明日を夢見る少女

「ん~それはさすがに……置いてないかなぁ」


 よろず屋を訪ねてきたハルカに、オレリアは伝えます。


「そうですよね。無理言ってごめんなさい」

「あっ! でも、生地なら用意できるかな。ちょっと待ってて」


 オレリアは店の奥に消えていくと、そんなに時間をかけずに戻ってきました。


「お待たせ。どう、これ?」

「わあ~~~っ!」


 彼女が手にしていたモノにハルカは感激の声を上げます。


「多分これなら二人分は作れると思うよ。本当は仕上げも全部うちで出来たらいいんだけど、あいにく店主も私も技術がないからね」

「ううん、充分です! こんなに素敵なの……ありがとう! これにします……っあ」


 そこまで来て、ハルカは手持ちの少なさに気付きます。


「それ……高いですよね?」


 小さな貯金箱を両手で持って、見るからに高価な素材に慎ましやかな視線を送ります。


「まあ製品じゃないといってもそれなりにはね……これくらいかな」


 オレリアは紙に金額を書いてこちらに差し出してくれました。今まで見たこと無い値段にハルカは目玉が落ちそうになりました。


「ごめんなさい、やっぱり無理です」

「引き際早くない?」

「いいんです。私のわがままだったので……」


 ハルカが買おうとしていたモノは別に必要不可欠という訳ではありません。そう心の中で言い聞かせて自分を納得させようとしました。


「ハルカはいくら持ってるの?」

「これくらいです」

「ふむ」


 貯金箱を開けて逆さにすると、数枚の硬貨が控えめな音を立ててテーブルに散らばりました。


「あはは! よくそんなので買おうと思ったね!」

「しょ、しょうがないじゃないですか~~~っ!」


 目尻に涙を溜めて笑うオレリアに、ハルカは恥ずかしくて死にそうになりました。ハルカの貯金箱の大きさでは、山のように積み上げないと買えないでしょう。しかし、文字通りこれがハルカの全財産なのです。


「もう帰りますっ!」

「まぁ待ちなさいって。ハルカの持ち金はそれで全部なんだっけ?」


 ハルカが小さく頷くと、オレリアは片手を顎に添えて美しく整った眉をピクリと動かしてみせました。


「いいよ、それで」

「へ!?」

「だから、売買成立。お買い上げありがとうございますってこと」

「いやいやいや、オレリアさん?!」


 メモ用紙に提示された金額と比べても、全然足りません。パン屋で働くどこぞの赤毛少女でも、もう少しマシな金銭感覚を持っています。オレリアは頭がおかしくなってしまったんじゃないかとハルカは思いましたが、彼女には冗談で言っている様子は微塵もありません。天使らしい晴れやかな笑顔を浮かべています。


「私からの餞別せんべつってことで。不足分は私が持つよ」

「オレリアさんって実はお金持ちなんですか!?」

「いんや? 一週間分の食費くらいしか蓄えないよ?」

「駄目じゃないですか!!」


 くすくすとオレリアは笑います。


「店主にバレたら厄介ですよ?」

「いいのよ。言ったでしょ、餞別だって。私はもうすぐ天界に帰るから、その置き土産ってことで」

「そんな勝手な」

「ハルカはさっき『自分のわがままだ』って言ったでしょ。ならこれは、私のわがままよ。何もできない私からのささやかな贈り物。受け取ってくれないかな?」

「そんな言い方……ずるいです」

「一生に一度の晴れ舞台でしょ。それくらい、自分のわがままを通さないでどうするのよ」


 迷いのない笑顔で言われてしまい、ハルカは彼女の優しさに屈してしまいました。


「わかりました。ありがとうございます、オレリアさん」

「ふふ、毎度あり!」



「ただいま」

「おかえりなさい、ハルちゃん」

「お母さん、お願いがあるんだけど」


 紙袋に収められた重厚な生地をそっと見せると、お母さんは思わず目玉を落としそうになりました。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとハルちゃん! どうしたのこれ?!」

「知り合いから安く譲ってもらって」

「譲ってもらって……いくらなんでも――」

「お母さん。お願いがあるの」


 ハルカは被せるように言って、事の経緯を話してみました。


「あら~素敵じゃない!」


 打って変わって、お母さんは両手を頬にくっつけて目を燦然と輝かせます。


「手伝ってくれる?」

「もちろんよ」

「よかった……」

「もう大袈裟ねぇハルちゃんは」

「だって、お母さん忙しいから……」


 父が他界して以来、母の労働時間は今まで以上に長くなりました。畑の手入れだってあります。若くして夫を亡くし、不安定な情勢の中で育ち盛りの少女二人を食べさせていくことがどれだけの負担になるのか。“負担”なんて軽い言葉では言い表せません。心身を蝕まれながら、いつ崩れるかも分からない『今』を必死に生きているのです。


 しかし、ハルカのお母さんはそんな辛さを娘たちの前ではおくびにも出しません。そんな強い母だからこそ、ハルカは自分のわがままを押し通してさらに負担をかけてしまうことを案じたのです。


 そんな娘の思いは杞憂と言わんばかりに、お母さんは穏やかな口調で娘と接します。


「遠慮なんてしないでいいのよ。ハルちゃんのお願い事でしょ。娘の頼みを聞かない親なんていないわよ」

「お母さん……」

「ハルちゃんはお母さんの……いいえ、お母さん達の大事な子どもで。そして、シエルちゃんも大事な家族よ。だったら、これはお母さんにとっても大切な記念になるわ」


 心の底から楽しそうに言うお母さんに、ハルカは思わず泣きそうになります。ぐっと涙をこらえて精一杯の感謝を伝えます。


「ありがとう、お母さん! お母さんが、私のお母さんでよかった」

「うふふ、さっそく今夜からする?」

「うん! そうだ、シエルは?」

「二階にいるわよ」

「ありがとう……コホッコホッ」

「あら大丈夫、ハルちゃん?」

「うん、平気」

「最近寒くなってきたから温かくしなさいね」


 ハルカはお母さんと別れて、階段を上がっていきます。一段一段登っていくと、老朽化した階段を踏みしめる音とは別の心地良い音が聞こえてきました。音色はどんどん大きくなり、それはシエルの部屋の中から聞こえてきます。


「シエル?」

「は、ハルカ!? ちょっと待って!?」


 扉の外から呼びかけると、びっくりしたようなシエルの声。続いてドタバタと忙しい音が内側から聞こえてきました。


「ど、どうぞ」

「う、うん。おじゃましまーす……」


 中にはシエルがいました。体が仄かに火照って、笑顔を繕っています。


「どうしたの、シエル?」

「ううん、なんでもないよ」

「そう……。オカリナ吹いてたの?」

「うん……」


 ハルカがシエルにあげたオカリナ。もとはハルカが両親からもらった誕生日プレゼントでした。受け継がれていった楽器をシエルは大切にしてくれています。


「なにかあったのかな、ハルカ」

「そういう訳じゃないんだけど、ちょっと今夜から用事ができちゃってさ……」

「用事?」


 シエルが小首を傾げます。


「うん。お母さんの部屋にいるから、何かあったら呼んで」

「わかった」


 用件だけを伝えて踵を返そうとするハルカの背中に、シエルの透き通った声が届きます。


「ハルカ」

「ん?」

「……大好きだよ」

「うん」



 ――翌日の学校。


「……ッ、……コホッ、シエル、帰ろっか」

「ごめんねハルカ。今日は用事があって」

「用事? ……コホッ」

「ハルカ、風邪引いたの?」

「大丈夫だよ。用事なら仕方ないね」

「じゃあまたお家でね」


 シエルは手をヒラヒラと振りながら先に教室を後にしました。用事とは何でしょう? そう言えば、昨夜寝ている時にシエルが部屋を出ていく音がしました。気のせいでしょうか? もしかしたら天使のお役目かもしれません。


 暦はすでに十二月の上旬を数えていました。秋の面影は徐々に姿を消し、冬の匂いが鼻の奥をツンとさせるのでした。



 家に帰ったハルカはお母さんと昨日の続きをしました。お母さんは明日も仕事があるので、早めに作業を切り上げます。自室に戻ったハルカは、借りてきた裁縫道具を机の上に置いて再び気合を入れます。


「よしっ!」


 やり方は一通りお母さんに教えてもらいました。あとは自分で頑張るだけです。


 それからハルカは黙々と目の前の作業に集中しました。夜も深くなってきたのに、まだシエルは帰宅しません。


 そして、あと数時間で日付が変わるという頃、ようやく家の扉が開きます。ハルカは玄関までシエルを迎えに行きました。


「おかえりシエル……遅かったね」

「ごめんなさい」

「ううん、責めてるんじゃないよ。ただ――」


 そこまで言って、ハルカは自分のことを棚上げにしていることに気付きました。シエルと過ごせる時間はもう長くはありません。今は一分一秒でも彼女の側にいるべきなのです。でも、シエルのためといはいえ、彼女との時間を作れていないのもまた事実で。


 元天使とはいえ、シエルにだってやることはあるはずです。用事で家を空けるシエルを責める権利なんて自分には無いと痛感したのです。


 お互い何も話さず、気まずい空気が包みます。何を紡いでも、言の葉の表面には負の感情しか表れないでしょう。だから、ハルカは明るいトーンでシエルに提案するのです。


「シエル。明日、遊びに行かない?」


 すると、氷が溶けたように彼女の強張った表情が解け、笑顔を咲かせます。その姿が可愛くて、愛おしくて……。


「どこに行こうか?」

「どこでも良い! ハルカと一緒ならどこでもいい!」

「じゃあ適当に街をぶらぶらしようか」

「うん!」

「寒かったでしょ。ご飯温め直すから」


 その夜はたくさん話をしました。疲れが溜まっていたのでしょうか、話していたらシエルはこっくりこっくりと首を揺らし、そのまま夢の世界へ旅立っていきました。


 ベッドに寝かせて、規則正しい寝息を立てるシエルの顔を眺めます。


(明日はシエルと遊べる……)


 自然と胸が高鳴ります。シエルの胸元では、彼女の呼吸に合わさって上下する『雪時計』が窓から差し込んだ月の光を跳ね返しています。上の球体の雪は残りわずかで、それは世界の寿命があと少しで尽きることを意味していました。


 それでも……。シエルの寝顔を見ながら、明日の世界を想像するのが、こんなに楽しい。


 もうすぐ終わりを迎えるというのに、明日を夢見るのは罪なのでしょうか。


「おやすみ……シエル」


 目にかかった前髪を優しく横によけてあげて、ハルカも目蓋を閉じるのでした。

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