和解と予兆

「またね、オレリア」


 三人で過ごす時間はあっという間で、気づけば夕方になっていました。店の入口まで見送りに来てくれたオレリアに、二人は手を振ります。


「挙式の準備、がんばってね」

「そんな大層なものにならないと思うけどね」


 結婚式は一ヶ月後――十二月の中旬に行うことになりました。これからその準備で大忙しです。


「あ! 何あれ!」


 シエルの目に留まったのは移動式の屋台です。行商人が各地を移動しながら商売しているのです。


「ハルカ! あれ見に行こう!」

「あ、ちょっと待ってよシエル」


 言うよりも先にシエルは駆け出して行ってしまいました。


「もぅ」

「ハルカ」


 オレリアが背後から声をかけます。


「ありがとうね」

「ん?」

「あの子の……シエルのわがまま聞いてくれて」

「あはは、言ったでしょ。本物の結婚じゃないですよ」

「それでも、あの子の隣にいてくれてありがとう」


 屋台に走っていくシエルを遠目に見ながら、オレリアは優しい口調で言います。


「私ね、二人の結婚式を見届けたら、天界に帰るよ」

「ええ!? そんな……いきなり」

「もともと行方が分からなくなっていたあの子を探すために地上に来たんだし。無事と判明した以上、ここに残る理由もなくなちゃったしね」

「そう……なんだ」

「本当はもっと早く帰らなきゃいけなかった。でも……、ここでの生活が居心地よくて、つい長居しちゃった。それに、人間界で暮らすシエルが幸せそうで、あの子の笑顔をもう少し見ていたいって思っちゃったんだ」


 オレリアはきっと今、天界にいた頃のシエルと今のシエルを重ねています。彼女の瞳には懐かしい情景が蘇っているに違いありません。


「もともと天からの使いは一人しか許されない。私がここにいること自体が異例。だから、この辺りが潮時なんだよ」

「シエルは、そのことを……」

「あの子はなんとなく気付いてるよ。ほら、私たち天使だから」


 羽を失い天使でなくなったとはいえ、通じる何かがあるのでしょう。きっとそれは天使の二人にしか分からない感覚なのです。


 シエルはもう天界に還ることができません。つまり、結婚式が終われば、シエルとオレリアは永遠の別れになります。小さい頃からずっと一緒だった天使と、もう会えなくなるのです。


「寂しくなりますね」

「んん~? なぁに? ハルカはあんなに可愛い婚約者がいるのに、もう他の天使に浮気しちゃうのぉ?」

「ち、ちがっ! 私は純粋に――」

「ふふっ」

「んもぅ」


 いたずらっぽくオレリアは微笑みました。


「ハルカぁ! はやくぅ!!!」

「じゃあ、またね」


 オレリアに別れを告げて、ハルカはシエルを追いかけました。



「いってきまーす」

「いってらっしゃい、ハルちゃん、シエルちゃん」

「そうだ、お母さん」

「ん? なぁに、ハルちゃん?」

「私、今度結婚するから」

「そう、おめでとう」

「ありがとう、お母さん」


 お母さんは晴れやかな笑顔を浮かべ、洗濯カゴを抱えて階段を上がっていきま――


「ええええええええええええ?!」


 洗濯モノを宙に放り投げて、お母さんは階段を引き返してきて、娘の肩をがしっと掴みました。


「なんでそんな『お休みの日にちょっとお出かけしてくるね』みたいな調子で言うのよ!?」

「だって本当の結婚式じゃないし……」

「遊びなの!? ハルちゃんにとって結婚ってお遊びだったの!? お母さんはね、あなたをそんな風に育てたお覚えは……ガミガミ!」


 面倒くさい親だなとハルカは苦笑しながら思いました。


「ど、どこの殿方なの!? 貴族の跡取りとかやめてよ!? そりゃあハルちゃんは可愛くて、自慢の娘だけど、婚約なんて家同士の付き合いなのよ!? こんな貧乏な家じゃ恐れ多いっていうか、どう顔向けしたらいいか……」


 お母さんが慌てふためきます。


「ちがうちがう、シエルだよ」

「……へ?」


 ハルカの後ろから白髪の少女がひょこっと顔をのぞかせました。


「だから、シエルが私の結婚相手なの」

「………………へ?」



 教室には、疎開した生徒の空席が目立つようになりました。ラジオや新聞の活字では、連日のように母国の勝利を讃える報せが続きます。しかし、一向に良くならない生活と終わりの見えない戦争に、子どもながら疑心を持っていました。なにより、一人また一人と教室から姿を消していく生徒の数が、残された者の不安をさらに助長させたのです。


 ハルカはふと、マレゴの席に視線を投げました。マレゴ・ウィークスピア。父は、この街の住人なら誰もが知っている軍隊の指揮官です。彼女は幼少の頃から英才教育を施されていきました。戦況が戦況なだけに、今はこんな郊外近くの街で鉛筆を握っていますが、国が平和だったらきっと都市部の教育機関で学びを得ていたでしょう。そんなマレゴもここ数日は学校に来ていません。


 正直、ハルカはマレゴが嫌いでした。たった一人の父をボロ雑巾のように愚弄したので当然です。しかし、父親からの厳しい教育がマレゴの人格を歪めてしまったことも、ハルカは理解していました。


(私の方がよっぽど酷いことしてるよね……)


 心の中で呟いて、隣に座って勉強しているシエルを見ます。ハルカの視線に気づいたシエルは、ハルカの横顔を見つめてニコッと笑いました。


 そんな無邪気な笑顔を見て、ハルカは考えてしまいます。自分のエゴによってもうすぐ世界は終わる。それなのに、自分だけが結婚なんてして、幸せになっていいのかと。


 窓の外――晴れ渡る青空の下では秋風が木々を揺らしています。こんな穏やかな風景があと一ヶ月で無くなるなんて、全く実感できませんでした。



 放課後。ハルカとシエルはミラのお店に寄ることにしました。二人の挙式にお誘いするためです。


 ちなみに、学校の子たちにも参加を呼びかけてみました。みんな最初は驚きながらも、祝福してくれました。残念ながら、こんな時世なだけに出席してくれる子はいません。けれど、ハルカと同級生の間に燻っていた蟠りは解消されたのです。


 もちろん、支配的な立場のマレゴがいなかった理由もあるのでしょう。それでも、ハルカは初めて自分からクラスの子に声をかけたのです。勇気を振り絞ったのです。そんなハルカを、みんな快く受け入れてくれました。


 自分で心の壁を作って、自分から距離を取っていた……もったいない学校生活を送ってきたと悔やみましたが、思い残しに区切りが付けられた彼女の顔はとても澄んでいました。


 ミラにも結婚式の話をすると手放しで喜んでくれました。


「本当は招待状とかあれば、それっぽいんだけどね」

「気にしないでいいよ~!」


 ミラはいつも通りの明るい笑顔を咲かせます。


「当日は絶対に行くからね!」

「お店の方は大丈夫?」

「問題なし! おいしいパンをたくさん持っていくからね!」

「わあ素敵! ありがとうミラ!」


 隣でシエルもお礼を言います。


「それで参加者にうちのパンを食べてもらって贔屓にしてもらうんだ」

「ちゃっかりしてるな~。でも、ほとんど人来ないと思うよ?」

「ええ!? そんな~」


 主役二人にミラ、ハルカのお母さん、そしてオレリア。ほそぼそとした挙式になりそうです。


「くそう! いつの日か、あたしの手で必ずうちのパン屋の名前を世界に轟かせてやるんだから。『ミラ・ベーカリー』の夜明けはすぐそこまで迫ってるのよ!」


 背中まで伸びた赤毛をふわりと揺らして、ミラは力強く言います。夢見る少女の姿が眩しすぎて、ハルカは胸に秘めた想いを言葉にすることができませんでした。シエルもきっと同じ気持ちだったでしょう。


「じゃあ詳しい日程とかはまた今度教えるね」

「うん、わざわざありがとう――」


 刹那、異音が乱暴に鼓膜を叩きます。強い風が吹いたのだと思いました。実際、目に見えない自然の力が少女たちの華奢な体を揺らします。


 しかし、風ではありません。大地が……世界が揺れているのです。


「きゃあ!!!」


 街からは悲鳴と狼狽の声が飛び交います。地震だと分かった瞬間、得体のしれない恐怖が全身を駆け巡りました。


 一分ほどの非常に強い横揺れを経験した後、街は平穏を取り戻しました。生きた心地がしなかった一分間は永遠のように長く感じられました。


「すごい地震だったね……」


 ハルカ達は三人で支え合うように、その場に立ち尽くしていました。ココリクに地震なんて滅多に起きません。自然の災害に免疫がない住人たちは右往左往するばかり。


 そんな中、思い出したように声を上げたのはミラでした。


「お母さん……っ!」


 ミラは慌てて店の中に入り、ハルカとシエルも後を追います。中には一人の中年女性がテーブルにしがみついていました。肩の辺りで短く切り揃えられていますが、ミラと同じ赤い髪の女性。彼女がミラの母親であり、このパン屋さんの店主です。


 幸い、夕方に店頭に出すパンは全部焼ききっていて、火事の心配はなかったようです。親子はお互いに無事を確認すると、安堵してその場に崩れ落ちました。


 まだ心臓の鼓動が収まりません。何かが始まったような、何かが終わっていくような、不気味な感覚だけが残ったのです。

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