最後のわがまま

「ねえハルカ……やっぱり帰ろ?」

「やだ……、今日は……シエルと遊ぶんだから」

「でも、ハルカそんな体じゃ……」


 今にも倒れそうなハルカの体を横から支えながら、街の中を歩きます。


 今朝起きたらハルカの体調は悪化していました。シエルは安静にしてた方がいいと言ったのでが、駄々をこねるハルカに折れてしまったのです。


「熱すごいよ……っ! やっぱり帰ろ」

「……やだ」

「ハルカ!」


 ハルカはシエルの手をどけて、子鹿のように足を震わせて自立してみせました。


「ほら、……げんき」


 頑固な親友の姿に、いたたまれない気持ちになります。シエルは羽織っていた上着を脱いで、ハルカに着させてあげました。


「それじゃあシエルが寒いでしょ……?」

「病人が何言ってるの」


 呆れ混じりにシエルがため息をつきます。


「少しでも悪化したら帰るんだからね」

「ありがとう、シエル」


 ハルカは上着の袖を顔に近づけて匂いを嗅ぎます。


「シエルの匂いがする」

「もぅ、恥ずかしいからやめて」

「安心するんだ……すごく」


 熱のせいでハルカは普段言わないようなことを言ってるんだと、シエルは思いました。そのまま指と指を絡めて手をつなぎます。


「ハルカの手、あったかい」

「へへ……、風邪引いてるからね。シエルの手はひんやりしてて気持ちいい」

 

 そのまま二人は歩き出します。


 二人の結婚式まであと三日。クリスマスまで残り十日。街ではクリスマスの準備に追われている人々の姿が映ります。出店の準備をしたり、街灯や道路に装飾をしたり……。みんな楽しそうです。


 遠くの地で戦争をやっているのが嘘みたいで。もうすぐ世界が終わるなんて夢みたいで。


 二人は賑やかな喧騒を眺めながら、ゆっくり街の中を歩いていきました。



 午後になって、二人は街の中心部までやってきました。大地に力強く根を張り、空高くそびえる針葉樹を見上げます。


「収穫祭を思い出すね」


 あの時もこうして、二人でこの巨木を見上げました。


「この木にオーナメントをつけてお願いをすると、願い事が叶うんだよね? ハルカ」

「うん、そうだよ」


 針葉樹の枝や葉先にはすでに何個かオーナメントが飾り付けてあります。お人形だったり、彫刻だったり、折り紙だったり、いろいろです。


「飾り付けの数だけ、人の祈りが込められてるんだね」

「うん」

「そういえば、わたし達もオーナメント作ってお祈りするって約束してたね」


 収穫祭の時にそんなことを二人で話していたのを思い出します。


「今からでも間に合う? ハルカ」

「大丈夫だよ……。クリスマスまでに飾れば」

「クリスマス……」


 シエルが表情を曇らせます。それで、ハルカは悟ってしまったのです。


「私は……もう、充分だよ……」

「え?」


 シエルが隣に目線を向けると、ハルカは熱でぼーっとしているのか、朦朧とした瞳で針葉樹の頂きを越えた天空を見つめていました。


「私は、去年のクリスマスに、シエルと出会えた……。友達がいなかった私に……、人生なんて生きるに値しないって思ってた私の前に……、シエル――あなたが降りてきてくれた」


 かすれた声でハルカは言葉を紡ぎます。


「だからね……シエル……。私の願い事は、とっくに……叶ってたんだよ」


 それが、最後の言葉になりました。頭から吊るしてあった見えない糸がぷつりと切れたように、ハルカの体はふわっと脱力して膝から崩れ落ちます。


「ハル……カ……?」


 左右からの体の振動を感じたのも少しの間だけ。すぐに平衡感覚が失われ、意識が闇に落ちていきます。暗闇の中で泣き叫ぶ少女の声が聞こえました。心臓をえぐるほどの悲痛な叫びのはずなのに、自分の名前を呼んでくれる彼女の声が、まるで子守唄のように安からで……。薄れゆく光に身を任せて、ハルカは意識を閉じたのでした。



 目を開けると、見慣れた天井が視界に広がりました。部屋の中は寒いですが、温かい毛布がかけられています。意識が浮上してくると、そこが自分の部屋だと、ハルカは気付きました。


「あれ……、私……」


 体を起こそうとしますが、鉛のように重い体は言うことを聞いてくれません。部屋の中はハルカだけで、老朽が進んだ木造家屋には十二月の冷たい隙間風が吹き抜けてきます。


 その時です。部屋の扉が開いて、誰かが入ってきました。金糸の髪をなびかせ、すらっとした背丈。文字通り、人間離れした風貌を持つオレリアです。


「起きた?」

「オレリアさん……どうして?」

「ああ寝たままでいいよ。安静にしてて」


 上半身を起こそうとするハルカをオレリアは制します。彼女はスープの載ったお盆をテーブルの上に置くと、横になっているハルカの隣に寄り添います。


「食欲ある?」

「あんまり」

「そっか」


 ハルカはまだ戸惑いをみせます。


「あの、オレリアさん。なんでオレリアさんがここに……?」

「ハルカ、何も覚えてないの?」

「う~んと……」


 記憶を遡ろうとしますが、重くなった思考がそれを邪魔します。


(どうして自分の部屋にいるんだろう……。たしか、外にいたはず。なんで外に? それは、街の中を見て回ってたから……。何の為に? 誰と? それは……)


「シエルッ!!」

「だから寝てなって」


 ようやくハルカは思い出しました。シエルと街で遊んでいる最中に倒れてしまったことを。


「オレリアさん、シエルは!?」

「あの子は出かけてるよ。そのうち戻るってさ」

「そう……ですか」

「ごめんね、目覚めたときに最初にいるのが私で」

「いえ、そんな」

「そんな寂しそうな顔しないの。別にハルカを放っておいたわけじゃないよ。あの子もね、いろいろとやることがあるみたい」


 前に言っていた用事でしょうか。


(シエルに看病してほしかったって思うのは、私のわがままなのかな……)


「シエルがどれだけハルカのことを心配したと思ってるの?」

「シエルが?」

「街を歩いてたら、あなたを背負ったシエルに会ってね。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら必死に助けを求めてきたわ。あんな顔……天界にいた時でさえ見たことなかったわ」

「シエルが私のことをそんなに……」


 そこにドタドタと忙しなく廊下を走る音が聞こえてきます。足音は部屋の前まで来ると、扉が開かれました。


「ハルカ!」


 現れたのはシエルです。彼女はハルカが目を覚ましたと知るやいなやベッドに飛び乗ります。


「うぐ……っ! シエル……く、くる……しぃ」

「コラ! 病人に何してんの!」


 オレリアがベッドからシエルを引き離そうとしますが、シエルはハルカにしがみついたまま離れようとしません。


「よかった……。本当に……よかったよぉ……っ」


 シエルはパジャマ姿のハルカの胸に顔を埋めます。


「もう! 無茶しないって約束したじゃん! どうして……っ」


 ハルカは残り少ない時間をシエルと過ごすことに使うと決めました。シエルも彼女の気持ちが分かっているから、それ以上強く言うことができません。


「ごめんね、シエル。思ったより風邪がひどかったみたい……」

「今はゆっくり休んで、ハルカ」

「うん……。だって、三日後は……」


 ハルカにつられてシエルも壁に掛けられたカレンダーに目を遣ります。三日後の日付には赤いペンで大きく印が付けられていました。二人の結婚式の日です。


「ハルカはそんなこと考えなくていいから。今は回復することだけを考えて。結婚式は無理にやることもないんだから」

「それはダメ……。結婚式は……ぜったいに……やる、の」

「ハルカ……」

「そのために、早く風邪を治さないと……」


「いいえ。ハルカの風邪は治らないわ」


 それは、傍観していたオレリアが放った、非常に冷たい一言でした。

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