するハルカとシエルから一歩離れた位置にオレリアが立ち会います。金糸の髪を結いだ、この世のものではない麗しい容姿は、まさに神の言葉の代弁者に相応しい。


「オレリアさん……天使みたい」

「あのね。ハルカはもう忘れてるかもしれないけど、本当に天使だからね?」


 ミラとお母さんに聞こえないようにオレリアが釘を刺します。


「ふふ、冗談です」

「まったくもう」


 二人の会話を聞いて、シエルも顔を綻ばせます。そして、車椅子に乗るハルカとシエルが見つめ合う中、オレリアが神の言葉を紡ぎます。


「新郎……じゃなかった! 新婦ハルカ」

「はい」

「あなたは、ここにいるシエルを、病める時も、健やかなる時も、貧しき時も、富める時も、大切な存在として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「はい……誓います」

「新婦シエル」

「はい!」

「あなたは、ここにいるハルカを、死が二人を分かつ日まで、未来の希望が芽吹くと信じ、かけがえのない存在として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

「誓います!」


 そして、二人は唇を重ねました。


 シエルが一人になっても、この日のことを思い出せるように。

 世界が終わっても、この日のことを決して忘れないように。深く……刻むように。


 世界の果てで、永遠の愛が唄われたのでした。



「本当に、帰っちゃうんだね……」

「結婚式を見届けたら帰るっていう話だったし。それに、本当ならもっと早く行かなきゃいけなかったしね」


 結婚式を終えた夜、天界に帰るオレリアを、ハルカとシエルは見送ります。


「ありがとう、ハルカ」

「いいえ……お礼を言わなきゃいけないのは、私の方です。いろいろ、ありがとうございました、オレリアさん」


 ハルカからの言葉を受け取ると、次にオレリアはシエルを見ました。


「シエル……」


 オレリアは今にも壊れてしまいそうなガラス細工の瞳でシエルを見つめていました。


「またね、シエル」

「うん。またね、オレリア」


 二人の関係にこれ以上の言葉は不要だったのでしょう。短い挨拶だけを交わしました。


 刹那、一陣の風が吹き抜けます。次にハルカが目を開けたときには、もうオレリアの姿はありませんでした。


「……行っちゃったね」

「うん」


 幾億の星が瞬く夜。金糸の天使は遥か彼方へと帰っていきました。

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