愛の言葉ー後編ー

「で、二人はいつ結婚するの?」

「はああ!?!?」


 いつの間にか木製の小物入れの修理をはじめていたオレリアに、ハルカは素っ頓狂な声を上げました。


「ハルカ、けっこんって何?」

「『愛してる』者同士が、これからもずっと一緒だよって約束する、儀式みたいなものだよ、シエル」


 オレリアが楽しそうに答えます。


「それじゃあ、わたしとハルカはもう結婚してるんじゃないの?」

「んな!? し、シエル!?」

「っぷ! あっははははは! そうだね! たしかにそうだ!」

「え、なに? わたし変なこと言った?」


 出荷を控えたトマトのように顔を赤らめるハルカと、悪魔のような笑いを浮かべるオレリアを、シエルは交互に見ます。


「シエルの言う通り、愛があればそれでいいよって人もいる。でも人間界には二人が一緒に暮らしていく上でいろんな決まりごとがあるんだよ。それを確認して、周りからも認めてもらうために結婚式が必要なのさ」

「ふーん」

「やけにこっちの事情に詳しいですね、オレリアさん」

「赤い糸は国境も、次元の境界も変わらないのかもね」


 この人も大概である、とハルカは感じました。


「やろうよハルカ。結婚式」

「ええ!?」


 シエルはくりんとした碧眼をハルカに向けて言いました。


「シエル。結婚はね、そんな簡単にできるものじゃなくてね……」

「わたし……ハルカと結婚式やりたい」

「シエル……」


 ハルカの胸に顔をうずめてシエルが言います。それは単なるお願いではなく、何かを求めるような切実な声色にも聞こえました。


「私からもお願い」


 修理中の小物入れをテーブルに置いて、真面目な顔でオレリアは頼みました。


「シエルのお願い、叶えてあげてくれないかな」


 ハルカは誓ったのです。自分がシエルと居られる時間はもう長くはありません。なら、シエルのやりたい事は全部やってあげようと。


「わかったよ、やろう結婚式」

「本当に!?」

「ただし、私たちはまだ子どもだから、本物の結婚式じゃなくて、あくまでも”仮の”ね?」

「うん! うれしい!」


 明るいシエルの笑顔に、心が満たされます。


「今からやるっ!?」

「いや、さすがに――」

「そうだよシエル。結婚式はね、いろいろと準備が必要なんだよ」


 張り切るシエルをオレリアがなだめます。


「それに、いくらでも、参加者は欲しいからね」

「でもオレリアさん、私シエル以外に友達なんて……」

「ミラは!? ミラに声かけたらどうかな? ハルカ」

「なるほど」


 パン屋さんの仕事で忙しいミラも、事前に声をかければ予定を空けておいてくれるかもしれません。


「そうだ! ハルカのママも呼ぼうよ!」

「それはなんだか恥ずかしいな」

「身内を呼ばなくてどうするのよ。それに結婚式なんて恥ずかしい儀式なんだから、一人増えようが二人増えようが同じでしょ?」

「うっ……たしかに」


 オレリアの言う通りかもしれません。


「ハルカは学校に通ってるんだよね。なら、クラスの子も呼んだら?」

「それはちょっと……嫌かな?」


 流されそうになっていたハルカですが、その時だけは拒否しました。


「学校の子たちとは、あんまり仲が良くなくて……」

「ああ、人間ってそういうところあるよね」


 オレリアが指を顎に添えて達観した表情をしました。


「天使は不和とかないんですか? あの子苦手だな~とか、あいつは嫌いだとか」

「ん~……特にないよ。みんな仲良いし。というか、仲が良い悪いっていう感覚もないかな。みんな同じ空間にいて、一緒に過ごす……ただそれだけ」

「そうなんですか……」


 争いや差別が絶えない人類にとって、それは永遠に理解できない価値観なのかもしれません。


「人間って難儀よね……。ハルカは学校の子と喧嘩でもしてるの?」

「そういう訳じゃなくて。みんな私と仲良くしたがらないんです」

「ふうん」


 オレリアは不思議そうな顔でハルカを見つめました。

 クラスの輪に溶け込めない理由を話したところで、天使のオレリアにはきっと理解されないでしょう。いえ、ハルカが避けられている理由なんて、本当は無いのかもしれません。


 マレゴは、社会的な地位を持たないハルカを蔑んでいます。しかし、他の子はそうとは限りません。狭い社会集団の中で圧倒的な力を持つマレゴに同調を余儀なくされていたのです。そして、その関係が変わらないままずるずると今日まできてしまった。ただ、それだけなのかもしれません。ハルカが周りから距離を置かれる理由なんて、本来無いのかもしれません。


「それじゃあ良い機会だね!」

「へ?」


 沈みかけた空気を換気したのはオレリアの一声でした。


「仲良くないなら、これをきかっけに仲良くなればいいんだよ」

「いや、そんな……」


 オレリアは人間社会の複雑な機微を知りません。だからこんな楽観的な事が言えるんだとハルカは思いました。でも、違いました。


「私がこっちの世界に来て驚いたのは、地上はたくさんのモノで溢れていたこと。モノは壊れても、傷が浅ければまた修理できる。こんな風にね。でも、完全には元に戻らない。どれだけ美しく修理できたように見えても、一度破損したモノは完全には元の姿にはならない」


 オレリアは先ほどまで修理していた小物入れを撫でながら言葉を紡ぎます。


「でも、人と人との関係は違う。たしかにハルカの言う通り、簡単じゃないんだろうね。それでも、どんなに溝が生まれても、心は修復できる。新しい関係だって始められる。少なくとも私は、そこが人間の良いところだと思ってるよ」

「オレリアさん……」


 隣の畑を熟知しないものがその農家にあれこれ口を出すべきじゃないと考える人は多いでしょう。けれど、他人の境遇を知らないからこそ、新鮮な角度から観察できたり、実りのある助言ができることだってあるということを、オレリアは教えてくれました。何より、同級生との関係なんてこのままでいいとふさぎ込んでいたハルカに、彼女の言葉は強く刺さったのです。


「ハルカ……」


 シエルがハルカの服をぎゅっと掴みます。彼女はずっとハルカの交友関係を案じてきました。思い入れが強いのです。


「わかった。クラスの子にも声かけてみるね」

「……ハルカ!」


 その時のシエルがどれほどうれしかったことか、それはシエル本人にしか分かりません。


「あ、オレリアさんだけは来る時に祝儀払ってくださいね」

「なんでだよ!」

「ふふっ! さっき茶化してくれたお返しです!」


 薄暗い店内に三人の笑い声が木霊するのでした。

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